1-29 マスオ物語 

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303 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/05/06(日) 14:20:45 ID:H2ZUFepT
【SCENE115】
1985年、夏。・・・僕らは北海道へ行かなかった・・・。

バイクが人生の根幹となって数年。日本という小さな島国において、バイクという乗り物とその乗り手を最も羽ばたかせることの出来る北の大陸への夏の巡礼。
僕とアナゴ君が年に一度の一大イベントとして心躍らせ心待ちにしていた北海道ツーリング。
しかしその年の夏、僕らが北海道の土を踏む事は無かった・・・。
もう一人、僕達と共にその北海道行きを楽しみにしていた人が世を去った・・・。
残された僕達に、予定通り北海道へ渡る気力など残されてはいなかった。

何もしたくなかった。
鈴木さんの葬儀を終えて三日。僕は全くアパートの部屋から出ること無く、万年床に寝転がり過ごしていた・・・。
蒸し暑い。開け放ちっぱなしの窓から聞こえるセミの鳴き声が喧しい・・・。僕もまた、まるでセミの抜け殻のようにほとんど動く事も無く、部屋の天井を眺めていた。
無精ひげがこんなに伸びたのは、バイクを知る以前以来であろうか・・・。北海道に行くはずであったから、アルバイトも入れていない・・・。
いや、バイトの予定があったところで、とても働きに行く気にもなっていなかったろう。


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304 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/05/06(日) 14:21:19 ID:H2ZUFepT
葬儀が終わったあとの鮒田食堂以来、アナゴ君には会っていなかった。
鈴木さんの死の現場に居合わせた彼が、僕以上の後悔と責念にかられている事など容易に想像できた。
僕はアナゴ君のことも心配だったが、会ったところで自分の心すらままならない僕に、彼の僕以上の苦しみを癒せる自信など無かったし、
もしかしたらバイク仲間である僕と会うこと自体が彼にとって辛い事なのでは・・・との思いが、
アナゴ君と会うことを僕に躊躇させていた・・・。

気だるい体を起こし、窓から駐輪場を眺める。アパートの駐輪場には、カバーが掛けられたままのGPZ900R Ninja・・・。
事故以来、もう10日ほどもエンジンに火を入れていない。購入以来これほどの間、Ninjaを動かしていないことは無かった。
事故が無ければ、今頃北海道の大地を走っていただろう。予定通りであれば、今日あたり宗谷岬に到着している頃だろうか。
真夏の暑い風に吹かれて、Ninjaに掛けられたバイクカバーがそよいでいた。僕は複雑な思いでそれを見つめた・・・。



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305 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/05/06(日) 14:22:22 ID:H2ZUFepT
Ninjaを眺めながら思う。バイクとは一体なんなのだろう・・・と。
バイクがもたらす掛け替えの無い至福・・・そして、その引き換えの如く存在する死のリスク。
それはまさに悪魔との契約のようであり、鈴木さんが死んだ今、本当にバイクが悪魔の遣いのように思えた。
恐ろしい・・・本当に恐ろしい・・・。そう思うのはバイクが潜在的に持つ死のリスクだけではなかった・・・。
それは・・・先述した「何もしたくない」というのはある意味で真実ではなかったからだ・・・。
確かに、鈴木さんの死による喪失感は生活に関わるほとんどの行為に対して行動する気力を失わせていたのだが、ただ唯一失われていない欲求があった・・・。

・・・バイクに乗りたい・・・。

大切な人が死んで、なお湧き上がるバイクへの欲求・・・。それが、この無機質な機械に潜む悪魔の存在を確信付けるようで、僕は本当に怖かった・・・。


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306 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/05/06(日) 14:23:20 ID:H2ZUFepT
窓の外に夕闇が迫る。また、夜が来る・・・。
僕は鈴木さんが死んでからこの数日、夜に怯えて過ごしていた。夜の闇と静寂は、自らの意思に反して思考を研ぎ澄ます。
すると、思い浮かぶのは鈴木さんの事・・・。北海道で始めてあった時や、第三京浜を駆け抜ける背中。保土ヶ谷PAでの笑顔。
そして、棺の中で冷たくなった鈴木さん・・・。くしゃくしゃに潰れたCB1100R・・・。それらが代わる代わる脳裏に浮かぶ。
そうした鈴木さんの思い出は、いつもいつしか鈴木さんの死の原因へと傾き、そして自責の念が襲い掛かってくる・・・。
僕達の存在が、少なからず鈴木さんの死の遠因となったのは確かな事だ・・・。それは、厳然たる事実なのだ・・・。

・・・眠れない・・・。静寂が怖くて、ラジオをつける。だが、その音は僕の耳を素通りするばかり。
苦しい・・・。この数日の苦悩は、バイクを知る以前に部屋で一人悶々と得体の知れない思い込みによってもたらされていた悩みなどとは比べようも無く重いものだった・・・。

鈴木さん・・・。どうして死んでしまったんですか・・・。どうして・・・。

「バイク乗りはバイクで死んではいけない」と教えてくれたのは鈴木さんじゃないですか・・・。なのに、どうして・・・。


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307 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/05/06(日) 14:23:59 ID:H2ZUFepT
この苦悩は、もはや自分ひとりの力ではどうにも出来なかった・・・。若かった僕は親しかった人の死、そして自分が関わってしまった死について自分の中で処理できるほど強い心を持ち合わせていなかった。僕は心の奥底で何かに救いを求めていた・・・。

いや・・・。「何か」では無い・・・。
僕は、この苦しみを紛らせてくれる唯一の存在に気がついていた・・・。だが、気がつかない振りをしていただけなのだ・・・。

苦しみから逃れる為にそれに傾倒すること・・・。それこそ、まさに悪魔との契約のようで恐ろしかった・・・。

昼と同じように、気だるい体を起こし、窓を開ける。部屋からの光に照らされた駐輪場で、バイクカバーから僅かにはみ出した
Ninjaのサイレンサー。そこには『devil』のプレートが怪しい光を放っていた・・・。


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359 名前:魔 棲 雄 〜マスオ物語〜[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 02:33:41 ID:E8KEiipY
【SCENE116】
僕は生来、卑怯で弱い人間だった・・・。

東京への進学を、嫌いな郷里から逃れる為の方便に使い、女手一つの母を煩わせてまで上京する打算的な性分を持ち合わせていた・・・。
昔から・・・子供の頃からそうだった。ガキ大将肌の兄貴を嫌いながら、時に応じては彼の威を借りる卑怯者だった・・・。
皆さんもご存知だろう・・・。何度と無くその機会に恵まれながら、傷つく事を恐れ、タイコさんにその気持ちを伝えることが出来ない臆病な人間だった・・・。

人当たりよく、温厚に思われることの多い僕の真ん中には、他人を畏れ、なおかつ自らを嫌悪し自信を持てずにいるが故の当たり障り無く済ませようとする性根があった・・・、いや、今もまだあるに違いない。

そんな僕が二十歳のときに巡り合ったバイク・・・。バイクが僕を変えてくれたと思っていた。
僕はバイクに乗る事で、陰鬱な過去と決別できたのだと信じていた・・・。

だが、自らの人生における大切な人を失ったとき、その根拠の無い自信は幻想だと知った・・・。

あれほどまでに強く変われたと信じていた自らの心は、鈴木さんの死によって一歩も前に進めなくなった事を自覚した時、
張りぼての様に中身も頑強さも伴わない単なる骸であることを知った・・・。

そして、だからこそ逆説的にではあるが、気がついたのだ・・・。自分はバイクによって強くなったのではないと・・・。
・・・バイクに乗っているその刹那の時、ギリギリに人並みの正常な心を保ってられるのだという、哀しい真実に・・・。


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360 名前:魔 棲 雄 〜マスオ物語〜[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 02:36:30 ID:E8KEiipY
しかしながら、バイクをはけ口にして辛い事から背を向けてはいけないという言い訳じみた理屈を盾に、
その事実を認めたがらないひどく頑固な自分も居た。
自分一人では困難をなんら解決できないくせに、一丁前に自らの心に悪意地を張る性癖もまた、僕の小人間振りを説明するに適当な事由である。
そう、僕は卑怯で弱いくせに、それすらも認めたがらない性根の小さな、そしてややこしい人間だったのだ・・・。

・・・だから、僕はアナゴ君に憧れた。友であり、対等の立場と目線にいながらも、そのシンプルで豪快な性格に憧れた。
鈴木さんが死んだ時、あるいは余程アナゴ君の方が救いを求める立場にあったに違いない。それは、鈴木さんが絶命した
一部始終をその目で見てしまった事に加え、事故の当日という最も事故のタイミングに多大なる影響を与えたであろう時間を
鈴木さんと共に行動した事が、アナゴ君の後悔の念を僕の数倍にも増幅させているであろうことは、容易に想像できたからだ・・・。

だからその日、アナゴ君が僕の部屋に来た時は本当に驚いた。そして、全てに納得できなかったとしても、その時の
僕達に残されたただ唯一の、苦悩から魂を救う方法で行動を起こすべきだったのは僕の方がよほど適切だったと思うと、
恥かしくもある・・・。やはり、僕は弱い人間だ・・・。


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361 名前:魔 棲 雄 〜マスオ物語〜[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 02:37:23 ID:E8KEiipY
鈴木さんの葬儀からちょうど一週間が過ぎたその夕方・・・。
僕はバイクこそがこの自責と後悔を紛らせ、刹那とはいえ救ってくれると心のどこかで解かってはいながらも、やはり万年床に
仰向けになって動きあぐねていた。
窓の外では、昼のセミに変わって夏の夜虫の鳴き声が聞こえていた。蒸し暑い夕方だった・・・。

通りを走る学生の自転車の音、遠くに聞こえるクルマのクラクション、高架を走り抜ける電車と踏み切りの音・・・。
そんな日常の、耳にも止まらない生活音の中から、聞き覚えのある音が少しずつ大きくなってくるのが聞こえた。
その音はその他の音を飲みこみ、どんどん大きくなってくる。・・・バイクの排気音だった・・・。

僕はぼうっとその音を聞いていた・・・。
近づいてくるなぁ・・・。四気筒だ・・・。改造マフラーだな・・・。カタナの音に似ているな・・・。あ、停まった・・・。
僕は、この数日間の煩悶で疲れた頭でそのバイクの排気音の接近と停止を他人事のように聞いていた。そして、ふと我に返った。

停まった!?アナゴ君か?


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362 名前:魔 棲 雄 〜マスオ物語〜[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 02:38:39 ID:E8KEiipY
僕が反射的に万年床に飛び起きたと同時に、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
僕は慌ててドアに駆け寄り、そして思いっきり開けた。・・・そこには、僕の親友の顔があった・・・。

「・・・よう・・・」

僕は少し痩せたであろうアナゴ君の顔をポカンと口を開け数秒眺めると、続いてその服装に目をやった。
革ジャン、革パン、そしてブーツ・・・。小脇にはヘルメットが抱えられていた・・・。

驚きで声も出ない僕を尻目に、まるで人相が変わってしまったかのように疲れ果てた顔で、自嘲気味の笑顔をたたえて
アナゴ君は言った。

「・・・まぁ・・・そういうことさ・・・。なぁ、出ないか?」

・・・僕らがそれまでと全く異なる気持ちで、再びバイクに乗る時が来ていた・・・。


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757 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:05:12 ID:xSCnmiww
【SCENE117】
行き場の無い後悔と、埋める術を知らない喪失感を胸に抱きながら僕たちは再びバイクに跨った・・・。
いや、正確に言うならば、そんな心底の苦悩があるいは霧散するのではないかという僅かな希望を
バイクに寄りかからせていたに違いなかった。

それまで、僕たちはバイクから確かに幸福を享受していた。
走るバイクから得られる様々な官能的要素は僕らに爽快感をもたらし、
それがすなわち単純に僕らの幸せだった。
バイクに乗るという行為をただ純粋に人生の至福に位置づけていた。
バイクはいつだって、僕達にとって幸福のシンボルだった。

だが僕らは、そんな幸福の上にのみ約束付けられた、単純で、だからこそ純粋なバイクとの関係性を壊した・・・。壊すしかなかった・・・。
常にバイクから幸福を享受する側だったはずの僕らは、大切な人の死によって精神が大きく揺らぎ、
倒れそうになった時、バイクに心の救いを求めた・・・。
物言わぬ機械に、一方的な自分達の都合を押し付けたのだ。

・・・この時、僕達にとってバイクという乗り物が単純なる享楽の具で無くなったように思えた・・・。
主人の後悔と苦悩を払拭するよう暗に要求された、哀しき慰み物のような存在に思えたのだ。



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758 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:06:13 ID:xSCnmiww
僕が出発の準備をする間、アナゴ君はアパートの外階段に腰掛け、タバコを吹かしていた。
彼はずっと黙ったままだった。
Ninjaを手に入れてから、これほどの期間を不動にしたことは無かったが、
それでも10日ほどの眠りからエンジンはいともあっさりと目を覚ました。
日はもう沈み、夜が来ていた。薄暗いアパートの駐輪場の片隅で、暗黒に棲む得体の知れない
獣のような息づかいで、devil管から呻き声をあげるNinja。

そのマシンの不気味な鼓動を聞いて、僕は不安に襲われる。
マシンに苦悩の捌け口を求めようとしている自身の心というものは、実は気のせいなのかも知れない・・・と考える。
暗黒の淵で積極的に僕達を呼ぶ死神は、あるいはこのマシンの内に潜んでいるのかもしれない・・・。

弱化した心の隙を、その死神は見逃す事無く、再び僕らをスピードの世界に手招きしているのかもしれない・・・。
僕らはバイクに苦悩を背負わせようとしているつもりで、実はバイクという名の死神に呼び寄せられているのかもしれない・・・。
そう考えると、不本意な立場に置かれているのがバイクなのか己なのかが解らなくなる。
そして、ますますこのバイクという乗り物のことも解らなくなってゆく・・・。



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759 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:07:39 ID:xSCnmiww
『どうして僕たちはバイクじゃなきゃ駄目なんだろうね』

在りし日の鈴木さんの問いが頭をよぎる・・・。
同時に、それを何気ない一言として捉えていたその頃の無邪気な自分よりも、
よほどその問いへの答えに遠い今の自分の意識に気が付く・・・。

・・・そして、何もかもが解らないまま僕はバイクの背に再び跨った・・・。
僕らは終始無言のまま、バイザー越しに一度だけ目を合わせると、
それを合図にするかのように夜の街にマシンを進めた。

・・・何故、バイクは走るのか?それは、止まると倒れてしまうからだ・・・。
そんな要領を得ない禅問答のような答えが、その時の僕には理解できるような気がした。
僕らは立ち止まると本当に足を踏み外しそうだった。ともすれば、人外の道を転げ落ちそうだった。
そんな僕たちが、ギリギリの意識を保って何処へ向かうとも無く前に進む為には、
この乗り物の力を借りるしか無かったのだ。

Ninjaとカタナは走った・・・。ただひたすらに前に向かって走った。
二輪車という工業製品としてこの世に産み落とされた唯一つの目的を遂行するが如く、二台のバイクは力強く、前に向かって走った。

正直に言えば、僕らの心に満ちた苦悩を払拭するという役割を、バイクは実に粛々と果たしてくれた。
都内の下道を第三京浜玉川ICに着くまでの間、僕は鈴木さんが死んでから初めてその贖罪意識から離れられたと感じた。
それは、バイクに乗る楽しさという純粋な思いによってもたらされた感情ではなかった。
前を走るアナゴ君のペースがあまりにも速かったのだ。



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760 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:08:40 ID:xSCnmiww
カーブや交差点、そして何よりも通りを埋め尽くす四輪車の群れに対し、
アナゴ君は尋常ならざる勢いで突っ込み、そしてパスしていく。
彼に付いていこうとすると、もはや頭の中に余計な思考を置く余裕など無い。

僕らの行く手を意図的に阻むかのように次々と灯るクルマのブレーキランプやウィンカー。
左右の側道から現れる合流車両。
そんな邪魔者達の合間に、おぼろげに、そして不確実に存在するわずかな隙間・・・。
僕たちは、そのか細いラインに対して到底適当とは思われない速度で駆け抜ける。

僕は前を走るアナゴ君の背中に、底知れぬ闇の淵を感じていた・・・。
狂おしげに、悶えるようにクルマの群れを掻き分け走る彼の背中に、
僕は寂寥感と一抹の不安を感じていた。

彼のリスキーな走りは、以前の熱いながらも生命感ほとばしるそれとは何かが違っていた。
彼の走りはまるで捨て身だった。
数日前に彼の身の上に起きた悲劇を知らぬ人の目には、そのあまりに危険な暴走は
未必の自殺志願者のように見えたであろう。
・・・いや、彼のその走りの理由を知っている僕の目からも、彼は『未必の自殺志願者』にしか見えなかった・・・。
走り出してから、この僅かな間に僕はアナゴ君の事が、少し心配になっていた。



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761 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:09:59 ID:xSCnmiww
玉川ICから第三京浜へ上がる。以前となんら変わることの無い夜の高速ステージ。
変わったのは、僕らの心。そして、僕らの傍らにCB1100Rが居ないという事実・・・。
3速・・・4速・・・各シフト段を、それまで使うことの無かったレッドゾーンまで回しきると、エンジンは不気味な金切り声をあげる。
その音は遮音壁に反射し、僕自身を包む。
それが己の愚かな行為を客観的に突きつけられているように思えて、僕は少し不快になる。

僕らは、襲い来る自責の念と、焦燥と、喪失感から逃れようとスロットルを大きく開けているようなものだった。
200km/hで流れる景色に、そんな思いを溶かすように僕らは走った。
アナゴ君は相変わらず、死と紙一重のライディングを僕の目の前で繰り広げていた。
彼はそのままの速度を保ちながらクルマとクルマの間を突き抜ける。
そして、苛立ちを隠すことなく車列を縫うように、掻き分けるように前へ前へひたすらに走る・・・。

・・・彼がその瞳で見た事・・・見てしまった事・・・。それは、想像を絶する地獄であったのだろう・・・。
彼の心には、もう消すことの出来ない血に彩られた記憶がある。
その衝撃で作られた心の穴は、僕のそれ以上なのだろうと、その狂おしく走る背中を見ながら、僕は感じていた・・・。

そんな何か暗黒の意思に突き動かされるように乱れ走るアナゴ君の背中を見ながら、
僕の中では先刻の不安がますます大きく膨らんでいった。

アナゴ君もまた、鈴木さんの後を追うように居なくなってしまうのでは無いだろうか・・・。
いや、もしかしたらこの苦しみから解放されたいが為に、そうなる事を願っているのでは無いだろうか・・・。
いずれにしてもこの苛立ちと哀しみがもたらすライディングの果てに、
彼もまた、僕の目の前から姿を消してしまうのでは無いだろうか?と、激しい不安に襲われる・・・。
アクシデントが起こったのはそんな時だった。



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762 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:11:24 ID:xSCnmiww
もうすぐ保土ヶ谷PAに着く。その時だ。
僕達が走る車線に、左隣のレーンから一台のクルマが突然、ウィンカーも出さずに割り込んできたのだ。
・・・いや、ウィンカーを出していなかったことはともかく、「突然」という言葉には語弊があるかも知れない。
そのタイミングが「突然」に思える原因はむしろ僕達の速度にあったに違いないのだから。

200km/hで走る僕達の進路を塞ぐ、黒いスポーツカー。確か、セリカだった。
そして、急減速をかけるカタナとNinja。
特に前を走っていたアナゴ君は、僕以上のブレーキングを強いられた。
僕の目の前のアナゴ君は、後輪が十数センチほども宙に舞い上がるほどの急制動をかけた。
再びアスファルトを捉えたカタナの後輪は、キュッと小さくスキッド音と少しの白煙を巻き上げる。
ゴムの香りが瞬間、鼻を刺す。

・・・先ほどの懸念が早速的中しそうになり、僕は相当に肝を冷やす。
しかし当のアナゴ君は、そんな危険を意にも介さず、そのままそのスポーツカーの真後ろにピッタリつけると、煽り出したのだ。
スポーツカーのテールに反射する一際眩しいカタナのヘッドライトは、ハイビームを意味していた。
そしてアナゴ君は、エンジンを吹かしそのクルマを挑発する。
そしてそのまま、僕らと件のセリカは保土ヶ谷の料金所へ滑り込んだ。



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763 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:12:29 ID:xSCnmiww
保土ヶ谷PAで、当然のことながらそのセリカのドライバーとアナゴ君はトラブルになった。
そもそも、停車中のセリカに悠然とヘルメットを脱ぎながら歩み寄っていったのはアナゴ君の方だった。
アナゴ君が近づいてきたことを察した相手のドライバーは、怒り心頭で車外に飛び出す。
助手席からもその友人であろう男が出てきた。
僕がアナゴ君を止めようと駆け寄るのよりも早く、ドライバーが口火を切った。

「テメー!!煽ってんじゃねェぞ!ぶっ殺すぞ!!!」

アナゴ君は、そんなドライバーの罵りを意に介さず、ただ自分の言葉のみを、ゆっくりと、
そして腹の底から搾り出すような声で言った。

「おい、オメーら・・・。オメーらの周りに白いサバンナに乗ってる奴は居ねぇか?知ってたら正直に言え・・・。
隠しやがったら・・・ぶっ殺すぞ・・・。」

相手のドライバーと同様、「殺す」という只ならぬ言葉をアナゴ君は使った。
そして、それはドライバーの使った軽薄な脅し文句とは異なり、ある意味で覚悟と決意とに満ちた、
重々しい迫力に満ちていた・・・。

「あ・・・あぁっ!?テメー、やんのかコラ!!」

相手がアナゴ君の胸倉を掴んだ。しかし、アナゴ君はすぐにその手を払いのけると、
逆に相手の胸倉を両手で掴み、ひねり上げた。相手は爪先立ちになった・・・。



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764 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:13:28 ID:xSCnmiww
「・・・知ってんのかって、こっちは聞いてるんだよ・・・。おい・・・どっちなんだ?本当に殺すぞ・・・。」

アナゴ君の目は血走っていた。こんな顔をした親友を僕はそれまで知らなかった・・・。
そして、その迫力に気圧され身動きできずにいたのは相手とその友人だけでは無い・・・。
僕もまた、その動けなくなっていた者の一人だった。

「し・・・知らねーよ・・・。・・・離せって・・・。」

「・・・。」

相手が言葉を発して僕は我に帰る。
そして、相手の首を絞めんばかりに凄むアナゴ君を背中から羽交い絞めにする。

「アナゴ君!やめろ!やめろってば!」

「・・・本当に知らねんだな・・・?」

「あ、あぁ・・・本当だ・・・。」

そして、アナゴ君は相手から手を離した。
只ならぬ気配を察した顔なじみのライダーが数人、こちらに向かってきた事もあって、
セリカの二人は逃げるように保土ヶ谷PAから立ち去っていった。
そのセリカのテールを見つめながら、アナゴ君は小さく溜息をついた・・・。そして、僕は悟った。
・・・アナゴ君は、たった一人で鈴木さんの仇を探そうとしている・・・。
そして・・・そして、彼の心には暗黒の闇がぽっかりと開いてしまっている・・・。
その闇が、想像以上に深く暗いことを目の当たりにし、僕は茫然となった・・・。


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765 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:16:11 ID:xSCnmiww
その後、レッド達が保土ヶ谷PAに現れた。
彼らは僕達が来るのを毎日のようにここで待っていたという。
僕達を見つけたレッドは、「よく戻ってきたな」というような事を叫びながら、
代わる代わる僕達を人目はばからず抱きしめた。

春に奥多摩で重症を負ったマイケルも、今は松葉杖で順調にリハビリを行い、
事務ではあるが業務にも復帰した事、そして様々なとりとめの無い事を、
彼らは努めて明るく、時に僕らの肩を抱きながら続けざまに話してくれた。

彼らは、鈴木さんの事には一言も触れなかった。
不器用ながら、僕らを元気づけてくれようと一生懸命なのが僕らにも感じられ、
それが少し辛かったが嬉しくもあった。

彼らの純粋な心遣いに触れ、アナゴ君も少し笑っていた。
・・・だがその日、アナゴ君の心の闇にはっきりと気がついてしまった僕は、
彼の寂しそうな笑顔を見ているのが辛かった・・・。

僕の友・・・、大学一年のあの日、アパートの一室で鬱屈した日々に飲み込まれそうになっていた僕を
日の当たる場所に連れ出し、救ってくれた我が友が、心を病み命を削るような走りに没頭して行こうと
している事が耐え難い苦痛に思えた・・・。

僕はアナゴ君を救いたかった。いや、救わなければ時を経ずして彼がこの世から消えてしまいそうに
思えた僕にとって、彼の救出は僕にとっての命題であるように思えた。
あるいは、彼を救う為に奔走する事が、鈴木さんを失った事による自責の念に対する贖罪であり、
ある種の癒しであると感じていたのかもしれない・・・。



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766 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/06/07(木) 23:17:23 ID:xSCnmiww
とにかくその日、僕はアナゴ君の心を救おうと決意したはずだった。
その時は自分はまだ、アナゴ君より幾分かは心の余裕があるのだとも思っていた・・・。
・・・しかし、大切な人を失って崩れかけた心を抱いていたのは僕も同じだった・・・。
僕もまた、あとほんの少しの刺激で崩壊しそうな心を抱えていたことに、その時は気がついていなかったのだ・・・。

・・・僕もまた、傷つき弱った心に最後の一撃を待つ身であったことにその時は気が付くはずも無かった。
僕にとって、死に彩られた夏はまだ終わってはいなかったのだ・・・。

その夜、部屋に戻った僕はラジオから流れる大好きな九ちゃんの歌を聞きながら、
アナゴ君を救うことを胸に誓ったことを覚えている・・・。
・・・それが空しい誓いとなる事を、僕は知る由も無かった・・・。

1985年の8月も、半ばに差し掛かろうとしていた・・・。







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