華4【沈黙の駻馬編】
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548 :華 :2007/02/26(月) 20:17:21 ID:y7RrCsp9
【沈黙の駻馬編】
―――花子達が合宿に向かう日の早朝、一人の男がターンパイクから大観山へと現れる―――
ドドドドドドド… ターンパイクを登って来た男は朝霧の濃い大観山ドライブインの駐輪場にバイクを止めた。
「ふぅ…霧が少し濃い…か…」男は幾つか並ぶベンチの真ん中に座り、懐から愛用のパイプを取り出す。
「あっ!翁 お久し振りです。」とパイプを加えた男に一人の走り屋が声をかける。
「おはよう、今日は霧が少し濃いね。」とパイプに火を点し白煙をフゥーっと吹き出す。
「今日はちょっと濃いですねぇ… どうですか?SRXの調子は?」と翁に聞く。
「悪くないさ。ふふ、いいメカニックが居てね。お世話になってるのさ。」嬉しそうに翁は呟いた。
そんな他愛の無い会話をする翁を駐輪場の端で虎視眈々と見つめ鎮座する男が居た。
(あれが椿翁か…ジジイじゃねぇか… ふっ!ちょろいもんだな。俺のFZR1000でぶち抜いてやるぜ)
(くくく…てめぇの右手から椿をひん剥いてやるぜ?)そう男は心で思い、缶コーヒーをグイッと飲み干した。
――30分程経ち朝日が朝霧をかき消す様に霧は徐々に無くなってゆく――
ミーンミンミン…朝霧が晴れれば夏の昆虫達が目を覚ましたかの様に鳴き始め、徐々に蒸し暑さが増してくる。
「さて、そろそろ私は行くとするよ。またここで会おう。」翁はヘルメットを被り、ギュッとグローブをはめる。
「えぇ、また会いましょう。」談話していた男は翁を見送った。
キュルル、トットットットット、ヴァルン、ヴァルン、トットットットットッ 木々に休む鳥達が一斉に飛び立つ。
(行くか! おし、行くぜ!FZR!)虎視眈々と見つめていた男は様子を見ながら翁と同時にメットを被り、少し後方から翁を追い始めた。
549 :華 :2007/02/26(月) 20:19:23 ID:y7RrCsp9
――椿ライン――
翁はSRXで快調に進んでいた。最初の右コーナーを舐める様に曲がる。「うん…さすがポップ君だ。ノイズも無い。」嬉しそうに無線局のヘアピンに突っ込みながらシフトダウンし始める。
(くくく…ぶち抜くぜぇ…ジジイ…)追う男はFZRでSRXに徐々に襲い掛かろうとしていた。パッ!パッ!とハイビームをチラつかせ宣戦布告の合図を送る。
「ふふ…そろそろ花沢君達も免許を取りに行く頃か。」嬉しそうに呟きながら緩めのヘアピンを曲がり下り勾配の厳しい左ヘアピンへ突入しようとしていた。無論、翁は後方から迫るFZRには気付いていない。
(そのヘアピン越えてのストレートでぶち抜いてやるぜ!)追う男も4車輌後方で虎視眈々とタイミングを見計らっていた。
翁がヘアピンをクリアする。追う男はシフトをタンッ!タンッ!と下げ、クラッチでエンブレを少し殺しながらヘアピンをクリアし車輌を立て直す。
「!!!」 追う男は少し戸惑う。
(な、何故だ!何故あんな先にジジイが居る?! コーナーで俺の無駄は無い筈だっ! チィッ!単発のトルクかっ!)追う男は自分に言い聞かせコーナークリア後に差が開いた翁を追う。
追う男は下りストレートでスロットを捻る。水冷4ストDOHC5バルブ並列4気筒209sの鉄塊がサイレンサーから咆哮を上げ猛然と空冷4ストOHC4バルブ単気筒149sへ猛追し喰って襲い掛かる。
「また、新しい世代がバイクに乗り、物語は始まるのだろうな…」翁はそう思いながら複合コーナーをクンッ!クンッ!と体を、右に左にと倒し、シシドのヘアピンに向かってゆっくりとシフトダウンをし、ヘアピンにスゥーっと滑り込んだ。
(その先でジジイの生きた伝説も終わりだぜ。もう終わらせてもらうっ!!)追う男は真後ろにピッタリと張り付きストレートでうねりを上げたスピードを殺しながらヘアピンに突入した。
(終わりだっ!ジジイィ!)SRXのアウトから中央線を割らんばかりのライン取りでSRXを145psのパワーでピタリと横に付け一気にスロットルを捻る。
――が…追う男の時が止まる…――
550 :華 :2007/02/26(月) 20:21:07 ID:y7RrCsp9
猛然と襲い掛かるFZR、追う男はスロットルをガバッ!と開く。だがSRXはゆっくりと…ゆっくりと離れてゆく。背中に施された翁の刺繍がケタケタと追う男を嘲笑うかの様にゆっくりと…
(ば、馬鹿なっ!)追う男は焦り出しシシドのヘアピン直ぐの複合は中央線を割り出す。(うわぁぁっ!)対向車のトラックの荷台にミラーをカツンッ!と当て右ミラーが吹き飛びミラーは谷底に叩き落される。
「バカヤロォォ!」とトラックの運転手が怒鳴るも追う男には聞こえていない。 目の前に居た筈のSRXは徐々に離れ始めていく。
(クソッ!クソッ!)追う男が焦り、戸惑うも下り勾配の最も厳しい左ヘアピンがFZRに牙を剥いて襲い掛かる。
(チィィィィッ!!!!!)追う男はタンッ!とシフトダウンしながらブレーキをかけヘアピンに突っ込む。中央線を割るも幸い対向車は無く無事クリアする。
が…翁は先の複合をクリアし緩やかな左コーナーへ入り込んでいた。
「ふふふ、あの子達どんなバイクに乗るのだろうか?ポップ君の所ならきっと素敵なバイクに巡り合えるさ」嬉しそうに、そして軽快な走りで椿ラインを駆ける。
(クソォォ!どうなってやがる?どうなってやがんだ?!)追う男は焦りながら複合をクリアし緩やかな左コーナーへ向けてスロットを捻り出した。
(こんな所で撒かれてたまっかよっ!)更に追う男はスロットを捻る。
椿ライン…それは一見緩やかなコーナーと油断すれば車輌は山肌から離れ始め対向車線に吸い込ませる魔力を持つ。そして幾人もの走り屋がその魔力に吸い込まれ鉄の牙に飲み込まれてしまう。
追う男は焦りからなのか?混乱からなのか?スロットを開きすぎ、遥か先のSRXにしか視界に入っていなかった。
FZRは徐々に山肌から離れ始め中央線を割り始める。
551 :華 :2007/02/26(月) 20:21:59 ID:y7RrCsp9
(し、しまったぁっ!)追う男は自分のラインを取戻す行動に必死になる。対向車線からクラクションが鳴らされ続けている乗用車が襲い掛かる。
シュルッーッ!必死にバンクさせたFZRのリアタイヤと乗用車のリアタイヤがギリギリの所で空気摩擦らしき音を立てて危機一髪の所で追う男は切り抜ける。
(駄目だ…これ以上は… 敵わない…)追う男はSRXを追うのを諦めゆっくりと椿ラインを進み出した…
「化け物め…」追う男は山肌に埋め込まれた椿を見ながらヘルメットの中で呟いた。
追う男は椿ラインを走るには無知すぎた。ここは馬力でもなくスピードでもない。人馬一体となった者だけが椿の女神に微笑を貰える事を…
≪椿ライン≫
そこは人を魅了してならない悪魔の誘惑。そこは人を奈落の底に叩き落す魔の領域。そこは人の感情を剥き出しにする獣道。
一筋の光明から現る椿の女神に微笑まれた者が最速を許される一握りの栄光。
人は言う。椿の女神に愛された漢の名を≪椿翁≫と…
552 :華 :2007/02/26(月) 20:22:36 ID:y7RrCsp9
翁は椿ライン終わりの緩やかな右カーブを下り終え、SRXを民家の横にちょこんと止めて愛用のパイプを懐から取り出した。
(新しい世代がバイクに乗り始める…また私は伝えねばならん…私がバイクを降りるまでずっと…そうでしょう、あなたもそう思うでしょう…)
ジッとグローブの椿を見つめ、白い煙をフゥーっと吐き出す。
(バイクは楽しみながら乗るんだ!ってあなたは良く言ってましたね…私は今でもバイクが楽しいですよ。)早朝の蒼い空を見上げ白い煙をゆっくり吐き出した。
空にはこれから入道雲にならんとばかりに、高く高く雲が昇りはじめていた。
ヴォオオオオン…追う男のFZR1000が翁の前にピタリと止まる。 (ん?誰だ?彼は?)不思議そうにFZRに跨る男を覗き込む。
(クソォ…こんなジジイに…完敗…だぜ……化け物め…)男は翁の顔を見ては直ぐに伊豆方面へと消えていった…
(はて…?何方だったか…?いかんな、歳をとると…)苦笑いをしながらSRXに跨り、翁は箱根をグルッと周り東京へと帰って行った。
――そんな一方的な追う男のやり取りがあった一時間後に、朝日ヶ丘駅で花子と早川は数ヶ月振りに顔を合わせ合宿へ向かうのである――
666 :華 :2007/03/04(日) 20:33:10 ID:RYUfhY0h
合宿へ向かう朝6時に朝日ヶ丘駅で待つ早川さんに「久し振り〜」と声をかけた。
「えっ?えっ?えっ?は、花ちゃんなの?!」と驚いた表情が印象的だった。
それもその筈で私の身長は5cm伸び、海鮮組で鍛えた筋細胞は背中の背脂が取れてうっすらと筋肉の筋が見え始め、豚乳の様に垂れ下がっていた段々腹は見事にペッコリとへこんでいた。
それだけではない。ぶよぶよだった両腕の肩から手首までは筋肉の筋に覆われ、豊作だった大根足はスラリと細くなり全体的にスラリとした体型になりつつあった。
なにより炎天下で海鮮組の受け持ちであるメイン通りの続きを進行する作業で小麦色に肌は焼けていた。
外見で変わらなかったのはコンプレックスの豚鼻くらいだろうか?早川さんが唖然とする表情に可笑しくなった。
「グフフ、ビックリした?」と自慢気にクルリと一回転して見せた。
「背は伸びるし…凄い痩せたし…小麦色だし…」目を丸くして早川さんは驚く。だが、時間があまり無い事に気付いたのはそれからだった。
急いで電車に飛び乗り、蒸し暑さが増す電車で上野駅へ向かう。
上野駅発の電車に乗り、向かい合える4人席に二人で荷物を横に置いて腰掛ては朝食の駅弁を広げた。なんだかやっと落ち着ける感じで安堵した。
667 :華 :2007/03/04(日) 20:33:48 ID:RYUfhY0h
「花ちゃん、すっごいカッコ良くなった〜 体が引き締まってるよ」と数ヶ月の勉強と土日の過酷な労働の結果の肉体を眺めていた。
「今ね、メイン通りの続きやっててねぇ〜 あの道路、春には環八まで繋げるそうよ。」と今のアルバイトの話などして2時間以上かけて那須まで電車に揺られる旅が始まった。
「ふふふ、実は私もバイクの練習したんだ〜」そう早川さんが言い出した。「えぇ〜!ポケベルじゃ言ってなかったのに〜」と私は少し驚いた。
早川さんもアルバイト先の店長のバイクに乗せてもらっては練習を毎日行っていたらしく、この日まで黙って私を驚かせたかったらしい。
私と同じ様に普通に運転できるらしく教習所は余裕かなぁ〜なんて冗談を言いながら電車に1時間は揺れていた。
気温は徐々に上がり始め、窓から見えるアスファルトから陽炎がゆらりと見え始めてくる。田園地帯に入れば蝉の大合唱が始まり向日葵が鮮やかな花びらを陽に浴びせ金色に輝く。
私達の額からはうっすらと汗が出始めていたが、お互い話が尽きる事無く楽しく時間は過ぎて行く。
「そう、中島君いるじゃない?大学の推薦固いらしいわよ。」と早川さんは羨ましそうに言った。
「いいなぁ〜 私も大学行けるといいな。早川さんは何処へ行くつもりなの?」と聞いてた。
「私、美大に行きたくって。行ってみたら楽しそうだなぁって思ってね〜」窓枠に肘をあて、掌に顎をのせて流れる景色を見つめながら答えた。
(今…花ちゃんには言えないっか… あの3人が中型免許取得してバイク買った事…)早川は景色を見ながらそう考えていた。
「ねぇ?花ちゃんバイク何買う?」そう早川さんは私に聞いてきたが、私は正直何にするか決めていなかった。
「ん〜…まだ決めてないのよ。早川さんは決めたの?」私が言うと、待ってましたと言わんばかりの笑顔で早川さんは答える。
「へっへ〜ん!YAMAHA・TDR250〜」嬉しそうにはしゃぎ出した。
「えぇぇぇぇ?!T…TDR!?」私は驚きを隠せなかった。
668 :華 :2007/03/04(日) 20:34:26 ID:RYUfhY0h
[YAMAHA・TDR250 形式2YK]
デュアルパーパスモデルの新境地をフロンティア精神でYAMAHAが世に送り出した一台。
TZRと同じパラレルツインのパワーユニットを搭載しギア比を低速よりに設定した。ダートなどの走破性はもちろんの事あらゆる場面で乗れる一台に仕上がっている。
だが、当時のライダー達には風当たりが厳しく「先読みしすぎたモデル」などと言われた名車でもあり迷車でもある。独特のフォルムが際立つがクロスチャンバーが印象的な車輌でもある。
水冷2stクランクケースリードバルブ並列2気筒で45ps 249cc この物語で早川が搭乗するTDRのカラーリングはブルーとなる。
「だぁ〜って〜 かわいいじゃない?あのヘッドライト〜 色はもっちろんブルー!」無邪気な笑顔で語る早川さん。
早川さんのセンスは何処か人とは違うという事を改めて考えさせられた一言だった。
「あ、あのバイクってフロントアップ凄いらしいわよ?」と聞けば「そこがいいのよ〜」と目が明後日の方向へ向き出していた。
(だ、駄目だわ…もう完全にTDRの世界に浸ってる…)私はひしひしと感じていた。
だが、早川さんのこの選択は決して間違いでは無かった。身長が高く足の長い早川さんは後にTDRと共にぶっちぎりの速さを身に付ける事になる。
「でね、実は…もうポップさんにTDR予約してきちゃった」キャハッと言わんばかりのハイテンションで早川さんは言う。
「でも大丈夫!納車は花ちゃんと同じ日にするから」そう言う早川さんに少しばかり照れ臭かったが嬉しかった。
遂に早川さんはバイクを決めた。だが、私はまだコレといったバイクがないのが正直な所だった。
しかしバイク購入代金の一部は、ブカブカになった服が着れなくなった為に衣類を新調するのにお金をある程度使わなければならなかった…
免許取得後はバイトを増さなければ、と私は考えていた。
669 :華 :2007/03/04(日) 20:35:03 ID:RYUfhY0h
早川さんのTDRカミングアウト話から那須の教習所まで早川さんのTDR話で独壇場となるも嬉しそうに話す早川さんを見ていると私まで嬉しくなっていた。
私は何に乗ろうか?と悩んでいるも田園地帯の真ん中に佇む教習所に辿りついた。
入校手続きや宿泊施設の案内をされた後、所長の何度も同じ事を繰り返し延々と続く内容を聞き終え、私達の中型免許合宿が始まった。
やはり同世代で圧倒的に多かったのは自動車免許取得希望者が200名近くで、普通自動二輪取得希望者は私達含め40人ほどであった。
いよいよ私達はバイクの免許取得への一歩を踏み出していた。白く高く、上へ上へと入道雲が昇る夏の空を見上げ私達の高校3年生の夏休みが始まった。
そして…私はこの合宿で忘れかけていた「正義感」を取戻し、未知なる世界のジグソーパズルへ「正義」という名のピースをはめ込む事になる。
769 :華 :2007/03/10(土) 23:51:29 ID:703PUfi+
私と早川さんは2人部屋の相部屋となり早速初日から学科の授業がはじまる。
普段の学校の授業とは違い集中して聞くことが出来た。
なにより文学さんから教えられた勉強の仕方が身に付き始めた私にはスイスイと頭に入り込んでいく。
実技の車輌は幸運な事に乗りなれたゼファー400で、早川さんも難なく乗りこなし一日一日とゆっくり時間は過ぎていた。
炎天下の中での実技。それはもう日射病になってりまうのではないか?という程の暑さが襲ってきていたが、バイクに乗れるという事柄がそんな苦しさを払拭させてくれていた。
順調に進み合宿生活にも慣れ卒業まで残り2日という所で事件が起きた。
私達はその日の学科と実技を全て終え、大食堂で夕食を食べていた。
「なぁ?あそこの二人いるじゃん? あの背の高い方可愛くねぇ?」と指を隠しながら男は早川を指差す。
「だよな。あれってバイクの教習生だろ? たしか…早川って名前だったな」もう一人の男は答えた。
「じゃぁそろそろ卒検で居なくなっちまう前に声かけとかねぇか?」そう提案していた。
「でもよぉ〜 あの取り巻きの女さ 花沢だっけ? 遠目はいいんだが近くで見るとスゲー鼻してんじゃん?」笑いながら男は言う。
「うははは、確かにな 見返りブスってとこか?」と花子を見て笑い出した。 だがこの事に花子はまだ気付いていなかった。
「じゃぁよ どっちかが早川に声かけて、ハズレた方が花沢を引き離すって方向でってのはどうよ?」
「恨みっこなしだぜ?」そういいながら二人はジャンケンをし、話がまとまり花子達へと向かい出した。
770 :華 :2007/03/10(土) 23:52:06 ID:703PUfi+
私達がいつも通り大食堂で食事をしていると普通免許取得希望者らしき男二人が声を掛けてきた。
「ねぇ〜?君達どこから来たの?」と一人の男は気安く早川さんの肩を触りながら声を掛けた。その行為に対し早川さんは嫌がっていた。
「おいおい〜! だんまりは勘弁だぜ〜?」ともう一人の男が言う。
「あの?気安く触らないでくれませんか?」そう早川さんは言い男達を睨み付けた。
「ヒュー! おっかないねぇ〜! 折角の美人が台無しだよ〜」と舐めた口調で一人の男が言い出した。
そんな調子で一方的にアレコレ質問攻めする男達に早川さんは嫌がっていた。そんな彼女を見兼ねて私は「ねぇ?アンタ達!嫌がってんのわかんない?」と言ってみた。
どうにもこうにも嫌がる早川さんに苛立ってきたのか、男達の苛立ちの矛先が私に向かってくる。
「おいおい!豚鼻はちっと黙ってろよ!」そう男が言い出すと早川さんの顔が青ざめる…
「花沢だっけ?お前? 今からお前、豚沢だ…ぐぺぇっ!!!!!」そう言い放った男の口から唾液が中を舞う…
―――無意識に花子は一人の男の胸ぐらを掴んで片腕一本で吊るし上げていた―――
771 :華 :2007/03/10(土) 23:52:43 ID:703PUfi+
「アンタ…今、何て言った…?」ギューっと胸ぐらを掴む拳の血管が浮き出てきた。大食堂は騒然となり、ピタリと静まり返り、生徒達はその様子を戦々恐々と見つめていた…
「て、てっめ この豚沢! はなしやが…ぐぁぁ…」花子の拳の握力が更に増す。
「は、早く謝りなさいよ!」と早川は声を大にして吊るされた男に言うが男の耳には聞こえていなかった。もう一人の男はその壮絶な光景にヘタッと腰を抜かしていた…
「こ、このアマ〜」そう男は花子の腕を掴もうとするが、あまりの握力から花子の腕を触る程度の力しか入らなかった。
「…………」花子は暫く沈黙をする。大食堂で食事をしていた他の生徒達は固唾を呑む。
「クソアマ…」そう男は茹で上がった蛸の様な真っ赤な顔で抵抗した時だった。花子は一旦男を床へおろした。
「ごほっ!ごほっ!」と男はうずくまりながら咳き込み「このアマぁぁ!!!」とうずくまりながら言い放つ。
花子は眼下に広がる男の後頭部に真上から拳を振りおろし床に叩き付けた。男は唾液を出しながら気絶した。
もう一人の男はその姿を見て逃げ出そうとするもシャツを花子に掴まれる。「うわぁぁ!!!!」と男はなんとも情けない声で叫ぶ。
「待ちな…何か言う事あるんじゃないの?」そう逃げだそうとする男に言うも、あまりの恐怖に襲われた男は錯乱し始めた。
花子はそのまま右フックで男の左頬に拳をめり込ませると男は3,4メートルほど床にズサーっと流れる…
大食堂は騒然とし、生徒達は花子に注目していた。だが、花子は倒れこむ男達を黙って見下ろしていた…
暫くの沈黙が過ぎ「…部屋に…戻ろう…早川さん…」と花子は言い出す。それに答えるように早川は小さく「うん…」と頷いた…
二人は静まり返った大食堂を後にし女子寮の部屋へと向かい出した。
―――だが…花子達は部屋に戻るもお互い無言の時間を過ごしていた―――
871 :華 :2007/03/17(土) 22:24:23 ID:hTfBMScO
私はベットに横になり早川さんに背を向けずっと黙っていた…
何故黙っていたのかは、自分の事なのにわからなかった。早川さんは私を黙って見つめていたのが背中に突き刺さる視線で感じる事が出来た。
私は何故か早川さんを直視する事が出来なかった…
「さ、さっきは…ありがと…」そう早川さんが沈黙の続く部屋の中で、私に最初の言葉を切り出した。
そしてその瞬間何故早川さんを直視できなかったのかが理解できた。
私が力で男達をねじ伏せた事で、早川さんに嫌われてしまうのではないか?そういう気持ちがあったからだ。
私はそれでも早川さんに背を向けて黙る事しかできなかった… そしてまた沈黙が部屋を包んだ。
「最近の花ちゃん、やっと花ちゃんらしくなったね…」沈黙の続いた部屋で早川さんは淡々と語り出した。
あまりにも意外な言葉に私は振り返って早川さんの顔を覗き込んだ。私をジッと直視する早川さんの姿がそこにはあった。
「え?…」と重い唇を上げ私はそう呟いた。
872 :華 :2007/03/17(土) 22:25:04 ID:hTfBMScO
「ねぇ? 覚えてる?中2の時に3年生の番長みたいな人が、かおりにちょっかい出して花ちゃんがその人引きずりまわした事?」
そう早川さんは言い出す。 嗚呼、そんな事もあったなぁと昔を思い出し「覚えてるわよ」と答えた。
というのは中2の頃、私達3人組が廊下で話している時に3年生の番長らしき男がかおりの事が好きだったらしく、ちょっとした嫌がらせをしていた。
まるで小学生が好きな子に悪戯するような感じだ。
かおりはその行為に嫌がっており、ガキくさい3年生の番長を私が捕まえ廊下を引きずり回した事があった。
「今日のね、花ちゃん見てあの事思い出しちゃったんだ。」そう早川さんは瞳を真っ直ぐ向け私の顔を見る。
まさか合宿のこの場所で「かおり」の話になるとは夢にも思わなかった私は早川さんの話に耳を傾け始めた。
「高校生になってから、なんだか花ちゃん元気無く見えちゃって。でも今日の花ちゃん見てちょっと嬉しかった。」そう言い出した。
私は早川さんに嫌われてしまう…そう思い込んでいたが、意外な言葉ではあったが安堵した。
「かおり…なんで中学からあんなに変わっちゃったんだろ…」そう私は言いだすと「私もよくわからないの…でも急に変わった様に思うな」と早川さんは答えた。
「そう?急に変わったかしら?徐々に変わった様に思うけど…」と私は言葉を返した。
(う〜ん…やっぱり番長引きずり回した時から変わった様に思うけど…)そう早川は口をとがらせて考えていた。
コンコン… ドアをノックする音が聞こえた。
873 :華 :2007/03/17(土) 22:25:43 ID:hTfBMScO
早川さんがドアを開けると女子寮の生徒達がドッと押しかけて来た。
「あ!あ!あのっ!あいつ等やっつけてくれてありがとう!!ホントにスカッとしました!」一人の生徒がそう言い出した。
話を聞く所、どうやらあの男二人組みは手当たり次第に声を掛けてきてしつこくベル番を聞いてくるらしく、そのしつこさに皆嫌がっていたらしい。
「そ、それで、私達食堂のおばちゃん達に事務所に報告しないで!ってみんなで頼んでおきました!」
そうだ…アレだけの騒ぎを起こしたんだ…退学もありうる話を彼女達は私をかばってくれたのだ。
「ありがとう…ホントにありがとう…」そう私は答えると彼女達も「いいんですよ」そう言いながら照れ臭そうな仕草をしていた。
「カッコよかったです! なんだか正義の味方にみえちゃって」「うんうん、カッコよかったですよ!」と嬉しそうに彼女達は私に言ってきた。
よかった… そう心の底から思えた。
次の日から何故か彼女達には「姉御」と呼ばれる様になってしまった… 例の男達は残り二日間私達のパシリになったのは言うまでも無い。
無論、あの事件のお咎めは一切無く、大食堂のおばちゃん達から「いい腕してんねぇ〜」とからかわれながらも楽しく過ごせた。
卒検も難なく二人共クリアし、無事に卒業して電車に乗り込み朝日ヶ丘へと私達は向かっていた。
私はこの合宿に来て良かったと思った。自分に欠け始めていた正義感を取戻したような感覚があった。
無論免許がもうすぐ取れるという嬉しさもあったが、何故だかこの時はこの感覚を忘れたくなかった。
そして未知なる世界のジグソーパズルの真ん中へ、今…「正義」のピースがはめ込まれた。
―――時を同じくしてPOPモータースでは…―――
田中がキャップのツバを片手で掴みながら困惑した表情で一台のバイクの前で座り込んでいた…
928 :華 :2007/03/23(金) 20:27:18 ID:uvedJEZm
「う〜ん……」悩ましげな表情を浮かべ田中は無精髭を左手で触る。
「やぁ!ポップ君。 ん?随分難しい顔しているね。」そういいながら一人の男がPOPモータースへ入ってきた。
「あ、先生。今日も浦野さんの所で夕刊を…ですか?」と着物を着た伊佐坂難物にお辞儀をした。
「自分の連載小説は気になるもんさ」と笑いながら伊佐坂は田中へ笑みを浮かべる。
「ほほぅ、88(ハチハチ)か」そう伊佐坂は田中が見つめるバイクを眺め始めた。
「え、えぇ…」と喉に物が詰まったような返事をする田中に伊佐坂は不思議がり「この88がどうかしたのかい?」と尋ねた。
「ふぅー! やはり先生には隠せませんね…」と苦笑いしながらキャップのツバをクイッと上げて白い歯を見せる。
「実はこの88自分の所で6軒目なんですよ」そう答える田中に「ふむ、どういうことだね?」と伊佐坂は質問した。
「先生は火野要人先生をご存知ですか?」と田中は伊佐坂に聞く。
「名前だけなら知っておるよ。議員選のポスターで一時話題になった方だったかな。その火野要人先生が88とどのような繋がりなのだい?」
「火野要人先生の息子さんがこの88を2000km程走った所でサーキットに持ち込んだみたいでしてね」と田中は答える。
「ほほぅ、息子さんの持ち物か…はて?6軒目というのは?」と伊佐坂は謎めいた問いに田中は答えだす。
929 :華 :2007/03/23(金) 20:27:58 ID:uvedJEZm
「えぇ、順を追ってお話しますと、息子さんが2000km走った所で筑波に持ち込みましてね。」
「レギュレーションはノーマルだったのですが、前日の練習走行終了後に息子さん自らクロスミッションと軽量フライホイールをコッソリ入れてしまったんですよ。」
「ふむ、ポップ君、確か入賞した時点でエンジンは…」と伊佐坂が聞く。
「えぇ、確かに入賞した時点で腰下まで分解しますが、このレースに至っては3位までの分解でしてね。どうやら練習走行で入賞すら危うかったのでしょうかね…」
「息子さんは4位狙いだったそうですよ。まぁ…自分はこういう行為は…」と答える田中に伊佐坂は頷く。
「でも不思議な事が起こりましてね。レース直前の軽い走行ではちゃんと走ったそうなのですが、スタート直後にエンジンが止まったそうなんですよ」
「ほほう…世の中ズルはできんね」と笑う伊佐坂。
「赤っ恥をかいた息子さんは近所のバイク屋にすぐさま売り払ったそうで…」と田中は少し呆れた表情で88を優しく見つめた。
「ふふ、ズルしてまでこの88は勝ちたくなかったんだろう」と答える伊佐坂に田中は「まさか…マシンがそんな事」と笑う。
「して、6軒目というのは?」と聞く伊佐坂に田中は「えぇ、実は売り払ってからの経緯が…」と言葉を濁しながらも語り始めた。
「それからなんですよ…この88が一度もエンジン掛からなくなったのは… で、先日5軒目のバイク屋の店主がどうだい?って格安で提示してきたので興味本位で仕入れてみたんですよ。」
「ほほう…それでポップ君から見てどうなんだい?この88は?」と伊佐坂は楽しそうな表情で田中に聞く。
930 :華 :2007/03/23(金) 20:28:39 ID:uvedJEZm
「えぇ…自分も最初点火系だと思ってアレコレやったんですがね。死んでないんですよ配線が。エンジンも分解してみましたが…」と田中は困った表情を見せる。
「ほぅ、ポップ君をそこまで悩ませるとは… はっはっはっ!」と伊佐坂は笑い出す。
「たらい回しにされた中で、あるバイク屋の店主が同じ88とエンジンだけ入れ替えて動かした事があったらしいんですよ」と田中は言う。
「ほう」と着物の袖に腕を通して田中の話を聞く伊佐坂。
「問題の88エンジンに実働の88とエンジン入れ替えてみて、問題のエンジンの方はやはり掛からなかったみたいでしてね…逆に実働のエンジンの方は問題の88電装系類で普通にかかるらしいんですよ」
「最初は直せなかった言い訳かと思ったんですが、試しにウチにあった実働の88で部品一つ一つ取り替えて試したりしたんですが…駄目でしたね」と田中は半分諦めた表情で伊佐坂に言う。
「ふむ…つまり火は飛んでるし電装系も問題ないわけか… エンジンも見てそれだと… う〜ん…」と伊佐坂も88を見ては悩み始めた。
「この88は間違いなく動く条件が全て整っているんです。でも動かないというのが悔しくて」と呟く田中に伊佐坂は嬉しそうに「ポップ君はバイクが本当に好きなんだね」と優しく言った。
「コイツは必ず動くはずです。動かない訳が無いんですよ。A machine does not tell a lie…」と呟いた田中。
「ん?なんて意味かね?ポップ君。」伊佐坂は田中の呟いた英語が気になった。
「”マシンは嘘をつかない”って意味ですよ。ウチのチームの監督がよく言ってました。」と田中は答える。
「ほほう…マシンは嘘をつかない…か…」と納得した伊佐坂は「この88もレースで嘘をつきたくなかったのだろうな」と88を見つめながら目を細める。
「ふふふ、小説家の先生らしい表現ですね」と少し伊佐坂をからかう。「はっはっはっ!これは一本とられたか」と笑う伊佐坂。
「さて、そろそろ私は浦野さんのところで夕刊を読むとするよ」そう言いながらPOPモータースを後に伊佐坂はすぐ近くの珈琲・浦野へと向かった。
931 :華 :2007/03/23(金) 20:29:22 ID:uvedJEZm
田中はショールームの角にある事務机の椅子に腰掛ては88を眺め出した。
(しかし…お前も可愛そうなマシンだね。先生の言われる通りレースでそんな勝ち方をしたくないものな…)と88を優しく見つめた。
(大丈夫だ。自分が、自分が必ずお前を動かしてやるさ。もう少し辛抱してくれよ。きっとお前の望む真っ直ぐな心のオーナーが現れてくれるさ)そう思い机の写真立てを眺めた。
その写真には『Team Dolphin』と書かれた旗を立てかけ、その旗を囲むように様々な人種が輪を描いて肩を組み笑顔でポーズを取っていた写真だった。
無論、その輪の中には若かりし田中の姿もそこに居た。
「A machine does not tell a lie…か…」そう呟いた田中は88年式NSR250Rを作業場へ運び気合を入れ始めた。
[HONDA・NSR250R 形式MC18]
HONDAがRS250RWをベースに誕生させたマシン。PGMキャブレターUや5角断面スイングアームなどで前モデルから大幅に運動性能を向上させた。
リアタイヤもワイド化されラジアルタイヤを装着している事もさることながら、当時もっとも話題になったのがピーキーなエンジンパワー。
配線一本にてフルパワーを発揮し60psとも噂されたが実際のパワーは55ps前後。
この事実が世に明るみになるとYAMAHA・SUZUKIなどの消費者団体からレギュレーション違反だとのクレームが殺到した。
しかし当時のライダー達はこのピーキーなエンジンパワーに魅せられたのは言うまでも無く歴代NSR最強と噂されてはいるが後の形式MC21も最強形式と言われるほどでHONDAの技術力の高さを崇拝するライダーは多い。
水冷2ストクランクケースリードバルブV型2気筒・249cc・45ps この物語でのカラーリングは赤白の赤テラ。クロスミッションと軽量フライホイールが装備されているがエンジンは原因不明の不動車である。
余談ではあるが88(ハチハチ)とは88年式の呼び名で一部のレース関係者ではパッパーなどと呼ぶ人が居るほど愛されたマシンでもある。この物語では一般的な88(ハチハチ)と呼称する。
42 :華 :2007/03/30(金) 20:11:44 ID:ve3RS5tK
合宿卒業から次の日、私達は免許センター職員の何度も同じ事を繰り返し延々と続く内容を聞き終え、免許が配布された。
早川さんは配布された免許証を見るなり「えぇー!私こんな悪人顔じゃないよ〜」と苦笑いする。意外と私の写真はそのままの私で撮られていた。
「それでは皆さん、無事故無違反で良いバイクライフを楽しんで下さい」という職員のセリフと共に二輪免許取得者達への免許交付が終了した。
私達二人はすぐさま電車に乗り込み朝日ヶ丘へと向かう。
「花ちゃんこれからどうするの?」何度も免許を眺める私に早川さんが聞いてきた。
「う〜ん、まずはとおちゃんに免許見せてから海鮮組のみんなに免許見せてくるわ」胸躍らせながら答えた。
「それじゃ、私も両親に見せたらマスターの所にいくね〜」早川さんは嬉しそうに言う。彼女も私と同じ様に何度も免許証を出したり、しまったりしていた。
「うん、じゃ私も終わったらマスターの所行くわ。久し振りにアップルパイ食べたいし」という私に間髪入れず早川さんは言う。
「ふふふ、実はね〜!マスターお手製のフレンチトーストがメニューに加わったんだよー!」その笑顔から新メニューの美味しさが伺えた。
「ああっ!そっか!8月からお店閉めてるんだったっ!」と慌てて早川さんは言う。 そういえば前にマスターが8月はお店閉めてバイクで旅に出るという事を思い出した。
「今年は北海道行くんだって!北海道よく行くらしいわよ〜」羨ましそうに早川さんは言う。
「それじゃ!ポップさんの所に行こう!もうTDRあるハズだし!」無邪気な笑顔で早川さんが提案し、私も用事が済んだら向かう事にすると伝えた。
私が高校三年の一学期に猛勉強とアルバイトの生活をしている間も早川さんは「珈琲・浦野」と「POPモータース」へ遊びに行っていた。
聞くところによれば新メニューのフレンチトーストも私達が合宿に行く前にメニューに加わったとの事だ。お手製のフレンチトーストは暫くおあずけとなってしまった…
43 :華 :2007/03/30(金) 20:12:21 ID:ve3RS5tK
一度早川さんと別れ自宅に駆け足で戻り父に免許を見せた。
「おぉー!取ったか!やはり合宿は早いね」いつもの優しい眼差しで喜んでいた。「花子、田中さんの所でバイク買うのかい?」二言目に父はそう聞いてきた。
「うん、そうしようと思ってるよ」と答えれば「そうか、そうか」といつもの調子で笑顔を見せる。
「これから海鮮組に行ってくるね。今日帰り遅くなるから」と元気良く事務所を飛び出れば父は「行っておいで」と嬉しそうに見送ってくれた。
海鮮組事務所に到着しドアを勢いよく開けて「こんにちは〜!文学さんいますか〜?」と声を出す。
幾つか並べられた事務所の机には事務員の貝塚さんと鮫肌さんの二人が居た。
「文学なら横浜の実家に帰ったよ」本を読みながら鮫肌さんはそう答える。鮫肌さんの手に開く本の表紙を見れば銀河鉄道だった。
私が本のタイトルに気付くと貝塚さんはクスクスと小さく笑い出す。
「バ、バカヤロ!そ、そんなんじゃねぇよ!」と顔を赤らめ照れ臭そうに言う鮫肌さん。貝塚さんは更にクスクス笑い出す。
「ち、ちげぇーよ!アイツに読めて俺に読めねぇ訳がねぇじゃねぇーか!」真っ赤になった顔で必死になる鮫肌さんに「グフフ」と笑ってしまう。
あの一件以来二人はよく喧嘩するものの、なんやかんやと仲がよく鮫肌さんがよく文学さんの面倒を見ているのを仕事中によく見かけた。
「おぅ!花じゃねぇか!」タオルで汗を拭きながら事務所に入ってきたのは海親方だった。
「免許取れたんか?見せてみろ」海親方が言うと私は待ってましたと言わんばかりの速さでスッと差し出す。
「だっはっはっはっ!いい女に撮れてるじゃねぇか!良かったな!」と豪快に笑いながら免許を眺めた。
44 :華 :2007/03/30(金) 20:12:58 ID:ve3RS5tK
その後貝塚さんからお茶を頂き、雑談を終え私が帰ろうとすると海親方が私に言う。
「花、おめぇ田中んところでバイク買うんだってな!こないだ初めて会ったが、アイツぁ芯のふてぇ男だ!よ〜く面倒見てもらいな」と言う。
私は「はい」と答え事務所を後にし「POPモータース」へ向かった。
メイン通りを歩く。海鮮組の工事進行状況を見ながらポップさんの所に足早に歩いた。
工事途中の道路には車がすし詰め状態で渋滞になっている。そんな車の渋滞をすり抜けるように原付や大型バイクが走り抜けてゆく。
まだ今年出たばかりでピカピカの「GSX400S」も環八へと駆け抜けていった。
この「GSX400S」の乗り手が後に≪銀色の傭兵≫と呼ばれ無数の傷をカウルに刻み、私達の前に現れる事になるが私はこの時知る由もなかった…
メイン通りから細い路地へと曲がりPOPモータースに到着すると店の前には翁のSRXが置いてあり、店内には早川さんと翁が覗き込むように奥の作業場を見ていた。
そっと後ろから声を掛けると「おぉ!花沢君、免許取ったんだってね。おめでとう」と翁が笑顔で言うと奥からポップさんの声がし「よっし!後は始動だけだ!」という声と共にバイクを押してショールームにやって来た。
この瞬間、未知なる世界のジグソーパズルにひとつ、ふたつとピースがはめ込まれ、最後のピースを今これからはめ込もうとする私の姿がそこに居た…
53 :華 :2007/03/31(土) 20:01:45 ID:sEJDhgQs
「あ!花ちゃん、意外と早かったね!」と早川さんが小さく手を振り声を掛けてきた。
「うん、急いできちゃったっ!」と答えると奥の作業場からポップさんが一台のバイクを押してショールームにやってきた。
―――…ドクン…――…ドクン…―――
「ふぅ、後は始動させてみてエンジンが掛かるか、という所ですね」と田中は楽しそうに88年式NSR250Rを眺める翁に言った。
「ふふふ、きっと動くさ。しかし…この88の加速は相当なモノじゃないのかね?」と田中に聞く。
「えぇ…コイツは暴れ馬ですよ」と笑いながらキャップのツバをクイッと上げた。
「あ、花沢君いらっしゃい!って…随分痩せ…た… あ、あれ?どうしたんだい?」と花子の様子がおかしい事に気付く。
「あれれ…?花ちゃんどうしたの?」早川は花子を心配し顔を覗き込む。
―――…ドクン…――…ドクン…―――
私は目の前のNSRに魅了されてしまった…
赤白のボディーのアンダーカウルからテールカウルまで、空へと突き刺すようなライン…
丸みを帯びたフロントカウルは時代を感じさせるも何かを感じさせる圧倒的な存在感…
言葉が出なかった…
当時何処を見てもNSR一色で別段NSRなんて珍しいバイクでもない。ましてやこの赤白の88年式だって私は間近で眺めた事もある。
だが、何故か…何故か目の前のNSR250Rに心惹かれる感情が湧き出てしまった。
―――…ドクン…――…ドクン…―――
54 :華 :2007/03/31(土) 20:02:23 ID:sEJDhgQs
「私が…私がエンジン掛けます」このNSR250Rのオーナーでもないのにも関わらず私は大胆にもポップさんに強く要望した。
「あ、あぁ…そ、それは構わないけども… ふふ、気に入ったのかい?」と嬉しそうな顔で田中さんは私に聞いてきた。
「この子が…」私は理由にもならない不明な言葉を発しながらNSR250Rに跨る。
―――…ドクン…――…ドクン…―――
「え?ど、どうしたんだい?さっきから?」と少し心配するも笑いながら田中は花子に聞くも、花子には聞こえていなかった。
花子はおもむろにキックアームを開き右足を乗せる。キーをクルッと捻る。 そして一気に花子はキックアームを踏み下ろした。
パスン…
なんとも気の抜けた音だけがショールームに響き渡った。
「ふむ…どうだか…」そう翁は呟きながら懐からハンカチを取り出し眼鏡を拭いた。
「は!花沢君!もう一回、もう一回キックをおろすんだ!」田中は花子に声を大きくして伝えるも花子は微動だにせずジッと計器を眺めていた。
「花ちゃん、もう一回!もう一回!」と無邪気に様子を伺う早川。
そんな三人のやり取りさえ今の花子には見えていなかった…
―――…ドクン…――…ドクン…―――
私はNSR250Rの計器を眺めていた。そして周りの声や音が全く聞こえなくなっていた。
そんな状況で計器を眺めれば耳鳴りがキーンとしてくる。
人間が全く音の無い部屋に数分も居れば耳鳴りがするという状況を、このショールームで体験していた。
ポップさんがなにやら私に話しかけているのが雰囲気でわかったが何を言っているのか聞こえなかった。
55 :華 :2007/03/31(土) 20:02:58 ID:sEJDhgQs
その時だった。タコメーターの針が2,3ミリ程ピクンと動いた様に見えた。有り得ない話だ。
私がキックを下ろしてから随分時間が過ぎたように思う。何もアクションを起こしていないのにタコメーターの針が動くなんて有り得ない事だ。
だが、私はこの時無意識に「そう…」と小さく呟いてキックを優しく踏み下ろした。
ヴィィイ゛イ゛イ゛イ゛とチャンバーからもの凄い量の白煙と共にNSR250Rが咆哮し、その白煙はショールームを覆う様に広がっていった。
「おぉ!掛かった…か…」そう翁が呟いたのが聞こえた。不思議と耳鳴りは治まり、みんなの声がハッキリと聞こえてきた。
「ふぅ、凄い白煙だ」笑いながら換気の為にショールームのドアや窓を開けた。
「すっごい!凄い!花ちゃん凄いじゃない!」そう早川さんは驚いた表情を見せた。
「そ、そう?そうなの?」と近寄ってきた早川さんに私は尋ねた。
「そうだよ〜!これ、ず〜っと動いてなかったんだって!」そう言う早川さんから、このNSR250Rの経緯を聞いた。
「ふふ、ポップ君 88は花沢君を選らんだんだね。」そう翁は言いながらポップさんの肩をポンと叩く。
「まさか、マシンが人間を選ぶなんて」と、まんざらでもない笑顔を浮かべて翁に言葉を返すポップさん。
「どうだい?その88気に入ったかい?」優しく無精髭を触りながらポップさんが聞いてきた。
「88?(ハチハチ)」私はその言葉が気になった。
「あぁ、88ってのは愛称さ。88年式だから88って呼んでいるんだよ」キャップを被りなおしてポップさんは答えた。
「私、この88がいいですっ!」とアクセルを捻りながらポップさんに言う。88も答えるように咆哮を上げる。
「はははは、元気いいじゃないか!」笑いながらポップさんは右手でOKサインを見せてくれた。
56 :華 :2007/03/31(土) 20:04:05 ID:sEJDhgQs
「やったー!少しアクセル回してもいいですか?」と聞けばポップさんはヤレヤレといった表情を翁と早川さんに見せて「いいさ」と答える。
私は88のアクセルを更に捻った。腰下から感じるクランクの鼓動。アクセルを捻れば応える様に反応するタコメーターの針。
ハンドルから神経が伸びたかの様な感覚でフロントカウルからテールカウルまでの端から端まで神経が通うかのような感触。
「この子は…生きてる…」そう呟いた。
「ねぇ!ポップさーん!私のTDR、TDR〜」と駄々をこねた子供の様にポップさんにせがむ早川さんの姿を見て、一度88のエンジンを切った。
「はははは、そうせかさない、せかさない」と大笑いしながら奥の作業場から真新しいブルーのTDRを引っ張ってきた。
「キャー!カワイイー!」と歓喜する早川さんの姿を見て一歩後ずさりするポップさん。そんな姿を見て翁は笑い出す。
「私もエンジン掛けていいですか?」と聞く早川さんにヤレヤレといった表情を私と翁に見せて「いいさ」と答える。
見事に一発でエンジンを掛けてタンクを撫でる早川さんの姿を見て本当に嬉しそうだなと皆感じた。
私も早川さんも愛機が決まり納車へと話は進んでいった。
「う〜ん、早くても来週末くらいになっちゃうかな」とポップさんが言えば「じゃぁ、土曜日納車でお願いします!」と早川さんが答える。
「あ、ゴメンね。来週の土曜日はちょっと出かけるんだ。日曜日でもいいかい?」とポップさんは聞いてきた。
「はい!」と声を揃えて私達は答えた。
「それと、保険だけども必ず任意保険は入って貰いたいんだ」と言うポップさんに翁は頷く。
任意保険加入の説明を受けて私達二人は任意保険加入用紙に記入した。
「あ、あの、それで私の88の値段はいくらになるんですか?」と恐る恐るポップさんに聞いてみた。
「元々不動車だったしね。中身はまだ2000kmしか走ってないけど安くしてあげるさ。」と言いながら電卓を叩いて表示してくれた。
その額へは新調した衣服類の値段分が足りず、どうしようと困れば「足りない分は後ででもいいさ」と笑いながらポップさんは応えてくれた。
57 :華 :2007/03/31(土) 20:04:45 ID:sEJDhgQs
正直この価格は嬉しかった。なんとか今月末に入るアルバイト代でなんとかなりそうな額だ。
「それとお願いがあるんだけども、暫くの間は週に一度必ずウチに来て様子を見させてもらってもいいかな?」とポップさんは私に聞いてきた。
「はい」と答え私はバイク購入用紙にサインした。
「やっとバイクに乗れる〜」と嬉しそうにはしゃぐ早川さんに翁が「よかったね」と優しく微笑みかける。
「あの子にうまく乗れるかしら…」そう不安そうに思ってしまい私は腕を組んだ。
「はははは、大丈夫さ。僕の後ろにいい先生が優しく指導してくれるさ」と右手の親指を立ててクイッと翁に向ける。
「はっはっはっはっ!ポップ君は本当に神経が図太いね」と大笑いする翁の姿が印象的だった。
「わかったよ。ポップ君。私が二人にキッチリ交通社会を教えるとしよう。」そう応え、ポップさんはキャップのツバをクイッと上げて「お願いします。」と笑顔で言葉を返した。
私達は嬉しくなり翁へ「お願いします!」と元気に言うと「はっはっはっ!結構!結構!」と翁として出会った頃と変わらぬ笑い声で返してくれた。
「それじゃ来週の日曜日から都内を少しずつ走ってみるか。」そう翁が提案し話は進んでいった。この日だけは海鮮組のアルバイトをお休みさせて貰うようにしようと思った。
高校二年の終わる頃に私を助けてくれた異形の者であった翁から、バイクの楽しさを教えて頂ける事になるとは夢にも思わず嬉しくて仕方がなかった。
嬉しさのあまり私は再び88に跨った。
未知なる世界のジグソーパズルに最後のピースをはめ込む。
そのジグソーパズルにはHONDA・NSR250R88年式に跨り、青空へと駆け昇る私の姿が映っていた。
この瞬間 NSR250R88年式と共に「花」から「華」へと昇華する物語の歯車がゆっくりと回り始めた。