英雄士 ヒロシ
トップ > 2ch関係 > 三河屋 > part6-1
14 :774RR:2006/03/12(日) 19:57:40 ID:P9no3Ff5
英 雄 士 ヒロシ 〜清水の稲妻伝説〜
夜の闇も深まる頃、男は一人、住宅街から川向こうににある工業団地に向かって産業道路を歩いていた。
昼間、工場に資材を運び込むトラックと出荷する品物を運ぶトラックので賑わった産業道路は、今はひっそりと静まり返っている。
路端の水銀灯に照らされるその男、見た目も暮らしぶりも冴えないただの中年だった。
小3と小5の娘が二人、口の減らない女房に年老いた両親…
その家族を何とか収容している持ち家。
娘達には酒を飲んではくだを巻く鬱陶しい父親でしかないだろう。女房にはたずなを取られ、この男の帰る家には居場所はなかった。
男の名はさくら ヒロシ
毎週日曜日の夕方、日本一有名な家族「磯野一家」の出番の前に、30分間面白おかしい日常をさらけ出す某少女の父親だ。
だが、彼には居場所が全く無いわけではない…
工場が立ち並ぶ一角の隅に小さな倉庫があった。
ヒロシの中学校の同級生の好意で、彼が営む鉄工所の資材置き場の一部をバイク用のガレージとして格安で借りられているのだ。
ヒロシはドアの鍵を開け、電灯のスイッチをつける前に、真っ暗な庫内で月明かりに照らされた愛馬、スペンサーカラーのCB750Fを見つめた…
-------------------------------------------------
70 :774RR:2006/03/14(火) 19:36:49 ID:ffkX3CPD
英 雄 士 ヒロシ ACT2
ヒロシは指の先にヤニが染み着くほど吸ったタバコを家に置いてきていた。
忘れた訳じゃない…シットリとした初夏の夜の空気を味わいたかったからである。
電灯のスイッチをおもむろに入れ、裸電球の黄色い光を庫内に注いだ。
チェーンロックを外し、マシンを解放する。
センターを掛けたままでタイヤの空気圧、オイル量、ガソリンをチェックした。
当たり前の在り来たりな作業である。
スタンドを外し、車体をガレージから押し出す。星空がきれいだ。
スターターを捻る。当たり前のようにエンジンが始動する。
当たり前の事なのにヒロシはニヤリとほくそ笑んだ。彼の車歴に当たり前に始動するバイクはこのFだけだった。
壁に掛けたシングルのブラックレザーのジャケットを羽織り、グローブを手にはめ、シルバーのアライに手を掛けた。
オーソドックスなジェットにブラックスモークのコンペシールド…
支度を済ませ、シャッターを下ろすと、ヒロシとの時間をせがむかのようにFのテールが微震していた。
ヒロシの胸は久しぶりに弾んでいた…
-------------------------------------------------
73 :774RR:2006/03/14(火) 21:02:46 ID:ffkX3CPD
英 雄 士 ヒロシ ACT3
ヒロシのFは意外なことにスペンサーカラーの外装以外はリアサスをコニに変えただけで、あとはノーマルだった。
育ち盛りの娘たちに最低限の暮らしを与えるためには、自分の稼ぎとは言え好き勝手には出来ない。
それでもFは750マシンならではの迫力がある。
バンクすれば先代よりスリムに洗練された空冷四発の力強い存在感がさらに強調される。
まるでエンジンに直接乗ってかのいるような…そんな感覚を操者に与えながら、美しい音色を奏でる名機。
ヒロシは何よりも官能的なこの鉄の愛人に心底のめり込んでいた。
マンガでは強調されてないがヒロシの脚は以外と長い。痩せて野性味を増した中年期のミックジャガーのような体型だったりする。
その長い脚をインディゴ染めのタイトジーンズに包む。
靴は履き古したエンジニア(というより、工場の親父が履くような安全靴)これは長く履き込まれたせいで多少足形がルーズになっている。そのおかげで微妙に足の自由度があり、シフトやステップワークが滑らかになるのだ。
ジーンズもシューズもジャケットもどれもこれもヒロシとは長いつき合いだった。
頃合いを見計らうとヒロシはFに跨りギアをファーストに入れた。
クラッチをリリースし、静まり返った深夜の工場を背景にゆっくりと走り始めるFとヒロシ、失い掛けた喜びが今、黒い暗闇を色彩豊かに輝かせていく…
-------------------------------------------------
84 :774RR:2006/03/14(火) 23:09:17 ID:ffkX3CPD
英 雄 士 ヒロシ ACT4
セコ、サード…低速で確実に暖機していく。本線に入る頃には交通の流れに乗れるだけ暖まるだろう。
徒歩ではまるで絵画のようだったバイパス沿いの景色がさざ波のように揺らめいている。
ギアをセミトップ(4速)に入れてヒロシは空冷インライン4 特有の排気音を楽しんだ。
もうそろそろ…
逸る気持ちを抑えつつ、徐々にスロットルを開けて4速で引っ張る。
二車線左側、前を行く大型トレーラーを車線変更でかわし道路と風を独り占めする。
メーターをチラリ…130km/h
16歳で初めて乗った父友蔵の58年式メグロジュニアの最高速をこのバイクはいとも簡単に通過した。
トップ…生暖かく感じていた空気が風速冷却で刃物のような鋭さを持ち始める。
加速は滞らず、メーターで160を越えていった。
この辺で十分だ…
此処は高速じゃない。
信号もあれば対向車も居る一般道だ…
その瞬間、ヒロシの胸に重苦しい過去が蘇ろうとしていた。
15年前、ヒロシの人生に大きな影を落とした。
また、あの闇に心が覆われようとしていた…
-------------------------------------------------
123 :774RR:2006/03/15(水) 19:36:36 ID:lhdxvKfR
英 雄 士 ヒロシ ACT5
怖い…ヒロシは自分の心の闇に怯えた。
自分のした事への代償を紙一重でかわし、今の平安な日々を当たり前のように享受している自分を嫌悪しつつ、過去のことは全て水に流そうと彼は努めて暮らしてきた。
産業道路から分岐に入り、真夜中のワインディングロードにFの鼻先を向ける。
物の怪が今もなお棲み付いてるかのような…不気味な森。
Fのエキゾーストが木々に木霊し、悲しげに響いた。
不安な気分で小高い丘のストレートを下っていく。
その時、向こうの車線をカーブから小気味よく立ち上がって丘を掛け上ってくる一台のバイクに気付いた。
歯切れのよいLツインのサウンド、ひでじいのDUCATI 750F1 レーシングパンタだ…
発表されて間もないイタリアの駿馬に打ち跨るこの初老の紳士は、普段の花輪家での名執事ぶりからは想像も付かないようなアグレッシヴな走りをする。
ヒロシは彼がUターンしてこちらに追い付くのをミラー越しに待った。
二人ともこの暗闇の中で一人で居るのは心許ないのだ…
-------------------------------------------------
127 :774RR:2006/03/15(水) 20:29:52 ID:lhdxvKfR
英 雄 士 ヒロシ ACT6
対向するバイクに気付いたひでじいは、すれ違いざまにそれがどんなバイクで何者が跨るものか暗闇の中でも判るほどのスピードに車速を抑えた。
シルバーにブルーラインのCB750F、黒革のライダースにシルバーのアライ…彼だ。
ひでじいは前傾のキツいレーサーを器用にUターンさせ、ヒロシのFの後ろについた。
ミラー越しでそれを確認するとヒロシはFに鞭を入れる。
まるで仔狐がじゃれ合いながら追いかけっこをするように、二人は走り始める。
ひでじいの駆る750F1は、低迷した80年代初頭のドゥカティに世界TT-F2選手権での三連覇という偉業を成させたワークスパンタレーサーの流れを汲むレプリカマシンである。
好景気に涌いた当時の日本でレーシングパンタを手に入れられたライダーは多く居たが、プロを覗いた市井のアマチュアで、このひでじい程に乗りこなせる者は少なかっただろう。
最高速240キロを誇るこの駿馬にはさすがの加速力でヒロシのFに追い並んだ。
テールトゥノーズで二台は左コーナーに入っていく。続く右コーナーはRがキツく、回り込んでいる。
対向車のはみ出しを警戒し、アウト寄りで回り込んでいく。
リーンアウト気味のヒロシの足下から火花が散った。
ステップを地面に擦りながらコーナーをクリアしているにも関わらず、後ろ姿には安定感があった。
起伏に富んだワインディングを駆け抜ける二台、傾斜を帯びた低速カーブではヒロシに軍配が上がるだろうが、ひでじいも負けてはいない。
イタリアの国旗を模した750F1と揃いの柄のこの革ツナギは決してただのファッションではないのだ…
-------------------------------------------------
138 :774RR:2006/03/15(水) 23:09:38 ID:lhdxvKfR
英 雄 士 ヒロシ ACT7
うねるような低速カーブ群を抜けると、長いトンネルのあるストレートに差し掛かる。
普段なら心霊スポットになってもおかしくないようなこのトンネルを二人は胸の高揚を保ったまま駆け抜ける。
二人の気迫に御霊達もたじろいたのかもしれない…
トンネルを抜ければ大きな鉄橋に出る。
トンネル出口から一気に視界が広がり、まるで空を飛んでいるかのような爽快感を覚える場所だ。
ヒロシのお気に入りである。
橋の中頃でFの右横にパンタが並んだ。打楽器のような歯切れのいいサウンドをヒロシに浴びせながらパンタが先行していく。
ひでじいが得意とする高速ワインディングは彼のリードに従うことにしよう。
ヒロシは彼の走りを後ろから見定めるように観察した。
確立されて間もないハングオフを多用するそのライディングフォームは、肘でタンクを抑えるようなコンパクトなものや体を斜め前に出す積極的なもの、脇のスタンスを広げ腕をOの字にさせた当時ではまだ主力ではない斬新なスタイルなどを多彩に富み
自分の走りに合うスタイルを試しているようだ…
齢58にして、ひでじいはまだまだ進化の途上にいるのだ。
ニューマシン、パンタのツボを手探りしているのかも知れない。
-------------------------------------------------
139 :774RR:2006/03/15(水) 23:26:45 ID:lhdxvKfR
ライテク教本の見本のようなの理想的なフォームのヒロシのスタイルとは対称的である。
ついて行くのがやっとだ…
F19インチはもう時代遅れか…
弱気になりながらもヒロシは引き離されることなく、二台はハイペースで頂上を目指した。
時速120キロ以上でカーブを抜けていける高速ワインディングを駆け抜けて、マシンもライダーも
感覚を狂わせていた。
30キロに減速すると、それがまるで歩くような速度に感じてしまう。
頂上付近の展望台の駐車場にマシンを停めようとノロノロと駐車場に入りながら、ヒロシはこの奇妙な感覚のズレに酔った。
愛馬を憩わせ、ようやく二人は言葉を交わした。
フルフェイスを脱ぎ、ひでじいは口を開けた。
「こんばんは。さくらさん…」
そこに居たのは確かにいつものひでじいだった…