小さな恋物語
トップ > 2ch関係 > 三河屋 > part2-13 小さな恋物語
618 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 22:59:19 ID:n5Jgtl5I
窓から入ってくる光の眩しさに目が覚める。時計を見ると9時を過ぎたあたりだ。
ホテルの食堂で食事を取り、一旦部屋に戻る。
バックを開け、明日の見合いで着る服をクローゼットに移し始める。
ジャケットはアイロン、パンツはフロントよりプレスを借り、皺を伸ばすのも忘れない。
ジャケット、パンツ、シャツと移ったとき、シャツに珈琲の染みがあることに気付いた。
珈琲を飲んだ後の後始末を怠った時にでも付いたのか、左胸のあたりに染みがついている。
「気を付けていたつもりだったんだけどな」
きれいなシャツが今着ている一枚しかないのに気付く、背広に慣れる為に背広で寝ていたのだ。
「昨日の時点で気が付いていればこっちを着て寝たんだけどな」
替えのシャツは一着だけで良いだろうとタカをくくっていた。
今着ているシャツをホテルで洗ってもらい、明日着ていこうと思っていたのだがそれでは今日着るシャツが無い。
入社してからついこの間まで、研究室ばかりで着衣に気を払わないないツケがここで出てしまったようだ。
それにしても、東京−福岡間のツーリングで何度も飲んだ珈琲がこんなアクシデントを起こすとは。
今着ている服も手入れしておこう、こう皺くちゃでは格好が付かない。
619 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:00:06 ID:n5Jgtl5I
「シャツを買わなきゃな」誰も居ないのに思わず声に出てしまう。
ここ数年で一人で居る時間が減ってしまった所為か、沈んだ声の独り言が嫌に耳につく
隣にいつもの親友が居ないことに何故か寂寥感を感じてしまう。
見合いは明日だ、ショッピングという良い暇つぶしが出来たと思えばこのアクシデントも悪くはないかと思い直す
初めて来た土地なので土地感が無く、フロントでシャツの売ってある場所を聞く。
「ここらでシャツを買うにはどこに行けば良いかな?」
ホテルマンが言うには、丁度このホテルは福岡の繁華街である天神の中心街から近く、シャツを手に入れるのに苦労はしないようだ
621 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:01:13 ID:n5Jgtl5I
天神の中心である西鉄福岡駅へ向かう為、ホテルから出て横断歩道にて信号を待つ。
空を仰ぐ、雲一つない抜けるような青空だ。今日は蒸し暑くなるかもしれないな。
ビルが邪魔をするので空を見つけるには上を向かねばならない。
福岡は日本でも有数の都市であることを思い出す。
看板を見るに、横断歩道を渡ってすぐはカメラ屋か・・・・・使い捨てカメラでも買って、帰り道に写真でも撮ろうかな。
東京と違い、どこから沸いたのかと言うほどの人は居ない。多過ぎず、少な過ぎず丁度良い人ごみだ。
住むのには丁度良さそうな都市だなと思う。
信号を待つ人の中に違和感を感じた。ふと目を向けてみる。
白いブラウスに黒いスカート黒いベストの装いの女性がスクーターの横に立って何かしている。
信号待ちの間に見ていると、キックでスクーターのエンジンを掛けようとしているようだ。
その割に一向に掛からないようで、とうとうスクーターの脇にしゃがみ込んでしまっていた。
少し気になり女性に話し掛ける。
「どうかしましたか?」普段の自分を考えれば、女性の隣にバイクがなければ絶対に出来ない行為だ。
622 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:02:26 ID:n5Jgtl5I
「さっきまで走っていたのに急に変な音がしだして」
「こんなこと初めてで」
「動かなくなったんです」
「どうしたら良いのか分からないんです」
「エンジンが掛からないんです」
「買ってもらったばかりで」
まくし立てるように返事が返ってきた。
その勢いに思わず圧倒されてしまうが、聞こえた単語を整理すると今の話で大体見当がついた。
暇な事でもあるし、今は午前中であり時間はたっぷりとある。
「少し見せて頂けますか?何とかなるかもしれませんよ」
人生の中でスクータータイプは乗ったことがない。
周りにも乗っている人が居なかったので少し見てみたい気も手伝う。
イタリア製のベスパ、探偵物語の主人公が乗っていた物に似ている。同じ物だろうか?
623 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:03:22 ID:n5Jgtl5I
キルスイッチは・・・・OK、キーも入ってる、車体を前後に動かしてみる・・・動く、車体を振ってみる・・・音はしない。
キーを抜きシートを開ける、コックを回してガソリンの量を見る。
・・・・もう一回確かめる。
心配そうに見つめる女性を見て、いたずら心が湧いてきた。
深刻な顔で考え込むよう見えるように気をつけながら
「どのメーカーのバイクにも良くある故障だね、これになるとバイクは絶対に動かなくなってしまうんだ」
こう告げると女性の顔色が真っ青になり
「ど〜しよう〜父さんに怒られちゃう〜」とおろおろし始めた。
「どういう故障なんですか?直らないんですか?」
そう聞いてくる女性に、打って変わって明るい顔さりげない声で答えた。
「ガス欠さ、ガソリンがなくなっちゃったんだよ」
625 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:15:33 ID:n5Jgtl5I
「もう、意地悪な人ね。あなたって」
一転して顔が真っ赤になり、張りのある声で僕を責めてきた。
肩を叩いて来る彼女の仕草にもかわいらしさを感じる。
普段から活発な女性なのだろう、膨れっ面でもこんなに綺麗なのだから、笑顔も素敵だろうなと素直に思う。
「ちょっと痛いよ、お嬢さん。ホテルで最寄のガソリンスタンドを聞いてくるからちょっと待っててくれないかな?」
最寄のガソリンスタンドは、このホテルから南に向かって「国体道路」に出て右に行けば良いようだ。
「ガソリンスタンドの場所が分かったよ。このままじゃ動かないから押していってあげるよ」
そう言うと彼女は驚いた顔で
「仕事はいいの?近いんだったら自分で押していけるわよ」
背広を着ていたため仕事中のサラリーマンと間違えたようだ。
「仕事で来ている訳じゃないからね。今日一日は暇なのさ。それに、女性に力仕事をさせるわけにはいかないだろ?」
「来てるって、貴方はどこの人なの?」
「東京からね、野暮用で福岡まで来てるんだよ」
初対面の女性に、見合いで福岡に来ているなどと言うのも憚られた。
何よりこの女性は好みである。チャンスは残しておくべきだろう。
626 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:16:45 ID:n5Jgtl5I
「これが国体道路よ」
片側二車線の道路に出て右に曲がる。300mほど行くとガソリンスタンドが見えてきた。
「いらっしゃいませ」
店員が元気な声で挨拶してくれる。スクーターを押してきた為か続けて、
「何かトラブルですか?」と聞いてきた。
「ガス欠でね、満タンでお願いできるかな?」
「ベスパのP150Xですね。・・・・・確か2%の混合ですのでオイル代も掛かりますが宜しいですか。」
混合だったのか、こういう時は詳しい店員が居てくれて助かる。
「全部お任せして良いかな。出来れば給油の後に一回エンジンが掛かるか試してほしい。私は中で話しているから。」
「勿論大丈夫ですよ、終わりましたら前まで持っていきますので、少々お待ちください。」
627 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:18:32 ID:n5Jgtl5I
店内に入ると彼女は備え付けの椅子に腰掛けていた。
財布から小銭を出して自動販売機の前に立つ、珈琲は甘いジョージアしかないがしょうがない。
「お嬢さん、何か飲みますか?」
「お嬢さんと言うのは辞めてくださるかしら、
私には山野小百合と言う名前があるんですからね」
不自然に間があったけれど警戒しているのかな?
「これは失礼しました。それで、山野さんは何か飲む?」
「私も珈琲を頂きます」
自販機から2本の缶珈琲を取り出すと、店員がエンジンを掛けている姿が見えた。エンジンは無事に掛かったようだ。
・・・・・程なくして
「終わりました。エンジンも掛かりましたよ。それにしても、P150Xは81年に生産が終わっていませんでしたっけ?その割には随分綺麗ですね」
珈琲を山野さんに手渡しながら
「へぇ、随分経ってる割には確かに綺麗だね。新品で通用するくらい綺麗だから、全く乗ってなかったのかな?」
その言葉に、山野さんは少し頭に来たようだ。
「失礼ね、一週間前に買ってもらったばかりよ。操作に少し手間取ったけど、倒したりはしてないわ」
店員は車が入ってきた為、また表のほうへ出て行った
「ふむ、数年経っていてあの状態、ちょっとしたミステリーだね」
ちょっとからかう風な口調で言うと
「女性もバイクも秘密が有った方が魅力的なものよ」
「確かに」
思わず両者共に笑みが漏れる。
628 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:19:20 ID:n5Jgtl5I
笑い声が途切れると同時に会話が途切れる。僕は彼女を誘う次の手を考えていた。すると山野さんから
「バイクを押して来てくれたお礼しないといけないわね。」と言ってくれた。
義理堅い女性だな。しかし好都合だ、計画に修正を加える。
「山野さんはこれから時間はあるかい?明日の為にシャツが一枚欲しいのだが選んで欲しいんだ」
「私の見立てでいいの?」
「自分で見立てるより良さそうだよ。その服、似合ってるよ。」
629 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:24:15 ID:n5Jgtl5I
スクーターをホテルに置かせてもらって、彼女の提案で岩田屋に向かう。
・・・・・明日の見合いの場所は地下の食堂だったな。
デパートに入り、入り口の看板を見る。
紳士服売り場は4階か、エスカレーターで紳士服売り場に向かう。
4階に着くと、山野さんを先頭にシャツの置いてある店を回る。
三店ほど回ってから最初に入ったお店に入っていく。山野さんは店員が来るより早くシャツを取り
「やっぱりこれが一番良さそうよ、ちょっと高いけどどうかしら」
値札を見るとお店の雰囲気通りシャツは少し値段が張るが背に腹は代えられない。彼女の手前見栄もある。
「良いね、じゃぁこれを頂くよ。サイズはあるかな?明日使うので値札とかは取って欲しい」と店員に告げる
「畏まりました、少々お待ちください」
「支払いを済ませてくるからちょっと待っててくれないか」
レジにて店員が初めて仕事以外のことを口にした。
「綺麗な奥様ですね。この後は婦人服売り場でお買い物ですか?」
どうやら夫婦に見えたらしい。少し嬉しくなって
「そうだったら良いけどね、彼女とは今日知り合ったばかりなんだよ。」
「失礼致しました」店員が笑ったように見えた。
僕は急に恥ずかしくなり、
「支払いはカードで一回でお願いします」と支払いを早めに済ませて店を出ようとした。
630 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:25:43 ID:n5Jgtl5I
支払いを終えシャツを片手に店を出る。
「ありがとう、いい買い物が出来たよ。お礼に時間があれば少し早いけど、この後食事でもどうだい?」
「お礼のお礼じゃ、いつまでたっても終わらないわよ。でも良いわ、ご馳走になります。どこに行くの?」
どこに行くといわれても、初めて来た土地なので何があるのか分からない。
「そうだね、ティファニーでなんてどうだい?」
「うふふふふ、おかしな人ね。私の知っているお店で良いかしら?」
残念、映画はあまり見ないのだろうか外してしまったようだ。
631 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:26:35 ID:n5Jgtl5I
岩田屋を出て、そのまま商店街らしき「新天町」へと彼女の先導で入っていく。
彼女はその中の「ビクトリア」と言う名前負けをしてそうな釜飯屋に入った。
その店のメニューはそんなに高くはなく、気を使って貰えたようだ。
僕はすきやき、彼女は鮭の釜飯を注文した。
・・・・・味の方はヴィクトリア女王と言うよりカメルーンの都市くらいかな。
食事も終わりに近づいた頃、ガソリンスタンドの時から気になっていることを彼女に質問した。
633 :小さな恋物語:2007/05/31(木) 23:58:21 ID:B3vChfHL
「あのベスパは、一週間前に買ったんだよね?」
「そうよ、父に交換条件としてねだってみたら買ってくれたの」
「へぇ、何の交換条件?」
「女性は秘密が多いものよ」
「失礼しました、君は魅力的だもんな」
その言葉に、彼女は顔を赤くして、
「当然でしょ!・・・・・ところで何でそんなにあのバイクのことが気になるの?」
「山野さんは推理小説は好きかい?ちょっと気になるじゃないか、数年前に生産中止になったものが、今新品同様で出てきた!なんてね」
「推理小説は好きよ。確かに推理小説にありそうなネタね」
「そうだろう?話を戻そう、ねだったのはいつなんだい?」
「そうね、10日ほど前よ、私もこんなに早いとは思わなくてびっくりしたわ。そんなに私のことを・・・・」
語尾が小さくなっていき聞こえなかったが、聞き返すと不興をかってしまうだろう。
「実質2日で納品か、と言うことはあのべスパは随分前に買われていた物だろうね」
無い頭で推理を続ける、気分はもう探偵だった。
「そうなの?私はそういう物だと思っていたわ」
「いやいや、外国車だしね。この場合、元々近くに保管してあった物を名義変更して持ってきたと見るのが自然そうだね」
「ふうん、外国車なんだ。」
「そうだよ、それも知らなかったのかい?じゃぁどうしてベスパをねだったんだい?」
「映画で見たのよ。ローマの休日、オードリー・ヘプバーンが綺麗で、グレゴリー・ペックが格好良くて。何よりロマンチックじゃない。子供の頃に見てから憧れていたのよ。いつか、ああいう風に街を走ってみたいって」
───・・・・これはチャンスかな
「グレゴリー・ペックの代役には力不足だろうけど、僕が運転して君が後ろと言うのはどうだい?残念ながら案内は山野さん、君にして貰わないといけないけれどね」
山野さんは首を傾げて少し考え込んだ後、
「ここから中央警察署って近いのよ」と嬉しそうに言った。
了承して頂けたようだ。しかし、慌てて
「そこだけは外そうよ、君も知らないおじさんのキスは欲しくないだろ?」
636 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 01:12:16 ID:ieTIzd5s
「案内と言うより観光ね、住んでいるところの観光案内って難しいわ」
根が真面目なんだろうな、真剣に考え込んでいるので、助け舟を出す。
「そこまで堅苦しくなくていいさ、今日はどこに行く予定だったんだい?」
「川端商店街の川端ぜんざいを食べに行くつもりだったの」
「ぜんざいか、京都の西園寺ぜんざいみたいなもの?」
「西園寺ぜんざい?何なの、それ?」
知らないようだ、そういう事には関心がないのかな。
そういう方面には疎そうだ、まだ確定ではないが恐らくはフリーだろう。
「よし、人も多くなって来たし、まずはそこに行って次を決めよう」
店を出て、ホテルへスクーターを取りに行く。道すがら
「そう言えば、ヘルメットは私の持っているものしかないわよ。どうするの?」
「東京からここまでバイクで来たからね、自分の分はあるよ」
「見かけによらず、行動派なのね」
「最初は軽く見てたけどね、実際走ってみるときつかったよ」
「年の所為じゃない?」
その言葉に苦笑する。僕は何歳に見えているのだろう。
「まだ24歳だよ、体力には自信があるんだけどなぁ。ところで、君はいくつなんだい?」
「女性には・・・」言い終わるより早く
「秘密が有ったほうが魅力的だったね。」
そう言えば女性に歳の話は禁句だったな。
638 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 01:18:14 ID:ieTIzd5s
ホテルに戻り、地下の駐車場へ自分のヘルメットと彼女のスクーターを取りに行く。
「さてと、川端商店街と言うのはどっちなのかな?」
「え?練習もなしに乗れるの?」
「任せてよ」自信満々に答えた。
普段は大型バイクを乗りまわす僕だ、スクーターの運転になんて梃子摺る訳がない。
スタンドを立てたままキックでエンジンを掛ける。一発で掛かった。ガス欠だけのトラブルで良かった。
暖気の時間を取る為、ヘルメットを自分のバイクから持って来て山野さんに渡す。
「臭くはないと思うよ」
「自分のヘルメットを使うからいいわよ」
「運転する男ががっちりと固めてて後ろの女性はそうでもない。これは、紳士的ではないからね。ベスパに
は似合わないだろうけど、我慢して欲しいな」
山野さんは納得してくれたのか僕のヘルメットを受け取り、代わりに彼女のヘルメットを渡してくれた。
暖気もそろそろ良いだろう。
スクーターに跨る、左右のブレーキを握り、車体を押してスタンドを下ろす。
そうだ、2人乗りだし初めて乗るので加速などを知りたい。
「駐車場を一回りしていいかな?」
「存分にどうぞ」
左右のブレーキをはなし、アクセルを開ける。
エンジンはアクセルを開けている事を主張する音を奏でるがタイヤは全く動かない。
「???あれ?」
「どうしたの?早く駐車場を走ってみたら?」
心なしか山野さんの唇の右端が上がってるように見える。
639 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 01:26:08 ID:ieTIzd5s
ベルトかチェーンか分からないが・・・・駆動系のトラブルか?第一歩で躓くとは、自分のバイクで行こうか。
いや、それに山野さんはうんとは言うまい。スクーターを修理に出すのに時間を食われ、山野さんはそのまま帰ってしまうだろう。焦りで考えが纏まらなくなってくる。
『動け!動いてくれよ、今動かないと意味がないんだ』
祈りもむなしくスクーターは2st独特のエンジン音を奏でるだけだ。
頭がショートしそうなほど熱くなる。何が悪いのか考える内、一つ違和感に気付いた。
山 野 さ ん が 落 ち 着 き 過 ぎ て い る 。
イタリア人め、自分たちは軟派なくせに、人の恋路は機械まで邪魔しやがる。
同じ枢軸国だったじゃないか。日本男児の邪魔をしてくれるなよ。
イタリアの物で信じられる物は理論だけと言う言葉も思い出す。全くその通りだ。
考えられる限りの悪口を頭の中で目の前のスクーターに叩きつけた後、覚悟を決めて山野さんに尋ねる。
「故障じゃないよね。何で動かないのか教えてくれないか?」
山野さんは意地悪く笑い、
「貴方のバイクもそうだろうけど、こうなっていると絶対に動かないのよ。」
──これは、仕返しか
「意地悪だなぁ、ぜんざい奢るからさ。」
・・・・・まだ、許して貰えないようだ。とうとう観念して、
「・・・・・教えてください」
山野さんは堪え切れなくなったのか、少し吹き出してから、
「ギアがニュートラルなのよ、1速に入れることをお勧めするわ」
641 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 01:42:44 ID:ieTIzd5s
part4 1/2
山野さんによる、ホテルの地下駐車場でのベスパ講座が始まった。
得意気に、そして誇らし気に話すその姿。
その姿を見て、山野さんは本当にこのスクーターが好きなんだなと思う。
なによりの収穫は、彼女の笑顔はやはり綺麗だったと言うことだろう。
左の後輪ブレーキと思っていたレバーはクラッチだった。
後輪ブレーキはどこかと言うと右足のつま先に対して、存在感を控えめながらに主張していた。
こいつがイタリア人並に自己主張してくれていればと思ったが過ぎた話だ。
「このベスパの一番の特徴は、え〜っとグリップクラッチ?」
先生が生徒に対して半疑問形では困るな、バイクのクラッチは大体はグリップに付いているのだからと
「グリップ・・・・チェンジあたりなんじゃない?」
と、こちらも半疑問形で返してみる
「そうそう、グリップチェンジです。左ハンドルに数字と点々があるでしょ?点々がニュートラルなのよ」
よく見てみると、確かに数字と点が交互に並んでいる。これは面白い構造だな。
今までスクーターと呼んでいたが、それは外側だけ、中身は立派なバイクだった。
外側を羊のように可愛らしさで油断させて、中身は狼か、イタリア人め。思わず笑みが零れる。
642 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 02:01:46 ID:ieTIzd5s
part4 2/2
「今度こそ、駐車場を一回りしてきて良いかな?」
「えぇ存分にどうぞ」
女性が後ろに乗るのだから飛ばせない、スピードで怖がらせては逆効果であろう。
グリップチェンジの間隔・感覚を覚える、ニュートラルに入ってないかチェンジの度に一々確認していては危険だろうからだ。
30分ほど駐車場内をぐるぐると走った事で操作のコツは大体掴めた。
慣れるてくるとこれほど面白い乗り物はないのではないかと思わせる。
イタリアと言うところで生まれた物は、機械も人間も惚れさせるのが上手いらしい。
山野さんを見ると僕のヘルメットの匂いを嗅いでいるようだ。臭かったかな?
「さて、じゃぁ出発しようか。後ろに乗って」
声を掛けると、慌てた声で返事があった。
「もういいの?じゃ、じゃぁ行きましょうか」何故か顔は真っ赤である。
山野さんはスカートを履いている所為か、横のりで、腕を僕の体に回してきた。
この体勢は・・・・スピードを出したくなる誘惑に襲われる。
早くも誓いを破りそうだった。
気を引き締めて、ハンドルを握りなおす。
しかし・・・・・イタリア人の皆さん、どうもありがとう。
643 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 02:12:25 ID:ieTIzd5s
part5 1/3
ホテルの駐車場を出て「明治通り」を東へ向かう。西鉄福岡駅前の交差点で信号待ちで止まった。
信号待ちしている前を同じ会社と思しきバスの行列が走っていった。
これは、福岡独特の風景なのだろうか、初めてみた僕は面食らってしまう。
よく見れば片側四車線なのに、バスとタクシーで混雑しているようだ。
夜の新宿駅前とまでは行かないが、気分をイラつかせるのには十分な渋滞だ。
あっちに出なくて良かったと安心する。
明治通りは混んでいなかった。
片側二車線の道路はレンガ風のタイルを敷いた歩道に並木を配しており見た目も良い。
並木を通して射す日差しが気持ちいい、飛ばしても面白いだろうが、街の雰囲気を楽しめる少し遅いくらいが一番楽しめるバイクのようだ。
道なりに進んでいくと、橋が見えた。その向こうに噴水のある公園。
更にある橋の向こう側には左側に映画館らしき建物と真っ白なホテル、右にはテレビでよく見る看板の群れが現れた。
と言うことは、ここからが中洲か、何を見ても大丈夫なように顔を引き締めておく。
心配は空振りに終わる。パチンコ屋が一店あったくらいだ。
橋を通る時も思ったが、街の街灯や歩道のタイルを見ると、お洒落に気を使ってあるようだ。
またもや、橋が見えてきた。
その手前には背の高いデパート玉屋、川の向こう側には蕎麦屋らしき店舗が窓際なら川の眺めが良さそうな立地で営業していた。
「ここが川端通り商店街よ」玉屋と川を挟んだ向かい側にアーケード街があった。
ベスパを止めてから、二人で川端ぜんざいのお店に向かう。
活気溢れる商店街と言うのが第一印象、ここも天神に負けないくらい通路は人で溢れていた。
「いい雰囲気の商店街だね」思ったことをそのままに言う
「そうでしょ?山笠の季節になるともっと人が多くなるのよ」
645 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 02:20:48 ID:ieTIzd5s
part5 2/3
川端ぜんざい店は店舗ではなかった。
川端商店街の中にあるのはあるのだが、建物がない。ぜんざいを売っている屋台と御神輿らしきものが
あるだけである。祇園祭りに使われる山鉾くらい大きく、飾りはこちらのほうが派手だ。
ぜんざいを受け取り、席に座る。奥のほうに行けば川も見えるようだ。席は店の奥の、川の見える所に取った。
お神輿には、「頑兵闘東宝」と書かれた板が刺してあった。題名だろうけど題材が分からない
「へぇ大きいね。お金も掛かってるんだろうな」
飾りの部分だけで高さは3〜4m程だろうか豪華というより勇壮な姿を見せ付けていた。
「山笠って言うのよ、大きいでしょ?これを皆でかいてタイムを競うの。山笠があるから博多なのよ」
「描く?」絵を描くように手を動かしながら聞き返す。
「あぁごめんなさい、山笠を担いで競争するの」
こんな物を担いでしかも競争か、凄いものだ。
「父もお汐井とりで、箱崎宮まで走ってたわ。この頃はタクシーで行ってるみたい、日頃自分は若いって言い張るけど、体は正直ね」
その姿を想像したのだろう。山野さんはこっちも嬉しくなる様な笑顔で笑っている。
「お汐井とりって?」
「行事に出かける前、砂を体に振りかけて事故のないように祈願するの。禊(みそぎ)を砂でやるのよ。」
「箱崎宮ってここから近いのかい?」
「JRの駅で言うと2つ分だからそんなに遠くはないわよ」
「決まった、山野さんのお父さんじゃないけどバイクでお汐井とりをやろう」
647 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 02:35:56 ID:ieTIzd5s
part5/13 3/3
店を出ると、右手に帽子屋が見えた。
「帽子屋か、ちょっと入ってみても良いかな?」
「いいわよ、何か欲しい物でもあるの?」
「必需品だよ、表で待ってて」
店内に入ると初老の女性が迎えてくれた。
店員だろう、そのまま店の奥に入っていく、店の中ほどにそれはあった
「これをください」買った帽子はボルサリーノ、格好だけでも近づいておこう。
ついでに、もう一つ。
「何を買ったの?」
それに答えて袋から帽子を取り出してかぶる。
「ちょっとはグレゴリー・ペックに近づけたかな?」
「シルエットは近づけたみたいよ」
手厳しいな、しかしこれだけではない。
「これをかぶって」と麦藁帽子を手渡す。拒否されないうちに続ける。
「今日は暑くなりそうだからね。」
麦藁帽子は返されることはなく、山野さんは素直にかぶってくれた。
「やっぱりその服装に麦藁帽子は良いね。可憐さが出てきたよ」
「あら、いままでは可憐じゃなかったって言うの?」
「凛としていて、独立独歩な女性の雰囲気。それはそれで良いんだけどね。王女は可憐な雰囲気だっただろ?形から入ろうよ」
オードリー・ヘプバーンよりジュリー・アンドリュースに近くなってしまったようだが、どちらも美人だし良いか。
山野さんが口を開くより早く、
「さて、お汐井とりと行きますか」
648 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 02:51:58 ID:ieTIzd5s
part6/13 1/3
明治通りを東に進む、大きい道との交差点で信号待ちとなる、信号名は呉服町。右前方に寿屋が見える。
ここでは後ろにバス、対抗車線にもバス、目の前もバスが左右から2台ずつ4方向に進んでいく。
一体、何台バスが走っているんだろう。
バスがなくなれば渋滞も解消するんじゃないかと言うくらい多く見かける。
道なりに真っ直ぐ走り、またもや橋を渡る。こちらの橋は洒落っ気がないな。
「あの信号を右の方に入っていって」
「了解」
指示通りに右に入る、左手には大きな建物が立っている。何だろうか?
ふと右手の高台に公家らしき服装の銅像が見えた。興味がそそられてベスパを脇に止める。
何も言わずに止まったので山野さんは不思議そうな顔で僕を見ている。
「あの銅像は誰なんだい?」
寄り道に時間を多く割くつもりはないので、質問は簡潔にまとめる。
「さぁ誰だったかしら、公園の名前は東公園よ。銅像に名前が書いてあったと思うから確認する?」
外から見ても緑の多い公園だ、少しくらい歩いてもいいだろう
「うん、歴史には興味があってね。そうしたいんだけどいいかな?」
649 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 03:02:37 ID:ieTIzd5s
「私も気になってきたからそうしましょう。」
そのままベスパを止めてから、歩いて銅像に向かって歩いていく。
東公園の中は、全体的に緑の木々に囲まれた公園で、夏でも涼しく感じられそうだ。
銅像には「亀山上皇像」と書かれていた。
「亀山法皇か、確か京都五山の南禅寺を開いた人物だったかな。」
「博識なのね」
「大阪出身で歴史は好きだからね。なんとなく覚えていただけだよ。でも、何で福岡に銅像があるのだろう?」
「大阪出身って、東京から来たんじゃなかったの?」
「大学が東京でね、そのまま東京で就職したって訳さ」
「東京の大阪人って訳ね」
「そうでんがな」
映画「パリのアメリカ人」と掛けてあるのだろうか?そうだとしたら山野さんの映画を見る基準が分からない。
650 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 03:11:08 ID:ieTIzd5s
part6/13 3/3
謎を残したまま東公園を出る。
・・・・・ベスパの前に二人ほど人が居る。
警官だ!?
急いでベスパの元へと戻る。すると警官の片方が博多弁丸出しで話し掛けてきた。
「ここに止められたら困るっちゃけどね」
「すみません、あの銅像が気になって名前を確かめに行っていたのですよ。」
「あ〜亀山さん。言葉の感じからすっと、にいちゃん福岡の人間じゃなかね?」
「えぇ東京から来てまして・・・・・。ところで、亀山法皇は「京都五山の南禅寺」と言う繋がりは知っているのですが、何故福岡に銅像があるのか気になりまして」
「そりゃ、元寇の時、天皇だったからやろうもん」
「ははぁそう言う繋がりでしたか、すっきりしました。刑事さんは物知りですね。もしかして歴史が好きなんですか?」
「すいとうばい、まぁ戦いのほうばかりやけどね」
いい雰囲気だ。ここで、お巡りさんに近づき耳元で
「彼女とデートの最中なんです。デート代がギリギリでして、違反切符は勘弁願えませんか?」
とささやいた。
お巡りさんはニヤリと笑って
「そう言うことならよかよ、頑張ってものにしいやい」
とささやき返してくれた。
警官二人といい雰囲気で別れられたが、気になる事が一つ減ってまた一つ増えた。
「山野さん、ベスパから10分と離れてないと思うんだけど、あのお巡りさんはなんであんなに早かったんだろうね」
と聞くと山野さんはすぐに答えてくれた。
「この目の前の大きな建物が県庁なの」
「うん」
「隣にも大きな建物があるでしょ?」
「あるね」
「あれ、福岡県警察本部なの」
それを聞いて、慌てて周りにキスを狙っている中年親父が居ないか首を振って探してしまった。
651 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 03:23:52 ID:ieTIzd5s
part7/13 1/6 まだまだいくよ
気を取り直して先を急ぐ、段々と建物もビルより家が多くなってきた。
JR箱崎駅の前の信号で止まる。
左に鳥居が見える、ここが箱崎宮なのかな?。
意外に小さい八幡様のようだ。
「箱崎宮ってここかい?」
山野さんはヘルメットもそのままに頷いた。
「じゃぁベスパを止めてお参りしようか」
その言葉に山野さんは頷かず、
「ここは裏口よ、初めて参拝するのに裏口からじゃ失礼でしょ。あそこを左に曲がって」
箱崎宮には裏口があるのか、ところ変わればというがこれにはびっくりだ。
山野さんの言葉に従い左に曲がり細い路地に入る。
左には箱崎宮の敷地を主張するかのような塀が続いていた。
「大きい道にぶつかるまで真っ直ぐよ」
砂を取りに来た筈なのに海岸はまだ見えない。
652 :小さな恋物語 6月1日分:2007/06/01(金) 03:33:36 ID:ieTIzd5s
part7/13 2,3/6 そろそろ「僕」の正体に気付く人が出てくる頃
・・・・・前言撤回、箱崎宮はとても広いみたいです。
大きい道──標識から国道三号線と分かった。──にぶつかり左に曲がる。
すぐに大きな鳥居が見えてその下にベスパを止める。
三号線を挟んだ向かい側にまたも鳥居があり海岸が見える。
鶴岡八幡のように長い参道に思わず興奮してきてしまう。
「お参りを先に済ませようか」
その言葉に山野さんは
「長い参道でしょ?日本の三大八幡様の一つなのよ」
誇らしげなその姿に対抗心は消え失せてしまった。
参道は1kmほどあるように見える。往復となると2kmは超えるなぁ。
しかし、この興奮の前では大した距離ではない。
「さあ張り切っていきましょう」山野さんは右拳を空に上げながら言った。
山野さんも元気だ。
『本当は禊が先なんだけどね』と言う言葉は口に出さないでおいた。
駐車場にベスパを止めて、箱崎宮に向かう。駐車場の向かいに野球のグランドが見えた。
今日は子供たちの姿は見えず、少し寂しさを漂わせている。
「弟は野球が好きでいつも友達と空き地で野球をやっているの。私も野球が好きよ」
「弟さんの野球を見るのがかい?」
「混ぜて貰って打つの。白いボールが遠くまで飛んで行くと、嫌な事も一緒に飛んで行くみたいで
すっきりするの、その瞬間が一番好きね」
意外な言葉が出てきた。
弟さんは中学生から高校生と言うところだろう。そんな中で球を打つことが出来るとは。
華奢とは言わないが筋肉質でもなさそうな体なのに。運動神経が抜群なのだろうか?
考えが顔に出ていたのか
「年が離れてるの。弟はまだ小学生よ」
672 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:05:31 ID:HnFQF9Z4
part7/13 4/6
楠と松が参道の両脇を進む僕らに枝を揺らして微笑みかけてくる。
湿度が高いはずなのに、木々を通る風が体から不快感を取り去ってくれる。
「気持ちのいい風ね」
麦藁帽子が飛ばないように抑えながら山野さんが言った。
絵になるな、映画に撮るのなら今のシーンは入れたくなるね。
「どうしたの?」
黙って山野さんを見ている僕を不審に思ったのか、山野さんは怪訝そうに僕を見ている。
両手の親指と人差し指で四角を作り、その間から山野さんを片目で見る。
「絵になると思ってね。ほら、顔に日がさして、風に帽子が揺れている。周りは緑に囲まれている。映画のヒロインさながらだね」
山野さんは帽子を押さえた手はそのまま、僕のほうへ体を向けてから、
「主演女優は良いのだけれど、主演男優は誰なのかしら?」
うん、いい笑顔だ。見ている僕まで嬉しくなって来る。
「監督兼主演男優というのはいけないかな?予算が少ないんだよ」
「うふふ、しょうがないわね。でも主演男優ならここで何か台詞があるんじゃない?それ次第ではここは名シーンになるかもしれないわよ」
「うーん、そうだなぁ。まずは舞台設定からいこう。参道は海から続いて本殿まで続いている」
頭の中で物語を作っていく
「過去、生命は海から生まれた。本殿で未来へ祈る。という事は、今立っているところは現在というところだね。
過去と現在と未来を繋ぐ道の途上で、男と女が一組、僕がジーン・ケリーなら歌が入るだろうけど、グレゴリー・ペックならそうだな・・・『これからの過去も未来も君と歩んでいきたい』ってところかな」
そう言って山野さんのほうを見ると、麦藁帽子の両縁を手で押さえて顔を見ることは出来なかった。
「意外に貴方は小説家に向いてるかもしれないわよ」
及第点は貰えた様だ。
673 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:14:38 ID:HnFQF9Z4
part7/13 5/6
山野さんとの会話のおかげか本殿に着くまでの道のりは疲れも感じさせず、気づいたときには最後の鳥居をくぐっていた。
まずは手水、この手水と言うのは順番があるらしいけれど、よく覚えていない。
とりあえず、両手を洗い口をすすぐ。
左手に赤い玉垣で囲まれた物が見えた。
覗いてみるが何もないように見える。
脇にある案内の看板を読んでやっと分かった。
運が湧き出る『湧出石』か、恋愛運も湧き出てくれるかな?
「山野さん、運が湧き出るんだってよ、触ってみようよ」
その言葉に、
「嫌よ、私は『運』と言う文字がつく言葉が嫌いなの。」
女の人はオカルト好きなものと思っていたのに・・・・山野さんの意外な言葉に思わず
「なんでだい?」
「運って付くとその人の能力とか判断・行動を無視したような気分になっちゃうの。勿論、その時の状況もね。
特に『運命』って言葉が嫌いね。人間って、自分の行動・能力の中で生きていくものでしょ。
誰かに操られている訳じゃない。未来って一定じゃないって思ってるの。
運命には逆らえないってTVドラマとかで言ったりするけれど、それも人間を無視した発言だと思うわ。何よりも悔しいじゃない。
私は誰かの作ったシナリオに沿って生きてるわけじゃないし、そんな状況で生きてきたなんて思いたくないもの」
「じゃぁ神様も信じていないのかい?」
「いいえ、神様は居ると思うわ。居ないと困るもの」
「なんで困るんだい?」
「旅行で出雲大社に行ったの、その時に絶対叶えたい事をお願いしたの。だから居ないと困るわ」
・・・・出雲大社ね。大国主命だったか・・・・会社の島根出身の子が言ってたっけ良縁・恋愛・結婚の神様だって。
「そうか、女心は難しいね」
山野さんの顔はやはり真っ赤になった。
675 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:24:24 ID:HnFQF9Z4
part7/13 6/6
お参りも終わり、参道を海に向かって戻る。
国道三号線を横切り、鳥居をくぐって浜に至る。
しばらく歩くと聞こえてくる波の音も大きくなってきて、砂浜が見えてきた。
護岸工事なのか砂浜ではなくコンクリートの浜の上に砂が乗っている形だ。
「ちょっと寂しい砂浜だね。」
庇うかのように山野さんは
「海というものは少なからず人を寂しくさせるものよ。貴方の言葉ではないけれど、海から生まれた命だもの、海に帰りたくなってしまうのかもしれないわよ」
「そうかもしれないね。」
波の音を聞ききながら、潮風と波に反射する光に身を委ねる。
目を閉じて感じる潮の香りと規則的な波の音は、確かにどこかへ帰りたくなるような気持ちにさせる。
狭い海から遠くを眺める。両岸をコンクリートの陸地によって取り残された砂浜は枯山水を思わせる。
ここに夕日が入れば『現代に取り残された過去の砂浜』という題名で良い絵が撮れそうだ。
しかし、水平線ではなく陸地がその風景に待ったをかける。
「海の向こうに見える陸地は何ていうんだい?」
すっかり映画監督の気分になっている僕は邪魔者の正体を知りたくなった。
「志賀島よ、博多で唯一夕日が海に沈むところが見えるところなの。とても綺麗よ」
「島なのか、じゃぁベスパでは行けないね」
綺麗という言葉に反応して行きたくなるが、島ではバイクのみでは行けそうに無い
時間的に船で渡ったとしても帰りがどのくらいになるのか分からない。
676 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:25:37 ID:HnFQF9Z4
落ち込む僕に山野さんは
「あら、行けるわよ」
と、事も無げに言った
「島なんだろ?どうやって行くんだい?」
「簡単な事よ、海ノ中道を通っていけばいいのよ」
「海ノ中道!?海の中を道が走ってるのかい!?」
「そうよ、道の両側が海で海の中を走っていくの」
「海の中って・・・・トンネルなのかい?」
「いいえ、両側海を見ながら、勿論空も見えるわよ」
何のことやら分からない、モーゼの十戒のような道なのだろうか?
「百聞は一見にしかずって言うでしょ、行きましょうか」
冒険心と探究心を刺激された僕は勿論
「いこういこう」
と子供のように答えた。
679 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:31:33 ID:HnFQF9Z4
part8/13
ウキウキしながら国道三号線を走っていく、広い道なのでとても気持ちよく走れる。
まぁ例によってあのバスも走っているんだけど・・・・
幹線道路の所為か右手には飲食店がちらほら見える。マンションも多いようだ。
しばらく走っているとまたもや橋が見えてきた。川が多い街だなぁ。
橋を渡る途中で左にも橋が見えた、丁度電車が走っていたので線路なのだと分かった。
この風景は好きだな。
田舎っぽい雰囲気は、東京で仕事に追われながら長く住んでしまうと自然と好きになってしまう。
東京に行くまでは出来るだけ都会に行きたいと言う一心で好きじゃなかったのに、人間って不思議なものだな。
680 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:35:31 ID:HnFQF9Z4
part8/13
繁華街──香椎──を過ぎたところで立体交差に出くわす。
手前の看板で確認していたので、迷わずに495号線に入っていく。
時折温かい風に冷たい風が混じる・・・・海が近い、海ノ中道を想像してドキドキして来る。
寒いのか山野さんは体を背中に押し付けてきた、別の意味でドキドキして来る。
──海に急ごう
「あの信号を左折よ」
「了解」
国道495号線から県道59号線に入っていく。
国道から県道に入ってしまうと建物よりも空の方が支配力を強める。
太陽がその真ん中に居て、早くおいでと手招きをする。
その太陽を追いかけるように西にベスパは走っていく。
──まだ沈んでくれるなよ。
今度は右手に線路を見ながらの道になる。
自分のバイクに乗っていたなら電車と競争したくなっただろうが、それをベスパでやってしまうと楽しくはなさそうだ。
何より後ろのレディに怖い思いをさせちゃいけない。ここは自重しよう。
681 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:38:48 ID:HnFQF9Z4
part8/13
しばらく走ると海に出た。
海を挟んで博多の街が見える。
さっきは向こうに居たんだよな、別世界に来たような気分になる、後ろに件のバスが前に走って居なければ尚更だっただろう。
「あそこのカーブを曲がったら海ノ中道よ」
山野さんが僕の肩越しに指をさす、海ノ中道の正体を知りたい僕はスピードを上げたくなるのを必死に堪えながらカーブを曲がって行った。
「ん?何の変哲もない道路なんだけど・・・・」
「えぇ地名は『海ノ中道』よ本命はまだ先」
「君は嘘つきだ」
「嘘じゃないわよ、そんなに言うなら帰ってもいいのよ」
ここで帰られても困る。本命が別にあるというのならそれを見てみたい。山野さんへの非難は諦めて
「次は本命のときに言ってくれよ」
「覚えていたらそうするわ」
肩透かしにあったけどこれが本命じゃなくて良かった。
まぁ片側二車線になったことだし気持ちよく走れそうだ。
自分のバイクでも走ってみたいな。
静岡の一号バイパスのように海辺でストレートが長いけど、海からの強い横風も同じかここは諦めた方が無難だな。
682 :小さな恋物語 6月2日分:2007/06/02(土) 17:49:47 ID:HnFQF9Z4
part8/13
気持ちいいほどの直線となだらかなカーブで構成された道は風さえなければ北海道に匹敵するのになと思う。
「突き当りを右ね」
「了解」
海浜公園を右に見ながら進んできた道を右に曲がる。木はまた松が多くなってきた。海が近いみたいだな。
曲がってから小学校が見えてきたあたりで山野さんが
「このあと松の間から海が見えてくるの、その後左に緩やかに曲がっていった先が本命よ」
「今度は本当だろうね?」
一度騙されている立場がそうさせたのか、疑り深くなっていた。
「本当よ、今まで貴方に嘘付いた事があって?」
「・・・・・自分の胸に聞いてみるといいよ」
「胸に?もうエッチね」
「え?なんで?」
こんなやり取りをしている間に松の間から海が見えてきた。そろそろか?
松林を抜けるとそこは絶景だった。
左に穏やかな博多湾、右に荒々しい玄界灘。
その真ん中を聖地に続くかのような、志賀島への参道が続いていた。
確かに『海ノ中道』だ。
僕はその光景に興奮する。
この衝撃は東名上りで由比PA手前のトンネルを抜けた瞬間に富士山が見えるあの衝撃に似ている。
「どう?海ノ中道でしょ?」
「うんうん、確かに海ノ中道だよ。山野さんはウソツキじゃなかったんだね」
「そうよ、正直者で美人なお姉さんよ」
聞こえなかった事にしてこの不思議な風景を味わう。
日本にはこう言う人を興奮させる風景があと幾つあるんだろう?
出来れば全部洗い出して全部回ってみたい。
なんで学生時代にこんな気持ちになれなかったんだろう。
社会人になってしまった今ではその愚かしさが恨めしい。
「目の前の山に見えるのが志賀島。あそこに海の家が見えるでしょそこを右に曲がって」
さっきの言葉を無視されて怒ったのか山野さんはぶっきらぼうな案内をしてくれた。
688 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 14:11:10 ID:JPtSrrrm
part9/13
海の家を右に回って海岸沿いに走る。
道のすぐ外側は3mほどの高さを挟んで海だ。
熱海に向かう国道135号線よりはましだけど、こちらの方が道の曲がりが急で数も多く油断すると落ちてしまいそうな感覚が強く、怖い。
10分ほど走って砂浜に出た。
「ここよ、ベスパを止めて砂浜まで歩きましょう」
ベスパを駐車場に止めて歩く、太陽は海という名のベッドに入る用意を始めたくらいの位置に居る。
綺麗な砂浜だな、きめが細かい砂でサラサラしている。
砂浜の砂なんてどこも同じと思っていたが何で違うのだろう。
「山野さん、ここの砂ってサラサラだね」
「山も作れそうにないし、文字を書くのも難しそうね。」
「それは困ったな」
「どうして困るのよ」
「手紙さえ書く事は出来ないじゃないか」
「砂浜に手紙を書いても波や風が消しちゃうじゃない。相手には届かないでしょ、別に良いじゃない」
「手紙を投函したら手紙は手元に残らないだろ?」
「それはそうね」
「それと同じ事さ、波や風が手紙を相手まで届けてくれるんだよ。海は世界中に繋がってる。風には国境はないだろ?」
「見かけによらずロマンティストなのね」
689 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 14:33:58 ID:JPtSrrrm
part9/13
過ぎ去ったあの日を昨日のように思い出す。
離れると分かっていたら、もう会えないと分かっていたら、もっと話していたかった。
もう一度会って話す事が出来たら、心の底の暗い部分は今より救われるのだろうか。
流木を拾い砂に手紙を書いてみる。
『もう一度会いたい』
すぐに波が受け取ってくれたけれど、相手に届くだろうか。
「『もう一度会いたい』ね、良い人にでも書いたの?」
山野さんに見られてしまったようだ。
昔の自分に戻ってしまっていて今一緒に居る人のことを忘れてしまっていた。
失礼な話だ。恥ずかしさも手伝い僕は慌てて
「いや、そんな人は居ないよ。今までそんな人も居なかったよ」
山野さんは存在を忘れられていた事を気付いた為か信用できなかったのか拗ねた様な、怒ったような口調で
「貴方は口が上手いから数え切れないほど居ると思ってたわ。」
「あ、ほらあそこからの眺めが良さそうだよ、あそこに座らないかい?」
女の勘は鋭いと言う、経験の浅い僕はこう言う時逃げの一手しか浮かばない。
「まぁいいわ、男の人にも秘密は必要でしょうしね」
「うんうん、必要必要。そうだ、男の秘密が多いとどう見えるようになるのかな?」
「信用出来なくなって行くんじゃない?」
山野さんは許してくれないようだ。
690 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 14:45:48 ID:JPtSrrrm
part10/13 1/5
砂浜に腰を下ろし海を見る。
押しては返す波の音に、楽しかったあの頃に帰る事が出来なくなった自分、永遠にあの頃に留まってしまったあの人を思い出す。
逢ヶ魔時・・・・
昼と夜の狭間のこの時間は辻に妖怪が走ると言う・・・文字通り魔が差してしまった。
「山野さん、これからもベスパに乗り続けるのなら一つ約束してほしい事があるんだ」
「なぁに?」
「・・・・・あのね、バイクに乗る人は決してバイクで不幸になって欲しくないってことだよ」
あの夏の日のことを思い出す。
僕の人生の中で最もと言って良いほど悲しく、辛く、苦しかった夏を。
「いきなり変な事を言うのね。何でそんな事を言うの?」
「あ、いや、バイク乗りってね。車と違ってバイクに乗っているってだけで仲良くなれるし、困っていたら助けてあげたくなっちゃうのさ。僕と山野さんみたいにね。
バイクって言うのは不思議な乗り物であり・・・・、友であり・・・、恋人なのさ・・・・。
そんな同じ仲間との再会がそいうことって言うのは嫌だよね」
上手く誤魔化せただろうか、まさか本当のことを言うわけにもいくまい。
顔を見たら嘘がばれそうで、山野さんの顔を見ずに海を見続ける。
何も言えない空気が流れる、自分の言った事に後悔する。
昔を思い出し右手を強く握ってしまう、痛みが走るが握る力は弱くならない。
空気を変えようと口を開こうとしたが、先に沈黙を破ったのは山野さんだった。
691 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 14:53:26 ID:JPtSrrrm
「いいわ、約束してあげる。私はバイクでは死んだりしないわ。でも貴方もその約束を守ってね」
「うん。勿論だよ。僕はバイクでは死なない・・・・・死んではいけないんだ」
「もう一つ約束して」
山野さんの言葉に握り締めていた右手が緩む
「なんだい?」
「どんな理由であってもそんなところで再会したくないわ。だから一日でいいから私より長生きしてね」
・・・・プロポーズ?
全身が熱くなっていくのを感じる。
顔も真っ赤だろう夕日でカモフラージュされていればいいけれど、それは無理だと分かっている。
山野さんの顔も真っ赤になっているからだ。
「・・・・・の、喉が渇いたね。ジュ、ジュースでも買ってくるよ。な、何が飲みたい?」
全身の熱で口の潤滑油も乾いてしまったようで口から出て行く言葉がぎこちない。
山野さんも俯いてしまって顔は帽子に隠れてしまっている。
「そ、そうね・・・・・冷たいお茶をお願いするわ。夏だから、暑いから。」
二人とも動揺を隠せない。
僕は逃げるかのように、全力疾走で自販機に向かった。
692 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 15:00:14 ID:JPtSrrrm
part10/13 3/5
自動販売機で清涼飲料を買う。
一気に飲めるだけ飲み呼吸を整える。
なのに未だに心臓がバクバクと激しく鳴っている。決して全力疾走の影響ではない。体ではなく心の影響だ。
好みと言っても恋人でもない女性にプロポーズのような言葉を言われたからって何故ここまで動揺するんだ。
『普段』の僕なら・・・・いや『普段』?今日の僕は初対面と言う事がなかったとしても女性に対し口が回りすぎる。
ガソリンを入れ終わったところで『普段』なら別れていただろう。
そうか、僕はそんな時から彼女に対し恋に落ちていたのか・・・・
自分の鈍さに愕然とする。
そうか・・・これが恋か、もっと早くに自覚して長い時間楽しんでいたかったな。
もう彼女と居られる時間はそう長くないのに・・・・
「はい、お茶だよ」
「ありがとう」
山野さんは振り返りもせずにお茶を受け取る。
「隣・・・座ってもいいかな?」
「いい・・・いいに決まってるじゃない!」
初めて会ったときよりぎこちなくなっている。
僕は恐る恐る、彼女は緊張しすぎだ。
太陽はそんな二人に構わず。ゆっくりと夜へと交代を始めていた。
693 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 15:14:30 ID:JPtSrrrm
part10/13 4/5
太陽が名前も知らない島の右側へ沈んでいく、山野さんの言葉通り夕日は幻想的な光景を見せながら海へと消えていく。
しかし、それは同時に山野さんとの別れの時間が確実に近づいていることを僕に教えた。
「今日」が終わっていく・・・・
「今日」を見守る役目を、太陽は月に交代し、月は星々と一緒に「今日」を見守る。
人間が月を見守られる時間まで「今日」は続く、人間はいつまでも「今日」を味わっていたくて、
月との別れを惜しむが悲しいかな、月はまたその役目を太陽と交代する。
明けない夜はないのだ。
『太陽よ、そのまま沈まないでくれ。』
必死に祈るが、人間一人の祈りだけでは星の瞬きさえも止める事は出来ない。
目頭が熱くなる。涙が出そうになるが必死に堪える。まだ別れの時ではない。最後まで笑顔でいよう。
山野さんとの思い出は笑顔だけで構成されていたい。彼女の中の僕もそうであって欲しい。
山野さんは今どんな顔をしているのだろう、頭は真っ直ぐ夕日の方へ向けられていて、色の白い横顔を
夕日が赤く染めている事しか確認できない。体を起こし確認するのは簡単だが、確認したが最後
分かれることが出来なくなり、全てを投げ捨ててこの人をどこかに連れ去りたくなるかもしれない。
それは自分も山野さんにも幸福をもたらさないであろう。必死に堪える。
694 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 15:20:00 ID:JPtSrrrm
part10/13 5/5
一分、いや一秒でも長くこの人と時間を共有していたい。何の打算も計算もない、
素のままの自分の叫びを抑え別の言葉を上から包んで、頭の中の万分の一の大きさで体外へ出て行かせた。
「お腹がすいてきたね、晩御飯を食べに行こうよ」
山野さんももう落ち着いたのか言葉に澱みなく
「そうね、実はもうお腹がペコペコなの。ご馳走してくださる?」
「かしこまりまして、お店はどこに致しましょうか?」
「とりあえず、渡船場まで行きましょう。家に電話しなくちゃ」
二人に残された時間はどのくらいだろう。いつまでも「今日」と言う「休日」が続けば良いのに。
695 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 15:29:26 ID:JPtSrrrm
part 11/13
海ノ中道方面から海の家で曲がらず真っ直ぐ行った所に渡船場があった。
すぐ傍の自動販売機の前にベスパを止めると、山野さんが公衆電話へ走っていく。
「あ、母さん。連絡が遅くなっちゃってごめんなさい。イカ子と会ったから晩御飯を一緒に食べてくるわ。
心配しないで今夜は遅くなっても帰るから。明日の用意はお願いね」
電話が終わった。山野さんが振り向いた。
別に変な意味はないが、家族に対して嘘をつく姿に背徳感を感じる。
「明日、何かあるの?」
「・・・・・秘密よ」
「そうか・・・・君は魅力的だよ」
今日何度となく繰り返されてきたやり取りもそれまでのようには笑えない雰囲気を醸し出す。
山野さんと見つめ合う、上手く次の言葉が出てこない。
「ご飯は・・・天神あたりで・・・いいかしら」
山野さんの言葉も歯切れが悪い。
「あ・・・あぁそうしようか」
696 :小さな恋物語 6月3日分:2007/06/03(日) 15:33:58 ID:JPtSrrrm
ベスパを止めた自販機の前へ歩いていく。
自販機の前で博多湾を挟んで向こう岸をみる。
地上の星が眩しく煌いている。この暗い雰囲気もあの光の下に行けば払われるだろうか。
ふと、周りより高い位置に航空障害灯が光るのが見えた。
「あの高い建物は何かな?」
「あぁ福岡タワーよ。去年イベントがあって今は再開発中なの」
「行って・・・・みたいな」
「いいわ・・・・行きましょうか」
ベスパに乗り天神方面に向かう、通ってきた道を戻るだけの事で何も楽しい事はない。
通ってきた時のドキドキも、帰っていく・・・別れるときの恐ろしさを感じ始めた今では影を潜めていた。
天神では、何かを食べたがメニューも味も覚えていない。
満腹感が確かに何かを食べた事を教えてくれた。
706 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:05:04 ID:RNC+G3WJ
part12/13 1/5
何もないコンクリートの平原の真ん中に、雄雄しく一本の塔がそびえ立っている。
これが童話なら、塔の上から髪の梯子を下ろして貰って囚われの身のお姫様を助け出せば良いのだが、
現実の世界にはそんなご都合主義はない。
「これが福岡タワーよ、去年だったら博覧会を見物できたのに、タイミングが遅かったわね」
博覧会か、幼稚園くらい子供の頃に、家族皆で大阪の万博に行ったっけ。
月の石には訳が分からずとも凄く興奮したことを覚えている。
「凄く高そうだね、東京タワーとどっちが高いだろう?」
「確か東京タワーのほうが高いわよ、数字でしか知らないけど福岡タワーは230から240mだったと思うわ」
「東京タワーは330mくらいだから、東京タワーのほうが高いね」
二人の間に静寂が訪れる。昼間の元気は太陽に持っていかれたのか言葉が出てこない。
「今、何時かしら?」
707 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:10:31 ID:RNC+G3WJ
part12/13 2/5
腕時計を見る。蛍光塗料が針に塗ってあり、アナログでも時間が分かった。
この機能を今まで気に入っていたが、今日はこの機能が恨めしい。
「9時・・・・・20分だね」
「馬車が南瓜に戻ってしまいそうね、私はそろそろ・・・・」
別れたくない、まだ一緒に居たい。しかし、そうもいくまい、物語は佳境に入り始めたようだ。
僕は手を前へ伸ばし、
「12時の鐘がなる前に、ダンスの相手をお願いできませんか?シンデレラ姫」
その言葉に山野さんは微笑んで、スカートの裾を少し上げお辞儀をした。
「喜んで勤めさせて頂きますわ、王子様」
月と星々の観客が見守る中、広い舞踏場の大きな柱時計の前で、音楽のない、二人だけのダンスパーティー
が始まる。
二人ともお互いのパートナーから目を離さず、静かな会場に二人の靴の音だけが規則的に響ていた。
観客はそれぞれの席で静かに二人を見守ってくれている。
708 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:15:57 ID:RNC+G3WJ
part12/13 3/5
どのくらい踊っただろう、疲れてきたのか、山野さんのステップが遅くなっていく。
山野さんが俯き加減になる、そのまま額を僕の胸に当ててステップも止まってしまう。
山野さんの頭は僕の胸に収まっている、髪から汐の香りがする。僕は一生この香りを忘れないだろう。
繋いでいた手が離れる、離れてしまった僕の手は山野さんの背中を周り、山野さんを抱きしめる。
山野さんの肩がピクンと跳ねたが、頭は胸から離れず、しばらく抱き合っていた。
『このまま時が止まってしまえば良いのに。』
時は止まらなかった。
ゆっくりと山野さんが顔を上げる、月明かりに美しく光る瞳が僕を捕まえる。
二つの瞳が僕を捕らえ続ける、指先一つ動かすことが出来ない・・・・動かしたくはない。
ゆっくりと山野さんの瞼が閉じられていく。
閉じられていく瞼につられるように、僕の瞼も閉じていく
徐々に二人の距離が縮まって行く、唇が重なっていった。
709 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:20:27 ID:RNC+G3WJ
part12/13 4/5
永遠とも思われる長い口付けが終わる、山野さんの体が僕からゆっくりと離れていく。
「ガラスの靴は置いていけないけれど、代わりに貴方の名前を頂いていっても良いかしら」
別れの時間だ、頭の中では鐘が鳴り始めた。
「フグ田、フグ田マスオ」
彼女の中で僕の名前がいつまでも生き続けられるように、一字一字噛締めながら答えた。
山野さんは首を傾げながら、
「どこかで聞いたことがある名前ね」
彼女に名乗るのはこれが初めてである。そんな事を言うのは何故だろう。
彼女はクルリと僕に背を向け、ベスパの方へ歩いていく。
昼間あれほど言葉が出てきた僕の口は、魔法の効力が消えうせたかのように沈黙したままだった。
710 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:25:28 ID:RNC+G3WJ
part12/13 5/5
山野さんはベスパのエンジンを掛け、ミラーに掛かっていた僕のヘルメットを差し出す。
半日振りにヘルメットは僕の元に返ってきたが、これが別れの合図に思えて悲しい。
「では王子様、私はこれで失礼します。魔法の解けた姿は見られたくないの、追って来ちゃ駄目よ」
「本当の姿まで秘密だったのか、魅力的なはずだよ。」
僕の持つ、彼女を特定する情報は名前だけだ。
物語と違って探しようはない。
「いい休日をありがとう」一生忘れないという言葉は胸にしまっておく。
ベスパは山野さんを乗せ走り去っていく、コンクリートの平原に静寂が戻ってきた。
帽子を目深にかぶり回れ右をする。
2,3歩歩いてから空を仰ぐ、涙が零れないように・・・
「さて、どうやってホテルまで帰ろうか」
711 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:30:47 ID:RNC+G3WJ
part13/13 1/6
窓から入ってくる光の眩しさに目が覚める。時計を見ると9時を過ぎたあたりだ。
ホテルの食堂で食事を取り、一旦部屋に戻る。
昨日の出来事が夢だったように思える。東京に帰ってしまったらもう二度と会えないであろうと言うことに、少し落ち込んでしまう。
今日はお見合いなのだから、落ち込んだままでは相手に失礼だろうと思ったが、その前日に他の女性に恋に落ちているのだから今更かと自嘲気味になる。
それでもこのままではいけないと気分転換の為にシャワーを浴びる。
シャワーを浴び終え着替えを始める。シャツに手が伸びたときに山野さんの選んだシャツであることを思い出す。
「全く、失礼な話だよな」
712 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:35:53 ID:RNC+G3WJ
part13/13 2/6
時間は10時30分を回ったところだ、気分を転換しきれないままホテルを出る。足取りは重い。
向かう先は岩田屋の一階の入り口玄関。そこでおばさんと合流して、その後自分は食堂で相手が来るのを待つだけだ。
予定の時間は11時30分のはずだから45分前に来てしまったことになる。おばさんもまだ来ていないようだ。
途中の本屋で何か買って来れば良かったなと思うが、どうせこれからしばらくは本を読んでも頭に入るまい。
10分ほどしておばさんが来た。落ち込んでいる顔を緊張と取り違えたのか。
「心配しなくても、取って食われはしないんだから」
と、底抜けに明るい声で背中を叩かれた。こういう時こういう人には救われない。
713 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:40:56 ID:RNC+G3WJ
part13/13 3/6
食堂に予定の時間の20分前に入り、入り口に向かって背中を向ける形で座った。
これでは相手が来たときに分からないじゃないかと思う。おばさんはこういうところが抜けている。
実家の母も兄も自分も少し抜けているところがあるから、これは家系と言う奴だな。
「フグ田さん、フグ田さん」
入り口の方から声がする、相手が来たのだろう、おばさんが入り口の方に駆けて行く。
自分もそれに続いて歩き出す。
入り口に立っていたのは頭頂部に髪の毛が一本、顔つきはまさしく頑固親父と言う50過ぎあたりの紳士と
やはり50過ぎくらいの、やさしげな雰囲気を漂わせる、まさしく日本のお母さんと言うべき女性が立っていた。
おばさんが紳士と話している。あの紳士から推測すると娘さん、確か名前は「サザエ」だったか---は30過ぎか、
ここに来て見合い写真を見ていないことに後悔すると共に、どう断ろうかと言葉を考え始めた。
「こらサザエ、こっちに来て挨拶をせんか」と老紳士が言うや否や若そうな女性が俯いたまま入ってきた。
714 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:46:22 ID:RNC+G3WJ
part13/13 4/6
「磯野サザエでございます」俯いたまま頭を下げたので、慌ててこっちも
「フグ田マスオです」とお辞儀を返した。
あれ?どこかで聞いたような声だなと思い顔を上げると、そこに居たのは
「山野小百合さん?」
「マスオさんじゃない、何でココに?」
「お見合いだよ。君は昨日僕から名前を聞いて気付かなかったのかい?」
「だから、聞いたことがあったのね。マスオさんこそ私の顔を見て今日の相手だって分からなかったの?」
「おばさんが写真を送ってこなくてね。写真を見てなかったんだよ、名前も聞いていたのと違うし、分かるわけ
がないじゃないか」
お互い顔は真っ赤になっており、両者の付き添いも訳が分かってない状態だ。
笑うしかないとはこういう状態を言うのだろう。
小百合さん、もといサザエさんが、自分の胸元を見ていることに気付く。そこで
715 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:50:50 ID:RNC+G3WJ
part13/13 5/6
「このシャツ似合ってるかい?」
「見立てた人が良かったみたいね」
716 :小さな恋物語 6月4日分:2007/06/04(月) 00:57:27 ID:SyU7qwS5
part13/13 6/6
この後、両者の付き添いから説明を求められ、呆れられながらも、無事にお見合いは終わった。
東京に帰ったら、あの人情と唇の厚い親友に今回の事を話してみよう。
作り話と笑われるかもしれないが、本当にあった小さな恋物語なのだ。
小さな恋物語episode2 sideM完
to be continued sideS
449 :小さな恋物語 ◆R7/RbK9IEQ :2007/09/12(水) 22:09:04 ID:FHmejtkz
突然のお見合い話から3日後父がバイクを持ってきた。
「サザエ、これでお見合いは出るのだろうな」
本当に持ってくるとは思っても見なかったが、母も言ってた通り嫌だったら断れば良いわ。
玄関の前で照明の光に照らされてキラキラと光るバイクを見てお見合い話の事はどうでも良くなってしまった。
「良いわよ、そんな事より乗ってみたいのだけれど、どうすればいいの?」
「いきなりは無理だろうから食事の後で空き地で練習するぞ」
食事は母さんと用意したものだったのだけれど、何が出たのか覚えていない。
その時の私は一目惚れしてしまったバイクとのデートの為に浮かれきっていたからだ。
450 :小さな恋物語 ◆R7/RbK9IEQ :2007/09/12(水) 22:11:10 ID:FHmejtkz
食事が終わって父と私とバイクで空き地に向かう。
「まずはヘルメットを被りなさい」
髪型が崩れないかしらといつもなら思っただろうけど、その時そんな事はどうでも良かった。
「キーを回してこのペダルを踏み抜いてエンジンを掛ける」
エンジンが掛かり排気音がし始める。それは恋人との睦言のように私の耳から胸に響いてきた。
「右がアクセルで左レバーがクラッチ、右のレバーが前ブレーキで右の足元にあるペダルが後ろブレーキだぞ」
「スタートの仕方は車と同じ、半クラッチを覚えなさい、数字がギア数、点がニュートラルだ」
「ワシの乗っていたバイクと違ってグリップチェンジだから難しいかもしれないぞ」
父の説明が続く、しかし半分以上私の耳には入ってきていなかった。
アクセルを回す、エンジン音は大きくなるけれどまったく進まない。
「父さん、進まないわよ」
その言葉に呆れたかのように父が答えた。
「聞いておったのか、ギアを一速に入れなさい。ニュートラル状態では進まんぞ。免許は持っておるのだろう」
分からない用語が出てきた。
「ニュートラルってなぁに?」
父は呆れ返った様子で肩を落としている。
「サザエ、明日免許センターに行ってきなさい」
「何でよ」
「免許を返納するんだ」
馬鹿にされながら練習は続いた。