1-31 マスオ物語
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831 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/15(金) 22:01:06 ID:+fVzjOX+
【SCENE118】
・・・確かにバイクは、どす黒い苦悩に埋もれゆこうとしている僕達の心を、
刹那的ではあるが真っ白にしてくれた。
それは、死と紙一重のリスキーな走りとの引き換えだったが、
それでも僕らにとってバイクは僅かな光明に見えなくもなかった。
決してその裏側にいる死神の影を意識しなかったわけではない・・・。
だがそれでも・・・、事によってはその死神に魂を握られたとしても、ひとときの苦悩から逃れる術を僕達は選んだ・・・。
鈴木さんの死から初めてバイクに跨った夜の翌日も、僕とアナゴ君は第三京浜を走った。
アナゴ君の行き場のない思いをぶつけるような身を削る如き走りは前の晩と全く変わらず、
僕は幾度か肝を冷やし、そうして彼を元の陽の光の元へ導く為にはあまりに無力な自分を痛感する・・・。
それは至極当然の事だった。
己もまた、暗い闇の淵に身を落としそうになりかけている。
そんな僕に自分以外の人が救えるはずもなかった・・・。
いや・・・。ともすれば僕もアナゴ君のように行き場の無い苛立ちや焦燥を、
心のどこかであからさまに他者にぶつけたいと願っていたのかもしれない。
だが、当初の僕はそうはしなかった。道を踏み外しそうになっている友を目の当たりにし、
心のどこかで僕だけは・・・と「我慢」をしている自分がいたのだ。
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832 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/15(金) 22:02:57 ID:+fVzjOX+
その日もアナゴ君は一台のスポーツカーに狙いを定め保土ヶ谷PAまで追い詰めたが、
カタナを降りて歩み寄ったところで逃げられ、苦し紛れにPAのゴミ箱を力一杯蹴飛ばした・・・。
僕はそんな彼を見ていることしか出来なかった・・・。
なまじ同じ苦しみを共有してしまったばかりに、慰めの言葉をかけようとしても、
そんな言葉になど癒すことの出来ない心理状態もまた理解できてしまう為に、
僕は彼に対して言うべき言葉を何も持てないでいた・・・。
・・・僕よりも、4人の米兵の方がよほどアナゴ君のささくれだった心を幾分か癒してくれているようだった。
その日、レッドは例の派手なサニートラックで保土ヶ谷PAに現れた。
助手席には未だギプスが痛々しいマイケルの笑顔があった。
陽気なマイケルは松葉杖でアナゴ君に駆け寄ると黒い顔の真ん中に真っ白い歯を光らせながら
アナゴ君との再会を喜んでいた。すると、アナゴ君にも微かに笑顔が戻る。
・・・僕は彼らに感謝していた。彼らは僕らの心の傷を理解し、そして慰めようと自分たちなりに行動に
移しているようだった。
そんな日が3日ほど続いた。
ある日などは、やはりスポーツカーを煽ろうとアナゴ君が仕掛けようとしたタイミングで
突然レッドが追いついてきて、大袈裟で茶目っ気たっぷりのハンドサインを出し、
アナゴ君の凶暴な部分を抑えこんだりもしてくれた。
そして彼らは別れ際に、「明日も会おうぜ!」と言って手を振る・・・。
そんな数日間程度でアナゴ君の心の暗黒の部分が消えていったようには見えなかったが、
それでもそれが拡大して行く傾向にも無いように見えた。
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833 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/15(金) 22:04:01 ID:+fVzjOX+
ただ・・・僕はそんな束の間の時間の後、部屋に戻って一人になるのが怖かった・・・。
一人になるとどうしても鈴木さんの事を思い出し、そして自責の念に駆られる・・・。
自分と関わってしまった事で死への道を歩んでしまった鈴木さんの事を思い、思わず万年床で枕をきつく抱きしめる・・・。
そして、ふと思い出してしまう・・・。あぁ、予定では今日が鈴木さんと富良野で落ち合うはずだったなぁ、と・・・。
そんな苦悩の連鎖の末に、それを刹那でも忘れさせてくれるバイクに乗りたくなる。
・・・今日も第三京浜に行こう・・・。そんな事を思いながら浅い眠りにつく頃には、もう夜明け・・・。そんな毎日だった・・・。
忘れもしない・・・。その日は暑い日だった。夕焼けがきれいな日だった。夕立は無さそうだった・・・。
僕はその日、意を決してアナゴ君の前を走った。彼に少しでも無茶な走りをさせたくない一心での判断だった。
彼は僕の前に出て、綱渡りのようなラインでクルマの間を駆け抜けたいようだったが、
Ninjaはカタナを上手く押さえ込んでくれた。
僕の気持ちを知ってか知らずか、アナゴ君も無理に僕の前に出ようとはしなかった。
保土ヶ谷PAに着いてから、彼は僕に向かってひねくれた笑顔で独り言のよう小さな声で言った。
「・・・好きにさせてくれよなぁ・・・。」
僕は聞こえないふりをして、言葉を返さなかった・・・。
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834 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/15(金) 22:04:44 ID:+fVzjOX+
その日、レッドたちは保土ヶ谷PAに現れなかった。
Ninjaとカタナのエンジンが冷え切ってしまうまで、僕らは何をするでもなく、
僕らの心を束の間癒してくれるバイク仲間が現れるのを待っていたのだが、
遂に彼らは保土ヶ谷に現れることは無かった。
「・・・今日は来ねぇのかな?」
「急な仕事でも入ったんじゃないか?」
「・・・行くか・・・。」
「あぁ・・・。」
そして、僕らはここに来た理由の一つを満たせないまま、それぞれの部屋への帰途に着いた・・・。
その日の第三京浜道路からの帰り道。
深夜にも関わらず、東京の街が何か落ち着かず、浮き足立って見えたのは気のせいでは無かったのだろう。
僕はその日の衝撃と、その後の虚脱感を今も忘れてはいない・・・。
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835 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/15(金) 22:07:47 ID:+fVzjOX+
僕は鈴木さんの死以来、静寂の夜が嫌で耳に入らないラジオのスイッチを毎夜入れていたのだが、
その日は放送されているはずのラジオ番組ではなく、何か切羽詰った感のアナウンサーの声が流れていた。
それは、ラジオなど聴く気の無かった僕の耳さえ奪うほどの緊迫感に溢れていた・・・。
・・・羽田発、大阪行き・・・。524人もの乗客を乗せたジャンボジェットが、行方不明・・・。墜落した可能性大・・・。
埼玉県、長野県、群馬県など、複数の地点で墜落を示唆する現象の確認・・・。情報は交錯していた。
ラジオのチャンネルを変えても、どこの局もその未曾有の大惨事を想像させるに難くない状況証拠を繋ぎ合わせ、
その信憑性に関わらず次から次へと新しい情報を流し、あるいは同じ内容を何度も繰り返す報道を行っていた。
幾つか可能性を挙げられていた墜落地点の一つである「群馬県」という地名から、
僕はすぐにその報道とは無関係なのに、群馬が故郷だった鈴木さんの事を思い出した。
そうして自分とは無関係なはずだったこのニュースに対して、航空機の「墜落」という言葉の裏側に
高い可能性で存在するであろう、人の「死」という事に思いを馳せる・・・。
・・・ほんの数日前に大切な人を亡くし、人間の「死」というものに対し非常に感受性が高まっていた僕にとっては、
そのあまりに痛ましい事故はそれだけでも僕の心に突き刺さる出来事だったに違いない・・・。
・・・だが、この事故はある意味、僕にとって「無関係」な事では無かったのだ・・・。
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836 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/15(金) 22:09:05 ID:+fVzjOX+
ニュース報道の中に、「米軍」や「横田基地」というフレーズが聞こえ始め、
レッドたちが今日は第三京浜に来れなかった理由が解かったような気がした。
続けざまに入る報道から読み取れる状況を積み重ねると、どうやら群馬、もしくは長野の山中に
墜落したことは確定的なようだった・・・。
「500名を超える・・・」。キャスターのその言葉に、僕は逝ってしまった大切な一人の人と、
そのたった一つの死がもたらしたあまりに大きな悲しみを思い浮かべ、
そのあまりの人数に気が遠くなりそうな思いに襲われる・・・。
乗客名簿の一部が読み出され、行く先が故郷大阪であったことや、帰省シーズンであったこと等から、
上京しているはずの数人の知り合いの名がよもやありはしないかとラジオの前に釘付けになる・・・。
そして、しばらくラジオを複雑な思いで聴いていた僕に衝撃的な情報がもたらされた・・・。
「・・・この便には、歌手の坂本 九さんが搭乗していた可能性が・・・」
それを聴いた瞬間、全身の血流が止まったかのような感覚に襲われた・・・。
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944 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:18:51 ID:VW16w6ke
【SCENE119】
・・・九ちゃんの乗った飛行機が堕ちた?
僕はその突然の衝撃的な情報を、にわかに信じる事が出来ず、都合の良い理屈を勝手に頭の中で
作り上げたり繋ぎ合わせたりして必死で否定しようとした。
乗り遅れたりして、本当は乗っていないのでは?同姓同名の別人では?
しかし、報道は彼がその便に乗っている具体的証拠を次から次へとラジオの前の僕に突きつける。
やはり・・・僕が愛してやまない九ちゃんは、その便に乗っていることに間違いないようだった。
僕はその夜、窓の外が明るくなってもラジオからの情報に耳を傾けていた。
その時、僕は九ちゃんが墜落機に乗っていることは認めても、命は助かっているものと本気で信じていた。
・・・まさか、あの九ちゃんがいきなり死んでしまうはずなんて無い・・・。そう思っていた。
・・・突然、この世から居なくなってしまうなど露にも思っていなかった大切な人が、
突然にこの世から居なくなってしまった後だというのに・・・
僕は人間の命の儚さをどうしても認めたくなかったのかも知れない・・・。
陽は高く上り始め、正確な墜落地点が長野県から群馬県に訂正されると共に、被害状況が刻々と明らかになっていく。
僕はそんな声だけのラジオ報道を聞きながら、九ちゃんを心配する気持ちが募り、テレビ映像をこの目で見たくなる。
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945 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:20:12 ID:VW16w6ke
・・・どこだ?テレビが見られるのはどこだ?鮒田食堂はまだ開店していない・・・。そうだ!学校だ!
夏休みでも校内には入れるはずだ。学食のテレビだって見られるに違いない・・・。
そう思った僕は、大学に行く為に着替えを始めた。その時だ。
『・・・墜落現場から、数人の生存者が発見された模様です。現在、自衛隊が救出活動を・・・』
生存者というラジオからの声に、僕は色めき立つ。そして、何故かとても安堵したのを覚えている。
九ちゃんも生きているに違いない!・・・何故か、僕はそう信じて疑わなかった・・・。
僕は普段、学校に行く時には使わないNinjaに跨り、意気揚々と出発した。九ちゃんは生きている!そう信じて・・・。
あるいは僕は鈴木さんの死以来、押し寄せる現実の非情さを受け入れたくなかったのかも知れなかった・・・。
だから頑なに九ちゃんが事故機に乗っていることを否定したり、命を落としている可能性を想像しようとしなかったのかも知れない。
だが、僕が学校のテレビで見た「現実」は、まるで容赦の無いものだった・・・。
僕は、あわよくば学校まで移動している間に九ちゃんの生存情報がもたらされているかも知れないなどとも考えていた。
・・・だから、その時の衝撃はなおの事、重いものだった・・・。
案の定、学食のテレビは墜落事故を報道する番組が流されており、テレビの前には部活や自習で学校を訪れた数人の学生の姿があった。
そこで僕が見たものは、希望の二文字が消し飛ぶようなものだった・・・。
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946 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:21:10 ID:VW16w6ke
報道ヘリからの映像は凄まじいものだった・・・。
深い山中の、とある山の頂上付近に飛行機の形を連想させる黒く巨大な焼け焦げの痕がくっきりと刻まれていた・・・。
いたるところから立ち昇る白い煙・・・。黒焦げのひしゃげた残骸・・・。
誰かが悪戯でそこに置いたように佇む上下逆さまの着陸脚・・・。
かろうじて主翼の一部であることが認識できる板状の部品に読み取れる航空会社の社名が事故が本当に起きた事を物語っていた・・・。
・・・その映像から、生命の匂いはまるで感じ取れなかった・・・。
女性らしき生存者が自衛隊の救難ヘリに隊員と共に吊り上げられる映像が繰り返し流されていたが、
むしろそんな生存者のほうがその地獄のような状況の中で特異な存在に思えた・・・。
僕はその場で、佇んだ・・・。そして、九ちゃんの命がとてつもなく高い確率でこの残骸の中に散ったであろう事を認識せずには居られなかった・・・。
・・・僕が敬愛する歌手、坂本九の死が正式に確認されたのは、その3日後のことだった・・・。
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947 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:21:57 ID:VW16w6ke
『・・・坂本九さんの御遺体が、御家族によって確認され・・・』
その日、幾度と無くそんなフレーズをラジオで聞いた・・・。
夕暮れを追いやるように東の空から迫り来る漆黒の闇の下、僕はNinjaをほとんど無意識のまま走らせていた・・・。
鈴木さん・・・、そして九ちゃん・・・。これほどまでに人の命の儚さを思い知らされた事は無かった・・・。
人間とは・・・命とは・・・人生とは・・・。答えの出ない自問は、僕の頭の中を猛烈な勢いで回っていた。
・・・人は何故、死ぬのか・・・。死ぬのに・・・何故、生きるのか・・・。
気がつけば、いつのまにか僕は第三京浜を走っていた・・・。
120km/h程度のペースで僕はライディング以外のことを考えながらクルージングしていた。
大きくて、優しかった鈴木さん・・・。僕達の兄のように頼れる存在だった鈴木さん・・・。
そんな鈴木さんが何故、暴走車によって命を奪われなければならなかったのか・・・。
あんなに真っ直ぐで、輝ける瞳をしていた若い命が消えなければならなかった理由とはなんなのか・・・?
敗戦国のコンプレックスをまだ引きずっていた1960年代。
戦勝国である米英で堂々たる歌声を披露し、日本人・・・とりわけ思春期の若者を歌で応援し続けた九ちゃん・・・。
僕がこの夏、北海道で視るはずだったテレビ番組での活動のように、社会福祉にその優しい目を向けていた九ちゃん・・・。
そんな九ちゃんが、志半ばで残酷な死を迎えねばならなかった理由とはなんなのか・・・?
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948 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:22:39 ID:VW16w6ke
鈴木さんの死で疲れ果てていた僕の魂は、九ちゃんの理不尽な死によってとどめを刺されたようなものだった・・・。
真っ直ぐに生きていた人達。周囲の人々にとって太陽のように明るい存在だった人達が迎えた惨たらしい最期・・・。
それは若かった僕にとって、人間の営みに無常と非情を感じるに充分な出来事であった・・・。
そうして力無くNinjaを走らせる僕の背後に邪悪な気配を感じたのは保土ヶ谷PAまでもうすぐの地点だった。
バックミラーを眩しく照らすクルマのライトで僕は我に返った。
いつのまにか、僕の後ろには一台のクルマがピッタリと張り付いていた。
そのクルマはパッシングや空吹かしで僕を煽る。明らかに僕をターゲットにしている事は間違い無いようだった。
僕はNinjaに鞭を打つ。そのクルマはミラーの中でみるみる小さくなってゆくが、すぐに保土ヶ谷料金所に着いてしまった。
保土ヶ谷PAにNinjaを停めると、そのクルマもまた十数メートル離れた場所に停まった。
黒いセリカだった・・・。僕はヘルメットを脱いだ。
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949 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:23:30 ID:VW16w6ke
「ほら!やっぱりこの間のクチビル野郎の仲間だぜ!」
「ホントだ!おぉ?今日は一人かぁ!?」
「ハハハ、弱っそうだな〜、おい。どうする?やっちまうか!?」
そのセリカの運転席から降りてきた男は、数日前にアナゴ君ともめた男に違いなかった。
以前は友人と二人連れだったが、今日はさらに二人の仲間を引き連れている・・・。
もしかするとアナゴ君に仕返しをする為に、第三京浜に現れたのかも知れなかった。
クルマから出てきた彼らは、僕の方に向かってニヤニヤ笑いながらゆっくりと歩いてくる。
どうやらアナゴ君を見つけられなかった腹いせを、仲間である僕で晴らそうとしているようだった。
・・・しかし、もっと大きく、得体の知れない理不尽な現実に対する腹癒せを晴らそうとしているのはどうやら僕の方だった・・・。
以前の僕であれば、尻込みしてしまうようなシチュエーション。
しかし、その時の僕の心中は、この夏に僕を襲った数々の受け止め難い現実に対しての怒りに打ち震えていた・・・。
・・・どうして鈴木さんが・・・、どうして九ちゃんが、死ななければならないんだ・・・。
それなのに、それなのに・・・、どうしてこんな連中が我が者顔でのさばっているんだ!
・・・僕は容赦無い現実に対する苛立ちを晴らすため、拳を固く握り締めた・・・。
「おい!この前のクチビル野郎は・・・」
僕の目の前に立ちはだかったセリカのドライバーがそう言い終わる前に、僕は右の拳をその下卑た笑顔にぶち込んだ。
「グハッ!!」
・・・初めて人を殴った・・・。ことのほか心地よいと感じている僕が居た・・・。
相手は鼻血を流してアスファルトに倒れこんだ。
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950 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:24:12 ID:VW16w6ke
「りゅ・・・竜ちゃん!」
「て・・・テメェ!何しやがる!」
その時、僕が暗く圧し掛かる現実に対する腹癒せに放った一撃はその一発のパンチのみだった。
その後の僕は、ご想像の通り他の三人の仲間のサンドバックと化してしまったからだ。
「オラッ!テメェ、立ちやがれ!」
「ぶっ殺してやる!」
何発のパンチと蹴りを見舞われたかは覚えていない・・・。僕がアスファルトに突っ伏しても彼らは
僕を無理矢理に引き立て、甚振ろうとした。出血が鼻からなのか口の中からなのかも解からなかった。
その時、PAのドライブインの方向から数人の大男がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「Hey!Hey!Hey!Hey!!!!」
「うおっ!なんだよあのデカい外人達!こっちに来るぜ!?」
「や・・・やべ!仲間か?」
「おい!とにかく逃げるぞ!」
血相を変えて駆け寄ってくる米国軍人の迫力に、男達は逃げるようにクルマに乗り込み去っていった。
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951 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/27(水) 00:25:33 ID:VW16w6ke
「HAHAHA!ケンカは弱いナ、Ninja Boy!」
アスファルトに仰向けに倒れる僕の肩に手を掛けながらジョージそう言った。
「Hey!Ninja Boy!泣いてるのか?」
アスファルトに倒れながら仰ぎ見る満天の星空が歪んで崩れた・・・。僕は泣いていた・・・。
・・・もうダメだ・・・。僕は短い時間の中で、多くの精神的支柱を失いすぎた・・・。
アナゴ君の為に自分だけは真っ直ぐに立つつもりだった。僕は平静を装って生きていけるつもりだった。
だけど・・・、だけど・・・僕はもう、失ったものの大きさに耐えられない・・・。
レッドやジョージから涙を隠そうと横を向いた僕の目に入ったのは、
在りし日のあの人が遺したアスファルトに刻まれた筆跡だった・・・。
『 魔 棲 雄 』
・・・ゴメンなさい、九ちゃん・・・。もう・・・上を向いて歩けそうにない・・・。
僕は、そう漆黒の天空に向かって呟いた・・・。
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54 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/07(土) 00:42:02 ID:6NRgKeZB
【SCENE120】
刺々しくささくれ立った冷気がヘルメットの隙間から滑り込んで頬を突く。
真冬の夜の固く凝縮された冷気は、我が愛車の心臓の中で一時に膨張し、不気味なほどに滑らかな
クランクの回転運動と、第三京浜のアスファルトを後方に蹴飛ばすエネルギーに変わる。
保土ヶ谷まであと2km。京浜川崎IC付近から自分の前方を時速200kmで走っているスカイラインが、
もとより限界なのは知っていた。
知っていながら、僕はずっとその4灯のテールライトを着かず離れずの距離で追い回していた。
スカイラインのドライバーだってもしかしたら、後方に張り付いている二輪車は追いかけてくるだけで
精一杯なのだ、と思っているのかも知れなかった・・・。
勝負は始めから成立してなどいなかった。
僕はその時、「12月の風は冷たいな・・・」と考えているだけだった・・・。
相手は勝負をしているつもりでも、僕にとっては決してそうではなかった・・・。
僕がずっと相手に合わせた速度で第三京浜の終盤まで走り通して来たわけは、単純に相手を陥れようと
する悪意に違い無かった。必死で逃げ切り、打ち負かそうと思って走ってきた相手が、実は自分よりも
圧倒的な速さを持っていたのだとしたら・・・。それまでの自らの走りはたちまち道化と化す・・・。
その精神的一撃を相手に与えたいが為に、僕はここまで退屈な「クルージング」に耐えてきたのだ。
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55 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/07(土) 00:42:56 ID:6NRgKeZB
右手の中でスロットルを気持ち握りなおすと、僕はNinjaに鞭を入れる。
猛るdevilの叫びは相手に聞こえただろうか。
僕はスカイラインに苦も無く並び、そうしてスルスルとストレス無く前に出る。
僕はあえて相手に視線を向けず、まるで無視を決め込んで自分のペースに加速していく・・・。
・・・相手のドライバーが僕に視線を向けているのは、視界の隅でなんとなく理解できた。
そうだ・・・見るんだ。そして覚えておくが良い・・・。
鮮血の如き紅と、闇の如き漆黒に塗り分けられた我が愛車を・・・。そして我が背に刻まれた我が名を・・・。
『魔 棲 雄』
それが我が名・・・。魔の速度域に棲む男・・・。
・・・そして、魔の速度域でしか・・・生きられない男・・・。
バックミラーに視線を流すと、240km/hの振動によって揺さぶられた鏡面の中でスカイラインの
ヘッドライトの光は小さな羽虫が電灯の下でそうするように踊り、そしてすぐに消えた・・・。
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56 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/07(土) 00:44:58 ID:6NRgKeZB
あの人は悪戯で言っていたのであろうが・・・それでも僕はあの人の望んだ通り、その名を背に冠した・・・。
そうすることで、あの人がいつまでも僕らと共に居るような気がした・・・。
そしてまた、あの人の遺志を背負う事が、あの人の命を奪った得体の知れない理不尽な何かに対する
ささやかな抵抗であるように思えた・・・。
虚無の残暑と苛立ちの秋を過ごした僕らは冬を迎えた・・・。
そうしてほとんど毎夜をここ第三京浜で過ごした・・・。
ツーリングなど行かなくなった・・・。カタナとNinjaは、この東京世田谷と横浜保土ヶ谷を結ぶ
高速ステージを走る為のツールとなっていた。
そして己の内面をただ満足させる為だった「走る理由」は、苛立ちからくる攻撃的な感情を自分の外へ
ぶつける為のものへと変わって行った・・・。
「・・・今日は?僕は一台だ。」
「駄目だ。碌なヤツが居やしねぇ・・・。今日は一人でここまで走ってきただけさ。」
「じゃあ、僕の勝ちだな。」
「チッ!解かったよ」
アナゴ君は革ジャンのポケットをまさぐって取り出した100円玉を人差し指の上に乗せ、親指で弾く。
回転しながら放物線を描くコインを僕は顔の前でキャッチする。
そうして、冷めた体を温める缶コーヒーを買いに行こうと踵を返した時だった。
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57 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/07(土) 00:46:17 ID:6NRgKeZB
「おいっ!テメェらだな。近頃、散々俺らをコケにして調子に乗ってやがるのは!」
若者がまだ血気盛んな時代だった・・・。僕達の前に立ち塞がる3人の男。
さっきのスカイラインと関係があるのかは解からないが、ともかく僕らが他の走り屋を
「コケにして」いる事を問題にしているのであれば、心当たりが無いわけではなかった。
「さぁて。どこかでお会いしましたかねぇ。雑魚の数が多すぎていちいち覚えて無ぇからなぁ・・・。」
アナゴ君がそう言うと、相手のリーダー格の顔が見る見る紅潮していくのが解かる。
「テメェ!」
相手はアナゴ君の胸倉を掴みにかかるが、手の早いアナゴ君は両手で相手の両肩を掴むと
膝蹴りを腹にお見舞いする。・・・あとはもう滅茶苦茶。ケンカが始まるだけだ・・・。
力仕事中心のアルバイトを始めてから、細腕だった僕にもそれなりの筋肉とそれに伴うパワーが
ついていたようだったが、それに気がついたのはここ最近の幾度かのケンカを経験してからだった。
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59 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/07(土) 00:46:52 ID:6NRgKeZB
・・・尻尾を捲いて逃げ行く3人を見送りながら、僕は今殴られたばかりの左頬をさすりつつ言った。
「おい。アナゴ君。」
「・・・なんだよ。」
僕はアナゴ君がそうしたように、さっき彼から貰ったばかりの100円玉を指で弾いて彼に返した。
「僕は一人、キミは二人。キミの勝ちだ。」
アナゴ君は掌の上のコインを眺めながら、退屈そうな顔で苦笑して言った。
「・・・つまんねぇゲームだな・・・。」
1985年冬・・・。満たされない僕達を、寒空で輝きを増した星々が照らしていた・・・。
そんな夜空の美しさに気がつきもせず、僕達は地面の上で溜息をつく毎日を過ごしていた・・・。
172 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:00:12 ID:oPdNMZR0
【SCENE121】
1985年の東京の冬は寒かった・・・。少なくとも、僕はそう記憶している。
学校からの帰り道。僕は寒さに背を丸くして一人歩いた。
重く垂れ込めた冬の鼠色の空を見るだけで気持ちもまた重く沈み、街路樹の枝の先に
落ちるでもしがみ付くわけでもなくぷらぷらと寒風に翻弄される枯葉を見ては、
正体不明の苛立ちを募らせた。
満員電車に乗り合わせた人の群れの全てが、自分を不幸に誘い込む為に僕の前に
現れた信用ならざる存在に思え、耳を劈く甲高い電車のブレーキ音にも不快が高じて
僕は顔をしかめた。
そんな風に僕は世の中のほとんど全てに対して背を向け始めていた。
それは死すべきでないはずの人が生きていくことの出来なかった「世界」に対しての、
疑念と呪詛から湧き出た思いであることに間違い無いのであろうが、それに加えて、
それらの目を背けたくなる世界の様相が、実は自らの弱く脆い心を如実に映し出す鏡の
ように思えたからかも知れなかった。
とにかく、僕は世界を正視することが出来なくなっていた。
そして、その不快な感覚に囚われるのは決して初めての経験では無かった。
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173 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:01:27 ID:oPdNMZR0
そう、それはバイクを知る前の自分。世の中を怖れ、世の中に背を向けていた以前の感覚。
バイクを知ってから2年ほどの間に経験した、濃密で熱い日々。
湧き上がる情熱と、迸る若いエネルギー。絶えることの無かった笑顔・・・。
陽炎に揺れる地平線の先にどこまでもどこまでも続く道の先には、終わることの無い
喜びが待ち受けていると信じていた。
そして自らが跨り操る力強き鉄馬は、そんな希望の未来に誘ってくれる相棒であると
信じて疑わなかった・・・。
今、僕の立つ世界にその面影は影も形もない。あれは・・・あの楽しかった日々は夢だったの
だろうか?確かにあったはずの幸せに彩られた過去が、まるで偽の記憶のように霞んで
思えて、僕は時に立ち尽くす・・・。
そうして僕は重い体を引きずるようにボロアパートへと帰りつく。通学バッグ代わりに
使っているヘルメット袋を何処とも無く放り投げ、足先まで冷えた体を折り曲げるように
万年床に体を預ける・・・。
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174 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:04:51 ID:oPdNMZR0
古く汚れた部屋の天井が見える。バイクを知る前の僕が、いつも睨めっこをしていたその天井を、
こうして再び見上げることが多くなった。
そして、何処まで続くのか知れない澄んだ真っ青な大空より、手の届きそうな小さく薄汚れた
この天井を眺めている方がよほど気が楽だ、などと考え始めてもいた・・・。
そうかと思えば天井の木目が「お帰りなさい」と嘲笑う人の顔のようにも見えて、無性に腹も立つ・・・。
思考が脳を刺激し、また新たな思考を誘引する。それらはほとんど全部、負の思考である。
ぐるぐると止め処なく心の深部から黒い水が湧くように、いつしか僕の魂は負の意識で満ちていた・・・。
あぁ嫌だ・・・。
落ち着き無くざわめく都会も、静か過ぎる夜更けも、油断ならない人の群れも、烏合の如くぞろぞろと
ひしめくクルマの渋滞の列も、僕に苦しみから逃れる術を教えてくれない学校の授業も・・・。
世の全てが嫌でたまらない・・・。
九ちゃんが散った空も・・・。鈴木さんが逝った地上も・・・。
そして・・・そして何よりも、いつまでも上を向けないで、その場でのたうっているしか無い自分自身が・・・。
あぁ・・・嫌でたまらない・・・。
・・・そうしていつも、僕はいつしか身支度を整えて駐輪場のNinjaの脇に立っているのだ。
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175 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:05:36 ID:oPdNMZR0
可笑しな話だと思うだろう。大切な人を死に至らしめ、僕と僕の友を絶望の淵に追いやった悲劇の根本に
僕は身を委ね、心の平穏を得ようと思っているのだから・・・。
Ninjaの心臓に火を入れる。devilが唸る。
夏以来、ほとんど笑わなくなった僕。だが、その音を聞く度に僕は薄く笑う・・・。
バイクに・・・こいつに乗っているときだけは、全てを忘れられる。
真紅の革ジャンの背に『魔 棲 雄』の三文字を従えてNinjaは第三京浜へ向かう。
その頃、硬く冷たいアスファルトの上だけが、僕達の安住の場所だったのだ。
憑きまとう心の闇を振り払うかのように大きくスロットルを捻りこむと、Ninjaは容易く200km/hの壁を
超える。
前を走るVmaxとは、第三京浜に進入した直後の加速勝負でその差を縮める事は出来なかった。流石だ。
・・・しかしここは第三京浜。役者が違う。
僕はその大きな図体の敵機のスリップストリームから飛び出すと、その速度からなおも前へ前へと
加速しようとする愛機のご機嫌をとるかのようにスロットルを開け増す。
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176 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:06:07 ID:oPdNMZR0
スピードを餌のように貪りながら、悪魔はさらに速度を増す。Vブーストの唸りを尻目に僕は凛と固い冬の
空気を切り裂いて、闇の先へ飛び込んでゆく。
鈍重な家畜のように路上に点在する一般車両を、いつかの教習所のパイロンスラロームでそうしたように
右へ左へ4、5台ほどパスするとVmaxのヘッドライトはミラーの中で、他の車両の光の中に埋もれ、
消えていた。
そんなほんの数分の一秒の刹那の後方確認後に前方に目を移すと、数十メートル前方の4輪車が
自分の進路上に何食わぬ顔で侵入してくるのが見えた。
後方から近づく車両が居るにも関わらず、確認もそこそこに車線変更をしてくるその4輪車に対して、
僕の心に敵意が灯る。
僕の心は極端に傾倒していた。4輪車の存在、それ自体が悪であると決め付けていたかも知れなかった。
鈴木さんの命を奪った信号無視のクルマと眼前の注意不足のクルマが、バイクに対して理解も意識も
払わない強圧的で悪意をもった征服者の如きであるという一点において、全く同義の存在に思えた。
急減速。前方の進入車との速度差を小さくする。
右か?左か?瞬間の考慮の後、左から抜くことに決めた。そして、僕は右足をステップから離して持ち上げる。
狙いを定める・・・。そして・・・。
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177 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:08:00 ID:oPdNMZR0
ぶ厚いライディングブーツのゴム底に、何かが砕けたような乾いた感触が伝わる。
ミラーで確認すると、突然の出来事に驚いて右にハンドル操作されてよろめく相手車両と、道路上に落下して
縦回転しながら勢い良く転がるクルマのドアミラーが確認できた・・・。
「ざまぁみろ・・・」とヘルメットの中でほくそ笑む。と同時に、言いようも無いやるせなさが湧き上がる。
こんな事が一度や二度では無かった。
僕は当時、一体何を考えていたのだろう。自らの行為をどのような思いで正当化しようとしていたのだろうか・・・。
よもや、こんな矮小で下卑た行為が鈴木さんの仇討ちであると思っていた訳では無かろうが、ぶつけどころも
無ければ止めようも無い、ましてや正体不明である怒りと憎しみと虚無心を苗床とした僕の攻撃性は、しばしば
このような形で他者に放出されたのだった。
そう・・・、あるいは、僕は狂っていたのかも知れない・・・。
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178 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/07/25(水) 22:08:45 ID:oPdNMZR0
保土ヶ谷PAでハイライトに火を点けた時、さっき追い抜いてきたVmaxが到着した。
「いやぁ〜、キミ速いねぇ〜!」
僕はほとんど彼に目を合わさず、自分が吐き出したタバコの煙を眺めていた。
「さっき道路の上になんかの部品が落ちてて危なく轢きそうになったよ。キミは大丈夫だった?」
僕は言葉を返す代わりに無言で含み笑いを浮かべる・・・。
タバコの灰が足元にこぼれ落ち、冬の乾いた冷風にさらわれバラバラに飛び散ってゆく。
そのあまりに冷たい風に体温は芯から奪われ、僕は少し震えながら身を縮める・・・。
果たして、寒風が吹きすさんでいたのは12月の空だけだったのだろうか・・・。
1985年、冬。・・・寒さに打ち震えていたのは、決して肉体だけでは無かった・・・。
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271 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:06:05 ID:KrICWFqV
【SCENE122】
深い深い暗闇・・・。
見渡す限りの黒い地面と黒い空がどこで溶け合っているのかも解からないほどの漆黒の空間。
一体、この暗闇はどこまで続いているのか・・・。
気がつくと上下の感覚すら喪失しそうなほどの暗黒の世界・・・。
そこに僕はたった一人で、ただ立っている。
いや・・・、自分の足元はおろか、胴体も指先すらも見えないほどのその暗闇の中で、
感覚のみがおそらくは直立しているであろう事を知らせているだけだ。それほどの闇・・・。
そんな暗闇の中を、おぼつかない足取りで歩く。
どこへいくとも知れず、ただとにかくその闇の空間を歩いていく。
進んでいるのか、ただその場で足踏みをしているだけなのか、それすら判然としない。
そうして前に向かって歩いているつもりで足を進める。
・・・一体、ここは何処なのか。どうして僕はこんなところを一人歩いているのか。
解からない・・・。だが、ここは酷く居心地が悪くそれでいてどこか落ち着くような妙な心持ちがする。
そうしてしばらく足を進めていくと、向かう先に何かの気配を感じる。
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272 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:07:06 ID:KrICWFqV
・・・誰かが居る・・・。
しばしの暗闇行脚で心細くなった僕の歩みは気持ち速くなる。早足でその気配に近づく。
もうほとんど最後の方は駆け足になる。
誰か・・・誰か居るのか?僕をここから・・・ここから早く出してくれ!
遠くに人が立っている。こちらに背を向けて、ただ立っている。
自分の指先も見えぬほどの暗闇であるのに、その遠くの後姿の人影だけは妙にはっきりと僕の目に飛び込んでくる。
その立ち姿が比較対象物となり、僕の平衡感覚も初めてはっきりと動き出し、駆け寄るスピードはさらに増加する。
・・・後姿が近づいてくる・・・。どこかで会ったことがあるような気がする、懐かしい後姿・・・。
スラリと長身で、それでいてガッシリとした体躯・・・。
短く刈り込まれた頭髪・・・。黒の革ツナギと、やはり黒いブーツ・・・。小脇に抱えた、白いヘルメット・・・。
あれは・・・鈴木さん・・・。
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274 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:08:29 ID:KrICWFqV
あれほど慕っていた鈴木さんの後姿を前に、僕はピタリと足を止める。
闇で見えないはずの指先や足元が震えているのを感じる・・・。
その理由は唯一つ。死んでしまったはずの人が、目の前に居るという不条理・・・。
彼の十メートルほど先で足を止めた僕に向かって、鈴木さんはゆっくりと振り返る。
頭を回す。あの頃と同じ横顔が左肩あたりまで回ると、それにつれて体全体が僕の方を向く。
「鈴木さん・・・。」
そう言おうとして、口を動かしてもどうしたわけか声が出ない。
声だけではない。もはや僕の体は僕自身の制御を離れ、ただ小刻みに震えるだけ。腕も脚も頭も、全く動かす事が出来ない。
出来る事といえば、僕に向き直った鈴木さんを見ている事だけだった。
死んでしまったはずの鈴木さんが目の前に居る・・・。僕と正面から向き合っている・・・。
・・・正直、恐ろしかった。
鈴木さんは無表情だった。笑っても怒ってもおらず、なんらの精神状態をその表情に反映させてはいなかった。
彼はただ、黙して僕を見つめているだけだった。
余計にそれが怖かった。生前の鈴木さんは僕だけでなく、誰に対しても笑顔を絶やさない青年だった。
そうして時に真剣な眼差しで、若い僕達に大切な事を伝えてくれた。
だから、こんな無味乾燥の彼の表情を見た事が無かった僕にとって、それもまたどこか恐怖を感じさせるに充分な要素のひとつだった。
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275 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:09:15 ID:KrICWFqV
どうして・・・、どうして鈴木さんが僕の目の前に・・・。
これまで述した通り、僕が鈴木さんの死によって精神のバランスを崩し、バイクと荒れた生活に傾倒していった理由は、単に鈴木さんの死による喪失感だけが理由ではなかった。
そこには少なからず、彼を死の運命に導いた関わりを持ってしまった僕自身の存在に対しての自責の念があったからなのだ。
とにかく、鈴木さんの葬儀の時も、そしてその後も、彼を死に追いやってしまった大きなファクターである自分自身の存在に対しての自責の念というものは、晴れる事が無かったのだ。
・・・その自責の念が、目の前に現れた鈴木さんに対する「恐怖」に繋がっている事に疑いを挟む余地など無い事は明白だった。
もっと言えば、自分の命を奪った一因である僕に対しての恨みが、鈴木さんが僕の目の前に現れた原因であると思ったのだ。
恐怖に震える僕にとって、無言で佇む鈴木さんと相対する時間は苦痛を超えた地獄のような時間に他ならなかった。
時間にしてどのくらいだろう・・・。僕にとっては、その沈黙の時間が気が遠くなるほどに思えた。
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276 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:10:25 ID:KrICWFqV
そのうち、その無表情は相変わらずに、鈴木さんは口を動かす・・・。僕の視線はその口元に注目する。
しかし、声は聞こえない。明らかに何かを伝えようとしているのだが、僕と同じように口だけが動き、声は出てこないのだ。
鈴木さんは数秒間口元を動かしたかと思うと、また沈黙する。そうしてまた口元を動かす。それの繰り返し・・・。
数度のその口元の動きから、彼が同じ言葉を反芻していることが解かった。
しかし、何度それを繰り返されようとも、声が聞こえない以上、その意味を捉える事は難しかった。
あ・・・い・・・う・・・。いや、違う・・・。あの瞬間の唇の閉じ方は、「あ」では無い・・・。なんだ?
ば・・・?「ば」なのか?とすると・・・「バイク」か?
・・・しかし、その後が解からない。僕は震えを忘れてその口の動きに集中していた。
鈴木さんは、その口元の動きのみの言葉を何度繰り返しただろう。僕も結局、その意味を掴めずに居た。そうして、ふと鈴木さんの顔全体に意識が注がれたその時だ。
僕の全身に震えが戻る。・・・いや、先刻の震え以上の、もはや足から力が抜けてその場にへたり込んでしまいかねないほどの震えが全身を襲う。
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278 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:11:08 ID:KrICWFqV
・・・鈴木さんは、その無表情をそのままに、泣いていた・・・。
あの懐かしい笑い皺から、真っ赤な血の涙が両頬をつたっていた・・・。
そして、鈴木さんはこちらに向かって歩き始めた。血の涙を流したまま、僕に向かって一歩一歩、近づいて来た・・・。
僕は動けなかった。限界を超えた恐怖を前に、ただその場に立ち尽くすだけだった。
そんな僕を尻目に、鈴木さんは僕に向かって少しずつ近づいてくる・・・。
もう限界だった。
「ごめんなさい!鈴木さん、ごめんなさい!」
僕はそう叫んだつもりだった。しかし、先刻と変わらず僕の喉からは声が出てこなかった。
声にならずとも、僕はそのセリフを何度も何度も繰り返した。もはや目を瞑り、近づいてくるはずの鈴木さんを正視できなかった。目を瞑っても、鈴木さんが近づいてくる感覚だけは確かにあった。
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280 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:12:26 ID:KrICWFqV
「ごめんなさい!」
恐怖に耐えかね、一際大きく声を振り絞ったつもりで再び目を開ける。
・・・目の前には、見慣れたボロアパートの天井と、吊り下げられた傘電燈が、窓から降り注ぐ月の明かりに照らされているだけだった・・・。
夢・・・。
悪夢としか表現できない、そんな夢を鈴木さんの死後、夏の終わりから秋にかけてほとんど毎夜のように見た・・・。
だから眠るのが怖かった。
ほとんど多くの人が眠りに着く時間に、床に入るのを躊躇する日々が続いた。
そうして、夜はどうしても部屋を飛び出しバイクで第三京浜に飛び出す事がなおさら多くなった。
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281 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜 :2007/08/09(木) 00:13:45 ID:KrICWFqV
・・・これが、僕が毎夜のようにスピードに身を沈める事になったもう一つの理由・・・。
ひとしきり、死と紙一重の走りに没頭して深々夜に部屋に戻ると、疲れからなのか興奮した精神状態が理由なのかは解からないが、少なくともそんな夢を見ることは少なくなった。
僕はそんな事をアナゴ君に言ったりはしなかったが、彼もまたおそらく僕と同じような状態にあったのかもしれない・・・。あの垂れ目の下に深いクマを作るようになったのはその頃からだ・・・。
僕は霊の存在など信じはしないし、ましてや鈴木さんが僕を困惑させる為に僕の夢枕に現れたなどとは決して思っては居ない・・・。
あれは、僕の精神状態の表れだったのだろう。僕の内に存在する鈴木さんの死に対する自責の念が、ひとつの形となって現れたものなのだろうと思う。
眠るのが怖かったあの頃・・・。そして夢の中とはいえ、あれほどまでに慕っていた鈴木さんに恐怖を感じてしまっていたあの頃・・・。
・・・僕の心は、確かに病んでいた・・・。
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422 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/09/04(火) 22:48:40 ID:IxcrkASR
【SCENE123】
「あの〜!アナゴさんとマスオさんですよね!?」
底冷えする12月の深夜の空気に肩を窄ませ、5本目のタバコ火を保土ヶ谷PAのアスファルトに擦りつけて消した時、
不意にそう呼ばれて僕らは振り返った。
「・・・何?」
そこには、まだ少年にしか見えない3人の男が居た。
一人は見よう見まねで無理矢理に形作ったようなリーゼント。もう一人は眉毛の剃り跡が真新しい。
そしてもう一人は、 特に何の特徴も無い・・・、それぞれが幼さをその瞳に湛えていた。
まだ高校生くらいだろうか?いや、高校に行っているのかすら解からない。
彼らの背後には、彼らが乗って来たであろうバイクが停まっていた。
その車種が何だったのかは今となってはハッキリ思い出せないが、CBXやFXだったような気がする。とにかく中型バイクだった。
車種よりも、どこのバイクから持ってきたのかも解からないような無理矢理に取り付けたセパレートハンドルや、左右で異なるミラーなどの珍装備のほうが脳裏に焼き付いている。
「うわっ!やっぱり、ホンモノだぜ!」
「ほらっ!言えって、ほら!」
「なんだよ!お前が初めに言い出したんじゃねーか!」
初対面の彼らは、僕達の名を確認すると急に色めき立ち、落ち着きを失い、騒ぎ始めた。
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423 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/09/04(火) 22:49:36 ID:IxcrkASR
「・・・なんだよ・・。何の用だ・・・?」
その光景に苛々したのか、アナゴ君はひと際低い声で少年達に凄む。
すると、アナゴ君のその様子に危機感を感じたのか、眉毛の無い少年がやや背筋を正して言った。
「お、俺たち、三京最速のアナゴさんとマスオさんに憧れてて、えっと、それで俺たちもチームに入れて欲しいと思って来まシタ!!」
・・・チーム?
僕達は何かしらの団体のようなものを設立した覚えが無いので、チームに入れてくれと言われてもその如何ともし難い。
もしかしたら、普段ここで共に時間を過ごす数人の顔なじみや、あるいはレッド達が彼らにとっては僕とアナゴ君の
『チーム』とやらの構成員に見えたのかもしれない・・・。
しかしながら、実際はそんな『チーム』などは存在しないし、そもそも、正直こんな頭の悪そうなガキを相手にするつもりも無い。
「お願いしゃっすっ!!!」
そんな僕の考えを知るはずも無い三人は、揃って頭を下げる。
その光景がなんだか無性に腹が立って、僕は彼らを追い払おうと言葉を発しようとした時だった。
「よし、じゃあおめえら、コーヒー買ってこい・・・。そしたら考えてやる。」
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424 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/09/04(火) 22:50:29 ID:IxcrkASR
「は、ハイ!!」
「・・・お、おいアナゴ君・・・。」
「二本だぞー、二本!解かってるな?」
自動販売機に走ってゆく三人の少年の後姿を見送り、続いて僕は怪訝な顔をアナゴ君に向けた。
僕のその表情に気が付いたのか、アナゴ君は自嘲気味に笑いながらタバコに火を点け、言った。
「はっ、いいじゃねぇの・・・。ちょうど退屈してたところさ・・・。面白ぇ事なんて何にも無ぇんだからよ・・・。」
僕の気持ちすら代弁するようなアナゴ君の言葉に、僕は何も言い返せなかった。
・・・確かに、鈴木さんが逝ってから面白い事など何一つ無かった・・・。
スピードの世界に身を沈める為に僕達はここ第三京浜を毎夜のように訪れていたのだが、そんな死と隣り合わせの狂った行為は、「面白い」という事とは、明らかに違っていた。
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425 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/09/04(火) 22:51:08 ID:IxcrkASR
「あぁ!? この馬鹿ヤロウ共!このクソ寒いのに冷たいの買ってきやがって!」
「すっ・・・すいませんシタッ!」
「オラ!熱いの買いなおして来い!!」
少年達をからかって笑うアナゴ君の笑顔が寂しげだった・・・。僕は溜息をひとつ付いて、新しいハイライトに火を点けた。
今となってはその少年達の名前など覚えてはいない。そのあたりの頃から、僕達の周りに群れ始めたのは彼らだけでは
無かったからだ・・・。
・・・僕達は、間違った方向へ歩み出そうとしていた。
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655 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:44:11 ID:It2LckR/
【SCENE124】
1986年が明けた。
年が明けても、僕の心の奥底に引っかかる後悔の念と、ここに居るべき人が居ない寂寥感が
払拭される事は無かった。
鈴木さんの死から、もうすぐ半年。
あの日から消えること無く胸の深部で渦巻いていた真っ黒な蟠りは、今や、古い工業機械に
べったりとこびりついたタールの如く心に堆積し、重々しく僕を縛った。
そのずっしりと鉛のように重くなった心は、その重さ故にどうやら動きを止めようとしていたようだった。
もちろん、毎日鈴木さんの事を思い出した。あの笑顔を思い浮かべない日など無かった。
だが、いつの頃からか、鈴木さんの事を思い出しても、悲しく無くなっている自分が居た。
それは、もう鈴木さんの死という事実を受け止め、あるいは慣れてしまったからではない。
心が膠着して、動かないのだ。
先に述べたように、心が重い。まるでヘドロのように粘度を増した僕の心に、
悲しみを含めたほとんど全ての感情が湧いてこなかったのだ。
その当時、僕はほとんど自分の顔を鏡で注視する気も、機会も無かったので覚えてはいないが、
おそらくその表情は土人形のように無表情に固まっていたであろう。
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656 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:45:33 ID:It2LckR/
その頃、僕は大学で教授に呼び出しを受けたことがある。
「フグタ君、キミは最近どうしたんだ?特に午前の授業の出席率は悪いし、さっきの授業中だってずっと上の空で窓の外を見ていたじゃないか。
・・・何か困っている事や悩みがあるなら言ってみなさい。」
「はぁ。いえ、別に。」
親切な教授だったのだろう。一介の学生の様子に気を掛けてくれたのだから。
しかし、僕はその素っ気無い返事以外、何も答えなかった。
この人が自分の心を解放してくれるとは到底思えなかったし、
人が自分の心配をしてくれるということ自体を鬱陶しく感じた。
あるいは、僕は心がこれ以上重くなることを怖れ、他との関わりを絶とうとしている弱者だったかもしれない。
そうして、僕は家に帰り、8時頃まで黙々とアルバイトをこなし、その後第三京浜へと向かう。
赤黒の900ccに乗って闇を切り裂いている時だけが、心が透き通っているような気がした。
スクリーンに深く伏せ、背後に響く悪魔の歌声を聴いている時だけが、その行為と裏腹に心休まる時間だったような気がする。
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658 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:47:55 ID:It2LckR/
そんな1986年の初頭。
ほとんど感情を生まない僕の心の中に、喜怒哀楽のどれにも属さない感情のみが生まれていた。
それは「苛立ち」だった。
そのほとんどは能天気に渋滞を作り出し、緊張感無く路上に屯する四輪車に向けられた。
微かな心の安らぎをバイクとスピードに求めていた僕にとって、それを阻害する4輪車は鬱陶しい存在だったし、それが鈴木さんの仇かと思うとその苛立ちはなお加速した。
もちろん鈴木さんの命を奪ったクルマと、目の前を走るクルマは違うのだが、当時の僕はそれらがほとんど同じように見えた。
大きさと質量という物理的要素から自ずと生まれ出る強者4輪と弱者2輪という厳然たる事実の前に鈴木さんは倒れたのだと思うと、世を走る4輪車の全てが仇であり、敵に見えた。
その敵が我が物顔で目の前を走るのだから、そんな時に苛立ちはなお一段と膨れ上がった。
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659 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:49:00 ID:It2LckR/
怒りや哀しみと異なり、苛立ちという感情は処理に困るものだ。
怒声を上げたり、涙をこぼしたりすることで排泄することのできない負のエネルギーは、感情を表に出すことの無くなった僕の内部で少しずつ膨らんでいった。
走行中に気に入らないクルマのドアやミラーを蹴飛ばしたことなど、数え切れないほどあった。
保土ヶ谷でのケンカ騒ぎだって一週間に一度くらいの頻度だった。
そして、それらの行為のほとんどが僕にとってなんの憂さ晴らしにもなり得なかったことが、一番の問題だったのかも知れなかった。
その処理しきれず飽和する苛立ちという名の毒が塗られた矛先は、この頃ついにクルマ以外のものにまで向けられようとしていた。
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660 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:50:29 ID:It2LckR/
「ハハッ!馬鹿かオメェ、こいつのどこが異音も無くて快調なんだよ!ガラクタ掴まされたんだよ!」
「オイ!俺ぁUCCだって言っただろう。もう一回買いなおして来い!この馬鹿!」
無表情になっていく僕と反比例するように、アナゴ君は良く笑うようになった。
夜の保土ヶ谷で、年端も行かない免許取立てのような数人の少年たちの輪の中心にアナゴ君は居て、いつもご機嫌で彼らと話をしていた。
少年たちは不良とも暴走族とも見えなかったが、ほとんどそれらと紙一重のようにも見えた。彼らは憧れの1100カタナで誰にも負けない速さで第三京浜を駆け抜ける大学生の兄貴の噂を人づてで聞きつけて集まってきたようだった。
そこでアナゴ君は少年達をからかったり、時に缶コーヒーを買いに行かせたりしてほとんどの場合、良く笑っていた。
少なくとも僕は気がついていた。
周囲のみんながどう思っていたのかは解らないが、あのアナゴ君の笑いは嘘の香りがした。
ここではあんなに笑っているのに、クルマを蹴飛ばしたりケンカをしたりするのも、僕以上に多かったのも知っている。
感情と表情を失っていく僕と、不自然な笑顔と饒舌さを兼ね備えていくアナゴ君。
その正反対にも見える変化は、根っこではほとんど種類を同じくした変化であるに違いなかった。
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661 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:51:31 ID:It2LckR/
しかしそれも今思い返してみれば、という話だ。
当時の僕はそんなアナゴ君にさえ苛立ちを感じていた。自分の心に余裕の無い人間に、他人を慮る余裕などあろうはずも無い。
僕は鈴木さんの不在と、アナゴ君の笑顔を至極単純に繋げ、勝手に苛立ちを募らせていた。
「いやぁ、カズオの野郎はホント馬鹿だよなぁ。聞いてくれよ、あいつってばよぉ・・・。」
「・・・。」
「なんだ?どうかしたか?」
「いや、別に。」
「へっ、退屈そうな顔してるぜ。みんなのところに行こうぜ。もうすぐレッド達も来るしよ。」
「いや、いい・・・。もう行く。エンジンが冷える。」
「なんだよ、気でも悪くしたか?」
「いや、別に・・・。」
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662 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/11/01(木) 22:53:38 ID:It2LckR/
アナゴ君の軽薄な笑い以上に、それでもこうやって他人に気を配る事の出来るアナゴ君と対比した時の、自分の余裕の無さにもっと苛立った。
今思えば、「別に」という言葉を使う事が多くなったような気がする。思わせ振りな態度で他人に気を使わせ、それでいて素っ気無い言葉で相手を遮る。僕は最低だった・・・。
振り向きもせずNinjaに火を入れた僕を、アナゴ君は黙って見送る。
バックミラーには少年達の輪の中に戻っていく彼の姿が見えた。
・・・特に目に見える予兆など無かったが、僕らの関係に変化の兆しが見え始めていた。
そしてその頃。少年達や常連組みの話題に、毎日のように上っていた事があった。
最近出没し出したという一台のスポーツカー。
それは、出会った誰もが追いすがる事の出来ないという真紅のポルシェ・・・。
いつ現れるか解からないその姿に苛立ちの矛先を求め、僕は一人第三京浜を流した。
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