1-28 マスオ物語 

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351 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:03:37 ID:+jGRnjYG
【SCENE105】
4月も半ば過ぎ。完全なるバイク最適シーズン到来。
走っていて薄ら寒いくらいが丁度良い。
都内では既に終わってしまった桜も、少し標高を稼げば再見する事ができる。
風と共に体に巻きつく桜吹雪は、バイク乗りにしか見ることの出来ないもう一つの「花見」だ。
僕とアナゴ君、そして鈴木さんは1985年初のツーリングを奥多摩にすることに決めた。

前月に賊に破壊されたNinjaのキーシリンダーの出費は痛かった。
・・・だが、Ninjaは鈴木さんのおかげですぐに手元に戻ったのだし、授業料と捉えれば決して高いものではない、と自らに言い聞かせた。
待ち合わせたアナゴ君、そして鈴木さんも道中で合流し、3台の大型バイクは国道20号を西へ。
新宿の高層ビル群がミラーの中で遠ざかる。
うららかな春の陽気は、いつも以上に目に入る世界を明るく彩る。

そんな陽気のせいだろうか。先頭を行くアナゴ君のペースが上がる。
まだ車が多い府中市内にも関わらずだ。

右に左に車をかわす。走っていようと停まっていようとお構いなし。
決して褒められたような運転ではなかった・・・、が
予知予測に基づいて流れを読むのではなく、次々に発生する刹那の状況に対して若い反射神経任せのライディング。

今思えば、そんな走り方はその時が初めてでは無かったかもしれない。
僕とアナゴ君はライディングへの、そしてスピードへの「慣れ」で、心のたがが緩んでいたのかも知れない・・・。



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352 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:04:16 ID:iq+y2xF3
遅い!遅い!僕もアナゴ君も、心地よい春風を切るライディングを妨げる無粋な4輪の群れを押しのけるように走った。
もはや渋滞を作り出す4輪車が悪であり、それら悪を切り裂いて走る僕達に正義があるような、おかしな義侠心すら持ちあわせていたような気がする・・・。
八王子付近に着いた頃、後ろに居たはずの鈴木さんの姿は無かった。

道路脇の自動販売機でコーヒーを買った頃、鈴木さんが追いついてきた。

「二人とも、大丈夫かよ。あんまり無茶するとあぶねーぞ。」

鈴木さんは口調こそいつものように穏やかだったが、目はいつに無く真剣だったような気がする・・・。

「ハハハ!平気っすよ〜。大丈夫、大丈夫」

アナゴ君は鈴木さんの心配をよそに緊張感無く答えた。
僕もまた鈴木さんの言葉を真摯に受け止めてはいなかった。
・・・それは、この先に知る事になる鈴木さんの持つ辛い過去を思えば、あまりに軽く能天気な受け止め方だった・・・。

その後も、多摩川の渓谷美に目もくれず僕達は走った。
細く、前車をパスし辛い国道411号線にストレスを感じていた僕とアナゴ君は、奥多摩湖で停まることなく料金所を抜け、奥多摩周遊道路へ。

冬場の鬱憤を晴らすが如く、僕とアナゴ君は走った。
コーナーの先に潜むリスクなど頭に無かった。
一般車両など当然のように瞬間的に追い越し、所々のコーナーに置いてある小さな花束など自分達には無関係なことだった・・・。
ステップを路面に擦り付けなければ「負け」だと思った。
ブレーキを遅らせ、無理なスピードで突っ込む事が「勝ち」だと思った。
若く、そして愚かだった・・・。



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353 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:05:47 ID:iq+y2xF3
風張駐車場に僕とアナゴ君が着いた時、やはり後ろに鈴木さんの姿は無かった・・・。
その代わり、そこには馴染みの顔が居た。レッド達、横田基地所属の米軍人だ。
いつもの第三京浜常連組み4人と、初見のハーレーダビッドソンが3人ほど。
どうやら彼らもこの陽気に誘われ、ツーリングとあいなったようだった。
そのうちに鈴木さんも合流。いつものようにバイク談義が始まった。

このヒョロヒョロの坊やがスピードのデビルだって?ウソだろ?・・・というような内容の事を、
ジャンクフードとバドワイザーによって丸々と太ったハーレーダビッドソンの大男に言われた。
笑いが絶えない時間が過ぎてゆく。
いつもと同じ、バイクを軸にした心地よい時間が流れていた・・・。

米軍グループは勤務時間が迫っているという事で、僕らより先に奥多摩周遊道路を降りる事になった。
7台のバイクが駐車場を後にする際、CB900Fのマイケルがヘルメットのバイザーを上げアナゴ君に叫ぶ。

「Let's meet at the San-Kei!」

「OK!またな!」

僕らが彼らを第三京浜で打ち破ったあの日、一触即発の状態だった彼ら二人は、実は折り合いが良かったらしく、妙に仲が良かった。
彼らが二人で僕に仕掛ける小さなイタズラ・・・勝手にキルスイッチを切られていたり、
燃料コックをOFFにしておかれたり・・・などには僕も何度も餌食になった。



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354 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:06:40 ID:iq+y2xF3
その後も少しの間、僕ら3人は語り合う。話はやはりライディング。

「もっと速くなりてぇよなぁ。なぁフグタ君」
「そうだね。とりあえず目指すは関東最速?なんちゃって〜」

鈴木さんは、そんな僕らの会話を聞くとも無く聞いていたような気がする・・・。

「どうしたらもっと速くなれますかね?やっぱ練習っすかねぇ?」
アナゴ君の突然の質問に、鈴木さんは驚いて我に返った。

「え?あ・・・あぁ、そうだな。うん、練習あるのみだよね」
そんな取ってつけたような言葉の後、少しの間を置いて鈴木さんは言った・・・。

「二人とも・・・。バイク乗りは、バイクで・・・」
そこまで言ったところで、鈴木さんは言葉を止め、タバコの煙を気だるそうに吐き出してから、
「・・・いや、なんでもない。忘れてくれ。」と言った。
その先の言葉が、場の雰囲気に相無い相応しくないと思ったのか、言うのが躊躇われたのかは分からない・・・。
その時の鈴木さんは、明らかに浮き足立つ僕らとは正反対の心持ちでいたに違いない・・・。
どこか憂いを湛えた彼の瞳の、その理由が明らかになるのは間もなくの事だった・・・。



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355 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:08:16 ID:+jGRnjYG
「僕らもそろそろ行こうか」

3台はレッド達が数分前に降りていった檜原村方面へバイクを向ける。
下りというのに相変わらずのハイペース走行。
そして少し走った頃、前方に異変を感じた。

クルマ数台の渋滞が出来ている。事故だろうか?その右コーナーの先は見えない。
車線を跨いで停車するクルマの列を追い抜いてゆくと、そこには信じ難い光景があった・・・。

センターラインを車幅半分ほどはみ出して停止する対向4輪車。
そのバンパーとボンネットは、何かが突き刺さったように中心あたりがへこんでいる。
フロントガラスも車体右側が蜘蛛の巣状に割れていた。

・・・そして、そのクルマの傍らには鮮やかなブルーのバイクが転がっていた。
あの大きなテールが特徴的なバイクは・・・。
CB900F!まさか、先刻別れたばかりのマイケルのマシンなのか?。
にわかには信じられず、さらにNinjaを進ませる。
そうすると、CB900Fの先、対向4輪車の右後方にアスファルトに仰向けで倒れている細身のライダーの姿。
そして、周囲には慌しく動く数人の外国人の姿・・・レッドもいる!

心拍が上がる・・・。状況が知りたい・・・。だが知るのが怖い・・・。
僕とアナゴ君は夢中でバイクを路肩に停め、彼らの元へ駆け寄る。



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356 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:10:13 ID:+jGRnjYG
「マイケル!大丈夫かっ!」

アナゴ君が叫ぶ。マイケルは仲間達に介抱されていた。
ヘルメットは脱がされていたが意識は無いようだった。
右足からの出血が著しく、血がアスファルトに流れていた。
僕とアナゴ君はその光景を前に成す術がなかった。

それは、その悲惨な光景を前にして体が動かなかったという理由だけではない・・・。
不幸中の幸いか、マイケルの仲間達は世界最強の軍隊の兵士で、
そのような不測の事態を前にした彼らの対応は機敏で、僕らの出る幕など無かったからだ。

こんなもの俺の戦友がベトコンの地雷で受けたキズに比べりゃ大した事無い、
と言うような励ましを与えながら右足を止血したのは、
先刻、僕をヒョロヒョロ呼ばわりしたハーレーダビッドソンの大男。
後に聞いた話だが、彼はベトナム帰還兵だということだった。

日本語がほぼ完璧なジョージは、僕らが到着する以前に救急車を呼びに最寄の公衆電話まで走ったようだった。
彼らのプロの対応の前に、僕とアナゴ君はマイケルに励ましの声を掛ける以外、出来る事は何一つ無かった・・・。

その内、意識の無かったマイケルの顔が苦痛に歪み、声を発した。
「・・・Ow・・・Ouch!」



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357 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/13(火) 00:11:30 ID:+jGRnjYG
・・・良かった!意識が戻ったようだ。
彼は痛みに悶えながらも、アナゴ君に向かって「Here I am again!」などとジョークを飛ばす。

良かった・・・命に別状が無くて本当に良かった・・・。
どうやら彼は右足を解放骨折していたようだった。
後に分かった事だが、足以外にもあばらや鎖骨を折り、肩も脱臼していたようだった。

「トリアエズ、ダイジョブダ」

レッドがフーと安堵の溜息をつき、僕らに笑い掛ける。
アナゴ君は安心したのか、ヘナヘナとその場にへたり込む。


奥多摩で事故に遭うと救急車が来るまで時間が掛かる、と言うのは道沿いの看板に掲げられているほどで、
実際に救急車が来るまで相当な時間を要したが、その間のマイケルはアウッチアウッチと叫びまくったかと思えば、
愛車CBの状態を気に掛けたり、相手のクルマの運転手に毒を吐いたりと、非常に元気に振る舞い僕らを安心させた。
救急車に運び込まれる際、アナゴ君に親指を突き立て再会を誓う。

マイケルが救急車に無事収容された事で安堵する僕とアナゴ君、そしてレッド達だったが、だが僕は気が付いてしまった・・・。
過去にアナゴ君のエンジンブローの時など、様々なトラブルに際し機敏かつ正確に対応し、頼れる兄貴分だった鈴木さんが
この状況下で微動だにせず立ち尽くしていたことを・・・。
そして、蒼ざめた鈴木さんの体が、小刻みに震えていた事を・・・。


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438 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:49:53 ID:a0GDhg76
【SCENE106】
マイケルの事故から一週間後の週末。僕とアナゴ君、そして鈴木さんは鮒田食堂でこれから始まる週末はお決まりの
第三京浜での夜の宴を前に腹ごしらえをしていた。
話題はやはりマイケルの事故の件。最終的に軍の病院に搬送されたマイケルを、僕ら日本の一般人はおいそれと
見舞う事すら叶わず、ジョージからその後の顛末の連絡を電話で受けていたのは鈴木さんだった。
心配されたマイケルの容態は、全治5ヶ月の重症。だが、骨折箇所以外は至って健康で、早ければ来月くらいから
少しずつリハビリが始まるだろうとの事だった。
ちなみにレッド以下、その日奥多摩に行った連中は上官からバイクでの外出の一ヶ月禁止を言い渡されたそうだ。

だが、僕とアナゴ君はマイケルの事故から何も教訓を得ては居なかった・・・。それは、マイケルの命に別状が無かった
おかげだったのか、現場で意識を取り戻した後の彼の姿が滑稽だったからなのかは解からない。・・・いや、単に
僕らは若過ぎた為に、一つの事象から多角的に物事を見つめる視野の広さを持ち合わせて居なかったからなのかも
知れない。
・・・僕達は気がつくべきだった。また会おう、と別れた友が次の瞬間にアスファルトで倒れているという「怖さ」を・・・。
そして、運命の歯車を簡単に狂わせかねない代物に自らの命を乗せているという事に・・・。



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439 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:50:37 ID:a0GDhg76
「あいつ、目を開けたと思ったら、よう また会ったな、なんて言うんだぜ?信じられねーよな!」

「そうそう、相手の運転手にもすごい剣幕で叫んでたよね。さっきまで気絶してたのにさ」

僕らの話題はもっぱらマイケルの武勇伝。そこに自らもいつ遭うとも判らない事故への警戒心など微塵も無かった。
やけに浮ついていたその頃の僕ら。だからアナゴ君はうっかりとんでもない事を言い出す。

「おじさん!ビールね!」

すかさず鈴木さんが制する。

「おい!アナゴ君、これからバイクに乗るんだろう!?」

「うおっと!そうだった、そうだった。ゴメ〜ン!おじさん、今のなし!」

ハハハと笑うアナゴ君と僕。・・・そんな僕らを鈴木さんは心配そうに見つめていた。
僕もまた、マイケルの事故のときの鈴木さんの様子が気になっていた。が、その時の鈴木さんのあまりにも普段と異なる
様子に、何も問うてはいけない様な気がして聞けてはいなかったのだ・・・。




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440 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:51:20 ID:a0GDhg76
一般車両を掻き分けるように進む夜の第三京浜。アナゴ君が先頭で、やはり鈴木さんは最後尾。
近頃の鈴木さんは切れ味が鈍っている、と僕は単純にそう思っていた。
鈴木さんよりも速くなったと自画自賛すらしていたように思う。

僕らの行く追い越し車線上に、軽自動車がいた。その前にはトラックがいた。
それら一般車両との相対速度は100km/hにも達しようとしている。
中央車線に進路変更しそれら二台をパスしようと思った。アナゴ君だってそうするに決まっている。
そして次の瞬間に僕とアナゴ君はシンクロするように中央車線に進路変更した。
すると、その動きにシンクロするもう一台の車両。トラックの後ろを走っていた軽自動車だ。

まだ距離には少し余裕があった。
せっかくクリアになったと思った前方の景色を、軽自動車にもう一度塞がれてしまったわけだが、
特に危険を感じるようなシチュエーションではなかった。
減速、もしくは左車線にさらに進路変更すればやり過ごせる状況だ。

だが、アナゴ君はスロットルを緩める事も、さらなる車線変更も試みなかった。
そのままのスピードと位置を保ちながら真正面の軽自動車と右斜め前のトラックに迫る。
そして彼はクラクションを鳴らしながら、あえて軽とトラックの隙間を駆け抜ける。
・・・100km/hの相対速度を保ったまま、200km/hで・・・。
そして僕もまた、同じラインを駆け抜けた・・・。
数秒後、ミラーを確認するとそんな僕らに鈴木さんは着いて来てはいなかった・・・。



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441 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:52:02 ID:a0GDhg76
「ホント、邪魔だよなぁクルマ。こっちは気持ちよく走ってるんだからよ。前に出て来るなってんだよ!」

保土ヶ谷でタバコの煙を吐き出しながらアナゴ君はそう愚痴をこぼす。正直なところ、僕も彼の意見に同意だった。
マイケルの事故によって、僕らの運転に慎重さが生まれることは無かった・・・。
なおも僕らの口からこぼれ出る愚かなる言葉と軽薄な笑いを遮るように鈴木さんが言った。

「・・・二人とも。聞いてくれ・・・。」

鈴木さんの深刻な顔に、僕は「しまった」と思った。今日は少し悪ふざけが過ぎたか?とその時初めて思った。
僕はてっきり、僕らの無謀な運転について怒られると思っていた。
主犯格のアナゴ君もそんな空気を察したようでやや首をすぼめて目線を斜め下に送っていた。
・・・が、鈴木さんが語りだした話は僕らの予想とは全く異なるものだった。

「・・・僕が群馬の出身なのは知ってるだろ?実家の隣の家に一つ年上の男が居てね・・・」

鈴木さんが群馬は前橋の出身なのは知っていた・・・。
しかし、そんな事よりも鈴木さんが突然昔話を始めた事に僕は驚いていた。


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442 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:52:54 ID:a0GDhg76
「物心ついた頃からいつも一緒に遊んでた。長男で下にしか兄弟のいない僕にとって兄貴みたいな存在だったよ。
いつのまにか兄ちゃん、兄ちゃんって呼んでたよ。」

笑顔で、だが少し寂しそうに、鈴木さんは語った。

「なんでも教えてくれた。木登りも、虫取りも、魚釣りも・・・。本当の兄貴みたいだった。
僕がいじめられて泣いているといつも助けてくれた。僕はいつも兄ちゃんみたいになりたいと思ってたんだ・・・。」

「兄ちゃんは高校に入ると原付の免許を取ったんだ。
そして、半年もしないうちに中型の免許を取って学校に黙ってバイクを買ったんだ。」

僕とアナゴ君は、突然の昔話に違和感を覚えながらも黙って鈴木さんの話を聞いていた。

「兄ちゃんのホークはカッコよかった・・・。僕は兄ちゃんに憧れて、追いつきたくて、バイクの免許を取ったんだ・・・。
休日の朝はいつも赤城に走りに行った。250のKHで兄ちゃんの背中を必死になって追ったよ。」

「東京の大学に進学した彼を追ったわけではないんだけど、僕も同じく翌年に東京に出てきてね。
今度は東京に場所を変えて僕らはバイク三昧さ。楽しかったよ・・・。」

そんな鈴木さんの語る言葉の節々に、僕は一抹の不安を感じ始めていた・・・。
それは、「兄ちゃん」に関する表現の全てが「過去形」だったからだ・・・。



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443 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:53:53 ID:a0GDhg76
「僕が東京に出てきたとき、もう兄ちゃんは限定解除をして大型バイクに乗ってたんだ。
いつも僕の前を走っていた・・・。いつも、いつも僕の憧れだった・・・。」

・・・僕は無意識に、鈴木さんに質問していた・・・。
多用される「過去形」にかき立てられた不安感が僕の心を押し潰しそうになったからだ。

「・・・あの・・・今、その「兄ちゃん」はどうしてるんですか?」

ここまで語り続けてきた鈴木さんは言葉を止め、哀しすぎる笑顔で僕ら二人に言った。

「二人とも・・・悪いけど、ちょっと付き合ってくれるかな?」

僕とアナゴ君は、不安そうに顔を見合わせた。


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444 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:55:34 ID:a0GDhg76
3台のバイクは保土ヶ谷PAを後にする。鈴木さんは、一般車両の流れよりやや速い程度のペースで僕ら二台を先導する。
横羽経由で首都高へ。料金所では僕ら二人分の料金を支払いながら、鈴木さんは首都高を都心方面へ向かう。

当時、僕もアナゴ君も首都高、特に都心環状線と呼ばれるC1方面は不案内だった。
複雑に入り混じるジャンクションとその度に表示される覚え切れないほどの地名が、
地方出身者である僕とアナゴ君が入り込む事を拒否しているようで、
興味こそあったものの、積極的に走りに行く事はほとんどなかった。
そんな複雑に入り組んだ首都高の都心方面へ、鈴木さんは迷い無く僕らを導き走った。

C1 首都高都心環状線に入った瞬間、それまで退屈とも思えていた鈴木さんのペースが上がった。怒涛のペースだった・・・。
着いてゆくのが精一杯・・・。第三京浜とは比べ物にならない曲率でコーナーが迫る。
ほとんど意味を成さないような細い路側帯と左右を圧迫するコンクリートウォール。ジェットコースターのような高低差。
高い密度で存在する4輪車の群れ・・・。僕とアナゴ君にとって、未知の首都高環状線を鈴木さんは凄まじいペースでゆく。
とても鈴木さんが先導してくれなければこのペースでここを走ることは無理だった・・・。そして、鈴木さんより速くなったなどと思い違いをしていた先刻までの自分を恥じる。
・・・それにしても、鈴木さんは僕らを何処に連れてゆこうと言うのだろうか・・・。
まるで憑き物を振り払うかのような鈴木さんの走りは、何故かとても辛そうに見えた・・・。

環状線を一周しないうちに鈴木さんはペースを落とした。あれは江戸橋付近だったろうか・・・。鈴木さんはコーナーを立ち上がると左にウィンカーをあげ、道路脇の作業帯にCB1100Rを停めた。僕とアナゴ君もその後ろにマシンを停める。

「どうしたんですか!? トラブルですか!?」

駆け寄る僕とアナゴ君を尻目に、鈴木さんはゆっくりとヘルメットを脱ぐと僕らの後方、たった今立ち上がってきたコーナーの方を指差して言った。



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445 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:56:29 ID:a0GDhg76
「・・・見えるかい?あそこのコンクリートウォールに着いた痕が。」

鈴木さんの指す方向のコンクリート壁に目を凝らす。
それは街灯で照らされた周辺だったが、別時期に付いたであろう複数の接触痕が確認でき、
鈴木さんの指し示す「痕」が正確にどれを指していたのかは判らなかった。

「え?あ・・・はい・・・。それがどうかしたんですか?」

狭い首都高。僕らの至近距離を大型トレーラーや速度の高いクルマが通り過ぎ、その度に尋常ではない風圧が僕らを襲う。
大型車両が通過するたびに訪れる道路の揺れが僕らの不安を増幅させる。アナゴ君は言った。

「鈴木さん!危ないっすよ!こんなところに停まってちゃ!」

鈴木さんは、そんなアナゴ君の呼び掛けに応えず、そして衝撃的な言葉を発した・・・。

「あれがね、兄ちゃんのCB750Fがぶつかった痕さ。・・・兄ちゃんはここで死んだんだ・・・。」

「えっ・・・」

僕とアナゴ君は次の言葉を失った・・・。


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446 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:58:24 ID:a0GDhg76
「僕達は速さを追い求めていた・・・。そして、ここをその場所にしていたんだ・・・。僕が大学3年の時だった・・・。
大学4年の兄ちゃんはここで人生を終えたんだ・・・。」

「僕の目の前だった・・・。兄ちゃんのミスなのか、何かを踏んだのかは解からない。
リアの滑ったCBはコントロールを失って、兄ちゃんと一緒にコンクリートウォールに吸い込まれて行ったんだ・・・。
そして、反動で隣の車線まで転がった兄ちゃんは・・・」

僕達は無言で立ち尽くしていた・・・。一瞬言葉を失った鈴木さんは軽い深呼吸の後、言葉を続けた。

「・・・兄ちゃんは、後続車に轢かれたんだ・・・。僕はここで一部始終を見てしまった・・・。二度とここには来ないつもりだった・・・。」

「マイケルの事故のとき、兄ちゃんの事を思い出して体が動かなくなった・・・。同じ形のバイク・・・。アスファルトに流れる真っ黒な血・・・。
兄ちゃんを思い出して僕は動けなかった。・・・僕は・・・僕は・・・ここで兄ちゃんの腸をかき集めたんだ・・・。」

鈴木さんの頬を涙が伝った・・・。そして、それまで憂いを湛えていた鈴木さんの哀しい瞳は、打って変わって僕らを強く真っ直ぐに見据えて言った。


「いいかい、二人とも。バイク乗りは、バイクで死んじゃいけない・・・。愛するバイクで死ぬなんて、それはとても哀しい事だ・・・。」


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447 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/18(日) 01:59:21 ID:a0GDhg76
「残された者の心にも、バイクという乗り物が呪いのよう絡みつくんだ・・・。
バイクに乗らない残された者は、大切な人を奪ったバイクを一生憎しみながら生きていく・・・。
バイクに乗る残された者は愛車に跨る度に辛い過去を思い出し、それでもバイクを降りることの出来ないジレンマに苛まれながら生きていく事になる・・・。
愛するバイクで・・・自分はおろか、家族や仲間をも不幸にする・・・。それはあまりに哀しい事だよ・・・。

僕とアナゴ君は、動けなかった・・・。

「いいかい二人とも・・・バイク乗りはバイクで死んではいけない・・・。どうか・・・どうか、忘れないで欲しい・・・。」

1985年 春。若かった僕らの心に、大切な何かが突き刺さった夜だった・・・。


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529 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/24(土) 00:52:01 ID:eCFk5zyN
【SCENE107】


      『バイク乗りは、バイクで死んではいけない』


若く、熱く、そして愚かで真っ直ぐだった僕達に、大切な言葉を残してくれた人がいた。
半人前の僕達に、バイク乗りとして、男として、大人として進むべき道を、教え諭してくれたかけがえの無い人がいた。
第三京浜で、彼はいつも人の輪の中心にいた。彼は、僕らの憧れであり目標だった。強く優しい人だった・・・。
・・・1985年。確かに僕とアナゴ君には共通の「兄」がいた。そこに行けば・・・鈴木さんの笑顔があった・・・。



C1で鈴木さんの涙を見たあの夜以後、鈴木さんはいつもと変わらぬ様子で僕らと共に居た。
相変わらずのように僕を『魔棲雄』と呼び、看板を背負えとからかった。
鈴木さんの秘められた過去を知ってしまったせいなのだろうか?
僕はそれ以来、鈴木さんの笑顔に少しだけ哀しい影を感じてしまう事もあった。
しかし、それ以上にそれまで漠然と感じていた鈴木さんの強さの理由が解かったような気がした。

・・・兄と慕う男の死の一部始終を見てしまったその目で優しく笑い、兄と慕う男の血で染まったであろう大きな手でバイクのメンテナンスを教えてくれた鈴木さん。
僕とアナゴくんの「兄」は強い人だった・・・。



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530 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/24(土) 00:53:34 ID:eCFk5zyN
年間を通じて最もバイクが快適な春もあっという間に通り過ぎ、湿気疎ましき梅雨のシーズン。
そんな黒く厚い雲が垂れ込める日曜日。僕とアナゴ君、そして鈴木さんはイナダモータースに居た。
ツーリングに出ようとして集まったものの、雨がポツリと落ち始めたので避難を兼ねて店内で井戸端会議。

「オヤジさん。息子さんはいつ帰ってくるんだっけ?」

「あと一年よ。あの野郎、真面目に勉強してるのかねぇ?鈴木さんよ、今度覗きに行ってくれねぇかい。」

「ハハハハ!近いんだから自分で会いに行けばいいのに〜。恥かしいのかい?」

「バカヤロッ!!」

イナダのオヤジさんに息子さんが居るのは初耳だった。

「オヤジさん、息子さんが居たんですね。どこかの学校に行ってるんですか?」

「おう。埼玉のメーカー系の整備専門学校にな。俺は店なんて俺の代で潰していいって言ったんだよ。でもどうしても継ぎたいってよ」

オヤジさんはいつものように難しい顔をしながらも、まんざらでもない様に少し笑う。
ツーリングがお流れになったのは残念だがこんなゆっくりした時間の流れもいいものだ。
小洒落た喫茶店などではないが、コーヒーの香りの代わりに漂うオイルとガソリンの香りもまた芳しい・・・。

店の隅にある本棚には、新旧入り交ざったバイク雑誌の数々。CB750やZ1のデビューした時の号まである。
興味本位でそれらの雑誌を取り出してはめくり・・・などとやっていた僕は、その本棚の中に雑誌ではない冊子があることに気が付く。・・・これは、アルバムか?



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531 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/24(土) 00:55:11 ID:eCFk5zyN
こんな店内の本棚にあるのだから、見てはばかれるような物ではないのだろう。
会話に盛り上がるアナゴ君や鈴木さんを尻目に僕はその薄いアルバムを捲った。
この白黒写真に写っている小柄な男性は・・・オヤジさんか?若いな〜。・・・などと、僕は一人でほくそ笑みながら何の気も無くそれらの写真を眺める。

・・・余談だが、今にして思い返すとオヤジさんの若かりし頃の写真はとんでもない代物だったような気がする。
当時の僕は古いバイクや、その筋の世界で有名な人の知識に乏しかったから見過ごしてしまっていたのだが・・・、
あの写真にオヤジさんと一緒に写っていたバイクは、RCなんとかという60年代のホンダのGPマシンだったような気がする。
そしてオヤジさんと親しげに肩を組む「HONDA」とロゴの入った作業帽をかぶった初老の男性は・・・イナダのオヤジさんよりもっともっと有名な「オヤジさん」だったような気がする・・・。
オヤジさんは、もしかしたら「世界」を知る男だったのかも知れない・・・。
当時は気にせず見過ごしていたその写真。その後もその写真の事自体を忘れてしまい事の真偽は聞けず仕舞いだったが、今度息子さんにでも聞いてみることにしよう。

アルバムを捲る度、写真は新しくなってくる。写真の色褪せかたや写りこむバイクの年代でそれが窺い知れる。
ん?これは、鈴木さんだ。イナダモータースの前での記念写真。
イナダのオヤジさんや鈴木さんと一緒に写っている学生服を着た高校生らしき少年は誰だろうか?

「この子が息子さんですか?」

僕はアルバムからその一枚を抜き出すと、会話をしている3人の席へ持っていく。

「いやぁ、違うよ。こりゃウチのガキじゃなくてね、田中のボーズだ。」

「おぉ〜、懐かしいなぁ〜。彼は田中君って言ってね、僕が大学時代に住んでいたアパートの近所に住んでた子さ。」

鈴木さんは目を輝かせて写真を見つめる。そして「彼、元気でやってるかなぁ」と呟いた・・・。


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532 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/24(土) 00:56:44 ID:eCFk5zyN
「この前に話した「兄ちゃん」の事故のすぐ後さ。東京で一人ぼっちになった僕の前に田中君は現れたんだよ。」

「いつもアパートからバイクで出発する時に、田中君が向かいの家の窓からこっちを見ているのは知っていたんだけど、
ある時、アパートの前で洗車をしていたら学生服姿の彼が近づいてきてね。
バイクの免許って取るの大変ですか?って聞いてきたんだ。」

その田中君というバイクに憧れる少年は、鈴木さんの元で手ほどきを受け、原付・・・中型とライダーとしてのステップを踏んでいったという。
イナダモータースでバイクを購入した彼は、作業場でのオヤジさんの作業を飽きもせず眺めていたという。
「やり辛くってよ!ありゃ、もう参っちまったね」と、オヤジさんも懐かしそうに言う。

「彼は僕を慕ってくれてね・・・。兄ちゃんを失った直後だったから、随分救われた。嬉しかったよ。」

鈴木さんは優しい目で写真を見つめながら言った・・・。オヤジさんは腕を組み、タバコの煙を鼻から吐きながら黙っていた。

「オヤジさん、この写真、彼が出発する前の日に撮ったヤツだよね。」

「お、おう。そうだな、確か。」

「え?彼、どこかに行ったんですか?引っ越しかなにか?」

鈴木さんは、目を輝かせながら誇らしげに僕とアナゴ君に教えてくれた。


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533 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/02/24(土) 00:58:05 ID:eCFk5zyN
「彼はね、高校卒業と同時に外国のレーシングチームにメカニックとして渡ったんだ。今頃も世界のどこかで活躍しているはずさ。
そう思うと嬉しくて嬉しくて・・・。応援しに行きたいけど、遠いよなぁ。」

「そういえば鈴木さんよ。来年か再来年あたりから鈴鹿で日本GPが復活するらしいぜ。あいつも凱旋帰国だな。」

「ウソ!オヤジさん、それホントかい?いや〜楽しみだなぁ。絶対応援に行くよ!」

・・・僕達のほかにも、鈴木さんに陽の当たる道を歩く手助けをしてもらった人がいる。
僕は素直にそんな鈴木さんと共に居る事が誇りに思えた。
その会ったことも無い「田中君」もまた、鈴木さんを「兄」と慕っていたであろう事は容易に想像できた・・・。
鈴木さんはたくさんの人達にとってかけがえの無い存在だった・・・。



しかし、鈴木さんが夢見た「田中君」の応援が、叶う事は無かった・・・。
その時、残された時間がもうほとんど無い事に気がついている者など一人も居なかった・・・。

・・・1985年。確かに僕とアナゴ君には共通の「兄」がいた・・・。


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578 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/02(金) 00:56:00 ID:VQ7A5HWy
【SCENE108】
・・・早く夏が来ればいいと思っていた。梅雨の明ける気配が、来たるべく夏への期待を膨らませてならなかった。
今年も鈴鹿8耐へ行く。灼熱のサーキットであらんかぎりに声をあげて、戦うライダー達を応援するのだ。
そして・・・もちろんその後にはライダーの聖地北海道。
これが、僕達の夏のフルコース。若きバイク乗りにとって、夏こそが青春を燃やすに相応しい季節だった・・・。
あれほどまでに待ち遠しかった1985年の夏。・・・戻りたくても叶わぬあの日・・・。


その年の北海道ツーリングを、僕はそれまで以上に楽しみにしていた。
冬の間にいろいろと調べた北海道の見どころや味覚もさることながら、それ以外にも僕は楽しみにしている事があった。

僕が、歌手坂本九のファンであったことは以前にもお話した事があっただろう。
特に内気な中学・高校の思春期を過ごしていた僕は、その時代々々のヒット曲をほとんど知らなかった代わりに、坂本九の優しく少し寂しげな歌声が心の愛唱歌だった。
一人内に篭りがちだった僕の心が、それでも完全に破綻せずに多感な時期を乗り越える事が出来たのは、坂本九の歌によるところも少なからずあったかもしれない。



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579 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/02(金) 00:58:06 ID:VQ7A5HWy
だから、そんな坂本九ファンの僕が2年も続けて夏の北海道に行っていたにも関わらず、そのテレビ番組の存在を知らなかったのは、正直悔しいと言ったところ。
なんと北海道ローカルで、毎週坂本九が生出演している番組がある!・・・と、その年の春先に大学で北海道出身の同級生に聞いたのだ。

その『サンデー九』という毎週日曜放送の番組は、福祉問題を取り上げた情報番組ということで、今さらながら
九ちゃんの人となりや社会的メッセージを伝えていこうとする姿に感服したし、一ファンとして是非その番組を見てみたいと思ったのだ。
だから僕は、その番組が見られるようにわざわざ部屋でテレビを見られる安宿を探し、オールキャンプを主張するアナゴ君を説き伏せ、日曜日にあわせて予約まで入れたのだ。あぁ、楽しみだ。

・・・それに、もしかしたらそれ以上に期待していた事もあったかも知れない。
北海道に行けば、もしかしたら・・・未だ忘れられぬ女性、タイコさんに会えるかもしれない、などと僕は妄想していた・・・。

とにかく、そんなわけでその年の北海道はいつにも増して楽しみで楽しみで仕方が無かった。
北海道への充分な軍資金を貯める為、5月頃からはさらにアルバイトにも力が入った。
疲れた体をひきずり部屋に戻ると、万年床で横になりながら壁に掛けたカレンダーを眺め、出発日までを指折り数えながら眠りについた。
だから、夏前の僕は少し勉強がおろそかになっていた。
窓の外が梅雨の長雨の授業中でも、頭の中では緑の大地とスカイブルーの透き通った空が広がっていた。




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580 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/02(金) 00:59:52 ID:VQ7A5HWy
「そういえばさ、去年の北海道でキミらに言った事、覚えてるかい?」

鮒田食堂で鈴木さんにそう言われ、僕とアナゴ君はキョトンと顔を見合わせた。
その日は、北海道ツーリング計画会議の第2回目。学校帰りの僕らと、会社帰りのスーツ姿の鈴木さんは、
ここ鮒田食堂で晩飯を喰いながら会議中だった。

「・・・えっと・・・なんの事でしたっけ?」

全く思い出せないと言った様子で、アナゴ君は鈴木さんに聞き返す。
鈴木さんは笑いながらガックリと肩を落とす。

「おいおい、忘れるなよ〜!就職の事だよ。言ったろ?ウチの会社に来ないかってさ」

・・・あぁ、思い出した。僕とアナゴ君は前年の北海道ツーリングの時に鈴木さんの勤める会社に誘われたんだった。

「・・・あ・・・えっと・・・はい!もちろん覚えてましたですよ!」

「・・・ウソだね!すっかり忘れてたろ!キミら!」

鈴木さんの指摘は、ズバリ当たっていた。僕らは大学3年になっても就職の事など全く頭に無かった。
それが、僕達を他の事など考えられないほどに夢中にさせるバイクのせいなのか、持って生まれた呑気さのせいなのかは解からない。
特に、当時は現在ほど早期に就職活動に向けて動き出す学生は少なかったし、何より翌年から就職活動スケジュールが
前倒しされすぎる事を防ぐ「就職協定」が明確化されるという噂があったので、すっかり先の事のように思っていた。
要は他人事だったのだ。しかし、考えてみれば僕らはもう大学3年生だった・・・。



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581 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/02(金) 01:01:02 ID:VQ7A5HWy
「いやぁ〜、まだまだ先のことですから〜」と、呑気なアナゴ君。

「おいおい、もう来年の事だぞ?そんなのんびりやってて後で後悔してもしらないぜ・・・」

北海道で将来の事を聞かれたときと違い、社会人のスーツ姿の鈴木さんが語る言葉には重みがあるように感じた。
今思えば、鈴木さんは将来の進路に関して全く気の無い呑気な僕らが心配だったのかもしれない・・・。
僕らが鈴木さんを「兄」と慕うように、鈴木さんもまた僕らを弟のように思っていてくれたのだろうか・・・。
そして、鈴木さんは財布から名刺を取り出し、僕達に一枚ずつ渡した。

「これが僕の同期の人事課のヤツの名刺だよ。その気があるなら来年の就職活動の時期に連絡してみればいいよ。
・・・これって青田刈り?まずいかなぁ?ハハハ」


程なくして、梅雨が明けた。1985年の7月が訪れた・・・。生涯忘れえぬ夏が訪れた・・・。
楽しい思い出に満たされるはずの夏だった・・・。しかし、待っていたのは「死」の香りに彩られた、おぞましき夏だった・・・

その時、僕はまだ知らなかった・・・。僕はこの先、楽しみにしていた九ちゃんのテレビ番組を一生見る事が出来ない事を・・・。

そして、この夏もその先の夏も・・・二度と鈴木さんと北海道を走ることが無いということを・・・。


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613 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:16:39 ID:m8UBNWw5
【SCENE109】
「じゃあ、今年も富良野で合流ってことでいいね。」

第3回になる鮒田食堂での北海道ツーリング会議。
昨年の北海道ツーリング同様、社会人でお盆しか休みの取れない鈴木さんとの合流は、富良野近郊のキャンプ場と決めた。

「じゃあ、その後はどっち方面に行こうか?今年は久しぶりに宗谷岬を制覇したいんだけどなぁ。」

「えぇ〜?俺はやっぱり東がいいなぁ〜。今年こそ摩周湖が見たいっすよ〜。」

「摩周湖なら何度も行ったからなぁ。僕と合流する前に二人で行けばいいじゃないか。」

「ダメっすよ!やっぱ、晴れ男の鈴木さんが居ないと!一緒に摩周湖見に行きましょうよ〜。」

喧々諤々。3人それぞれ勝手な事を主張するのでなかなか目指すメインの方向が決まらない。
鮒田食堂の古ぼけたテーブルに北海道の大地図をいっぱいに広げて、ああでもないこうでもない、とルートを思案する。
鮒田のオヤジが厨房から「俺ぁ、今年も鮭トバを頼むわ!」とやかましい。

こんな居心地のよい時間が、僕は大好きだった・・・。柔らかい時間が流れていた・・・。
そこには確かに明るく健全なかけがえの無い「青春」の時間が流れていた・・・。



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614 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:17:36 ID:m8UBNWw5
「あっ!そろそろバイトの時間だ!」

僕は午後10時から、夜間工事現場での交通整理のアルバイトが入っていた。

「じゃあ、今日はこれでお開きだな。アナゴ君が色々と欲張るもんだから、ほとんど何も決まらなかったじゃないか!」

鈴木さんはそう言って笑いながら席を立ち、いつものように3人分の支払いをしてくれた。

「ごちそうさまっす!」

「ごちそうさまです!」

「じゃあ、二人には北海道でジンギスカンでもおごってもらおうかな?」

鮒田食堂の暖簾を出ると、僕は一人だけ別方向。
アナゴ君のアパートは駅の反対側だし鈴木さんは電車に乗るから、二人とも駅のほうに向かうのだ。



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615 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:18:08 ID:m8UBNWw5
「フグタ君、バイト頑張れよ。無理して北海道に行く前に体壊すなよ。」

「はい。どうもごちそうさまでした!おやすみなさい!」

そんな他愛も無い会話で鈴木さんと別れた。
その時の会話は、鈴木さんの優しい笑顔と共にハッキリと僕の脳裏に焼きついている・・・。
何故、そんな他愛も無い会話のことをよく覚えているのかといえば・・・、それが僕と鈴木さんが交わした最後の
会話だったからだ・・・。

二人と別れて僕は自分のアパートの方へ歩き出す。
歩き出して十数メートル歩いたところで、背後からアナゴ君の笑い声が聞こえた。
僕は何の気なしに足を止め、駅の明かりのほうへ歩く二人のシルエットを見送ったのを覚えている。
落ち着き無くオーバーアクションで話すアナゴ君と、それを見て笑う鈴木さん・・・。
その後に起こる悲劇を知る由も無い僕が、何故かその二人の後姿を見えなくなるまで見送っていた・・・。
そして、それが僕が鈴木さんの元気な姿を見た最後だった・・・。

・・・最後まで僕の東京での「兄」は、僕を気遣い優しい言葉を掛けてくれた・・・。



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616 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:19:47 ID:m8UBNWw5
北海道への夢想と、それを現実にする為の軍資金稼ぎに没頭していた僕は、まあ当然のことながら勉学がおろそかになっていた。
そして、それは夏休み前の前期試験の結果に現れる。
ほとんどの教科が赤点ギリギリだった僕は、助教授からレポート課題の提出を命ぜられていた。
これを終わらせなければ僕に夏休みはやってこないのだ。・・・まぁ、自分が蒔いてしまった種であるのだが・・・。

第3回北海道ツーリング会議の翌晩、僕とアナゴ君はやはり鮒田食堂に居た。

「よう、フグタ君。明日、鈴木さんが最終会議をやろうって言ってるんだ、ここで。来るよな?」

「・・・あぁ、悪い。明日は無理だよ。レポート提出しなくちゃいけなくてさ。明日は部屋でカンヅメだよ・・・。」

「そうか。じゃあ、俺と鈴木さんで決めちゃうぜ?」

「そうしてくれるかい?北海道はどこへ行っても楽しいからさ。僕はどこでもOKだよ。」

僕とアナゴ君の北海道への出発予定日まで、一週間をきっていた。



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617 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:22:05 ID:m8UBNWw5
7月もそろそろ月末に入りかけていた週末・・・。薄暗く曇っていて、蒸し暑かったあの日・・・。忘れえぬ、あの日・・・。
僕は学校をサボり、部屋で件のレポートに取り掛かっていた。提出期限は週明けの月曜だ。
普段は宿題の類など全く身に入らない僕だったが、今回は事が事だ。北海道が掛かっている。

地平線まで続く真っ直ぐな道。透き通るような大空。美味い飯。九ちゃんの番組。
そして、もしかしたら会えるかも知れないタイコさんに思いを馳せ、僕は週末の晩のお楽しみである第三京浜にもその日は行かないと決めていた。
テーマと資料は前日に学校の図書館で入手済み。大まかな構想を決め、半分ほどが出来上がったところでふと気がつくと窓の外はもう暗くなり始めていた。・・・夕立は降らないだろう、きっと。

今頃、鈴木さんとアナゴ君は鮒田食堂で最終調整をしている頃だろうか・・・。
小腹の減った僕は、チキンラーメンで腹を満たすと、再び机に向かう。
もう、7割方は完成しているんじゃないのか?
明日の日曜一杯はかかると踏んでいたのだが、思ったより早く進んでいるじゃないか・・・。
第三京浜に行っても大丈夫じゃないか?いやいや、それはマズイ・・・などと集中力が途切れ始めた僕は、ラジオのスイッチを入れた。



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618 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:23:46 ID:m8UBNWw5
残りは明日やればいいじゃないか・・・などと思いつつ、それでもダラダラと惰性でレポートを書き続けた。
気がつけばもうすぐ日付が変わろうとしていた。ラジオからはニュースが流れていた。

「破産宣告された豊田商事は・・・」、「台風8号は・・・」、「道路情報です。環状八号線はオートバイの事故の為・・・」。
遂にウトウトし始めた僕は、それらラジオの声すらほとんど耳に入っていなかった。鉛筆を持ちながら遠のく意識の中で、
「・・・今晩のオールナイトニッポンは鶴光かぁ・・・」などと呑気な事を考えていた・・・。
そして、9割方書き終えたレポートに突っ伏すようにいつしか居眠りを始めていた・・・。

僕は机の上でふと目を覚ました。何時の間にか降り始めた強い雨の音が外から聞こえる。
目覚まし時計を見ると、午前4時。ラジオからは鶴光の大阪弁が流れていた。
・・・おかしいな、外でバイクのエンジン音がしたと思ったんだけど・・・。そう思いながら用を足そうと立ち上がった時、 部屋のドアをトントンと叩く音がした。


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620 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:26:30 ID:m8UBNWw5
来客など絶対にありえない時間に鳴らされたノックの音に少し驚いた僕は、少し警戒しながら「どなたですか?」とドアの外の来訪者に尋ねる。

「・・・・・・」

「・・・どなたですかぁ〜。」

「・・・俺・・・」

アナゴ君の声だった。

「なんだ。アナゴ君か。」

そう言いながらドアを開けると、そこには雨で頭からつま先までずぶ濡れになったアナゴ君が立っていた。

「どうしたんだよ。こんな時間に。びしょ濡れじゃないか。まぁ、入りなよ!」

そう言いながら、アナゴ君を部屋に招きいれようとした時、アパートの前の路地にヘッドライトが点灯したままで倒れているアナゴ君のカタナが目に入った。

「おい!アナゴ君、カタナが倒れちゃってるぜ!」

そう言って、アナゴ君の顔に再び目を移した時、僕はギョッとした。
・・・そこにあったのは、これまでに見たことの無いアナゴ君の顔だったからだ・・・。

彼の髪や顎からは雨水が滴り落ちていた。顔色は真っ青で、彼の顔の最大の特徴とも言える唇は紫色に変色していた。
そして何よりも彼の目は視点が定まらず、まるで虚ろだった・・・。体全体が小刻みに震えていた・・・。


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623 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/03(土) 01:28:23 ID:m8UBNWw5
僕は、そんな尋常ではない彼の様子に驚き次の言葉を一瞬失っていた。
そんな僕を尻目に、バイクが倒れているという僕の指摘をまるで無視するように、彼は何かを言おうと唇を動かす。

「・・・・・・」

しかし、唇が小さく動くだけでまるで言っている事が聞こえない。

「え?なに?」

「・・・鈴木さん・・・が・・・」

アナゴ君が鈴木さんの事を言おうとしているのは理解できたが、それでも強い雨が地面を叩く音に邪魔され、
聞き取る事が出来なかった。

「鈴木さんがどうしたって?」

てんで埒が明かないアナゴ君の様子に少しイライラした僕は、やや強く聞き返す。
・・・すると次の瞬間、アナゴ君の口から信じられない言葉が紡ぎ出された・・・。僕はその瞬間の時間が凍りついたような
感触を今でも忘れることは無い・・・。

「・・・鈴木さん・・・が・・・死んだ・・・」

「・・・えっ・・・」

未明の雨はさらにその強さを増し、唸るような雨音が僕らと倒れたカタナを包んでいた・・・。


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726 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/08(木) 22:40:31 ID:I3pkpkVo
【SCENE110】
あの、時間が止まった夜明け前の豪雨の日から二日後。喪服姿の僕とアナゴ君は上野発の高崎線に揺られ、群馬に向かっていた。
・・・無論、鈴木さんとの最期の別れをするためだ・・・。僕とアナゴ君は、空いた平日の高崎線車内で言葉を交わすことは無かった。
二人とも、終始黙って車窓からの風景をただ眺めていた・・・。

「・・・ほら、あれが赤城山だよ・・・。鈴木さんが高校時代に走りに通っていた・・・。」

東京を出発してから、初めてアナゴ君が口を開いた。
アナゴ君の虚ろな視線の先には、女性的なふくよかな稜線を描く赤木の山並みが快晴の空の下、横たわっていた・・・。
免許取立ての鈴木さんが、走りを覚えた峠、赤城山・・・。
若かりし鈴木さんが、元気にワインディングを駆け抜ける様子が、鮮明に脳裏に思い浮かぶ。・・・僕には、鈴木さんが死んだことの実感が全く無かった・・・。

僕はまだ、鈴木さんの遺体に対面してはいなかった・・・。
東京で簡単な検死や御家族との無言の対面を果たし、実家に搬送された鈴木さんの遺体に、一知り合いでしかない僕が対面できる時間的余裕など無かった。
・・・これから、初めて物言わぬ姿となってしまった鈴木さんに対面する・・・。

僕は怖かった・・・。その時、鈴木さんの死に対して全く現実感を感じられていなかった僕は、
あるいはそんな現実を前にして思考停止してしまっていたのかもしれなかった・・・。
鈴木さんの遺体と対面したら否応無く現実に引き戻されるわけで、僕はそれがもの凄く怖かったのだ・・・。

目の前のアナゴ君は、無表情で北関東の田園風景を眺めていた・・・。
そう・・・、彼だけが鈴木さんの御遺族以外に鈴木さんの遺体と対面を果たしている、いや、御遺族に先んじて鈴木さんの遺体と向き合った唯一の人間だった・・・。



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727 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/08(木) 22:41:23 ID:I3pkpkVo
・・あの日のことは、思い出したくない・・・。思い出させないで欲しい・・・。

僕は、実際に「あの事故」をこの目で見たわけではない・・・。
複数の関係者から聞いた話を、僕の脳内で整理した程度のイメージでしか「あの事故」を認識できていない。
・・・だが・・・だが、それでも「あの事故」の起きた時間と現場が、いかに悲惨で凄惨で残酷で絶望に満ちた空間と化したかは想像に難くない・・・。

・・・想像でさえ、そんな具合なのだから、「あの事故」をその目で見てしまった男の精神状態は如何ばかりか・・・。
「兄」のように慕う男が、目の前で絶命する瞬間を見てしまった僕の親友の心中を察すると、胸は押し潰されるように苦しくなり、もはや言葉もない・・・。

そう・・・。アナゴ君は、あの日、その瞬間、現場にいた・・・。その目で、全てを見ていた・・・。

十数年が過ぎた今でも、アナゴ君はあの日、目の前で起きたことを僕に話すことは無い。もちろん、僕から聞くことも無い。
アナゴ君にとっては十数年程度の年月の経過が、その事故を「思い出」という柔らかな記憶に変える事は無い・・・。
だから、僕が「あの事故」について知っている事は、事故直後で混乱したアナゴ君本人からの僅かな状況説明と、
アナゴ君や目撃者から聴取した内容を数日後の事故現場で教えてくれた警察の親切な捜査員から聞いた断片的なもの。
それらを僕の頭の中で時系列を整理、イメージした程度の事故状況しかお話しすることは出来ないが、それでよければ聞いて頂きたい。
・・・ただ・・・本当は思い出したくない、記憶の片隅に押し込めておきたい事実であることも理解いただきたい・・・。

鈴木さんは環状8号線の交差点で左方から飛び出してきた信号無視の車に側面から接触され、バランスを失って対向車線に弾き出された格好となり、
そこでトラックと正面衝突。・・・CB1100Rもろともトラックの下敷きとなったのだそうだ・・・。
・・・それほど難解な事故では無い・・・。いつも僕たちにとって模範的なライディングを見せてくれていた鈴木さんは、思いがけず現れた他車両の無謀のあおりをうけ、呆気なく逝った・・・。



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728 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/08(木) 22:42:41 ID:I3pkpkVo
あの時、二人は二車線の右側を走行していた。前が鈴木さん、後ろがアナゴ君。
第三京浜からの帰り道、その日の熱いライディングを終えた二人は、クールダウンするように流れに乗って淡々と走っていたそうだ。
前方の青信号の交差点を、当然のように通過しようとしたときそれは起きた・・・。今から話すことは、ほんの数秒の出来事である。

後方のアナゴ君は、その鈴木さんの行動を瞬間理解しかねた。
ほとんど交差点に進入しかけていた前方のCB1100Rのブレーキランプが突然点灯し、
鈴木さんは上体を瞬間的にやや右に寄せ、回避行動のような動きをしたからだ。

次の瞬間、つんのめるようにフロントサスペンションを潰し、タイヤから甲高いスキール音とスモークを発生させながら、
それでも猛烈な勢いを残したまま一台の白いスポーツカーが交差する左側の道路からその交差点に突入してきた・・・。
もちろん、二人の側が青信号なのだから、そのクルマは赤信号で交差点に突入してきた事になる。

アナゴ君も反射的に回避行動を取る。アナゴ君の左真隣を走っていた軽自動車と、交差点突入車両のスキール音が重なった。
白いスポーツカーは、左車線を完全に塞ぎ、鼻っ面をCB1100Rとカタナが走る右車線まで侵入させたところで停まった。
・・・しかし、その白いスポーツカーは完全停止する直前、反射的に右に回避行動を取っていた鈴木さんの左側面に接触していた・・・。



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730 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/08(木) 22:43:37 ID:I3pkpkVo
接触というと聞こえはいいが、それは二輪車のバランスを崩し、進路を大幅に狂わせるのには充分の衝撃だった・・・。
鈴木さんはそれでもバイクを倒すことも、バイクから振り落とされることもせず、最後まで右方向に無理矢理押し出された車体を立て直そう
としていたという・・・。
結果を知ってしまってからでは、その判断が正しかったかどうか疑問も残る・・・。もし、すぐに転倒していれば・・・、バイクから離れていれば・・・。
・・・しかし、そんな想像は空しいだけだ・・・。突然のアクシデントと、残された一瞬の時間・・・。
鈴木さんが選択した回避行動を、誰が責められようか・・・。

鈴木さんの懸命の操作も空しく、右方向に向かってコントロールを失ったCB1100Rは中央分離帯突端の縁石に接触した・・・。
もはや人間の力で回復制御することなど出来ない強大な慣性エネルギーは、CB1100Rを鈴木さんもろとも対向車線上に飛ばした。

・・・前方からトラックが迫っていた・・・。


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731 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/08(木) 22:44:41 ID:I3pkpkVo
・・・無理だ・・・。これ以上を伝えることは出来ない。・・・辛い・・・。
一つだけ言えることは、救急隊が到着した時、CB1100Rと鈴木さんの体はまだトラックの下にあったということ・・・。
僕が伝えられるのはそれだけだ。・・・その状況を想像すると・・・アナゴ君の絶叫が聞こえてくるようで、本当に辛い・・・。


アナゴ君の隣を走っていた軽自動車が止まりきれずにその白いスポーツカーの側面に軽衝突したが、そのクルマはそんなことにも全くお構い無しで、その場から逃走した・・・。

「・・・サバンナ・・・だったかも知れない」

アナゴ君は、僕にも警察にもそう伝えていた。
トラックの下に鈴木さんが吸い込まれた後に、相手車両のナンバーを確認している余裕などアナゴ君にはもちろんあるはずが無かった。
すぐに轢き逃げ事件として捜査が始まったが、逃走車両と犯人が見つかったのはそれからしばらく経ってのことだ・・・。

・・・これが、鈴木さんが命を失う事となった事故の一部始終だ。そして、その一部始終をアナゴ君は見てしまったのだ・・・。


電車は前橋に到着した。重い足取りで僕らはホームに降りた・・・。

怖かった・・・。変わり果てた鈴木さんに会うのが・・・怖かった。


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897 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/20(火) 23:58:12 ID:rXEBDlVt
【SCENE111】
駅前でタクシーに乗った。アナゴ君は、鈴木さんの実家の住所が書かれた紙片を運転手に渡した。
無言の僕らを乗せ、タクシーは走り出した・・・。

アナゴ君は、事故直後に鈴木さんの家族に会っていた。
病院で鈴木さんの遺体に唯一の知人として付き添っていたアナゴ君のもとに、事故の報を聞きつけ群馬から車で御家族が駆けつけたのは午前2時過ぎ。
ご両親と年の離れたお兄さんが、変わり果てた鈴木さんとどんな哀しみの対面を果たしたのか・・・。想像するだけで胸が押し潰されそうになる・・・。

それでも、僕らの両親世代より一回りほど高齢の鈴木さんのご両親は取り乱すことなく、
息子が事故に遭った時に一緒に走っていたアナゴ君に行き場の無い怒りの気持ちをぶつけることも無く、深々と頭を下げたという。
アナゴ君もまた、ご両親の求めに応じ、他の誰よりも事故の状況を詳細に伝えたそうだ・・・。

若かった当時の僕に、ご両親の心中が完全に理解できていたとは言い難い・・・。
だが、時を経て親の立場になった今、その気持ちを想像すると心は悶えんばかりの苦しみに襲われる・・・。
両手に収まらんばかりに小さく愛くるしい赤子の頃・・・。大切に育てる事を誓った無垢な寝顔・・・。這い、そして歩き、言葉を覚え、笑い、そして泣き・・・。
この世に産まれてからの成長の全てをこの目で見届けてきた最愛の息子が、トラックの下敷きになって無残な
骸と化したとしたら・・・。僕は正気を保っていられるのだろうか?

そしてそのタクシーの車中で、僕は初めて事故後に病院に駆けつけた中に、鈴木さんのご両親とお兄さん以外の人が居るのを知った。
アナゴ君は僕の方を見ず、だがとても辛そうに言った・・・。それは、この惨劇に一層の悲しみを添加するものだった・・・。

「・・・鈴木さんには、地元に彼女がいたんだ・・・。来年に結婚する予定だったんだってよ・・・。」

幾重にも降り積もる悲しみの重さに、僕の頭はどうにかなりそうだった・・・。


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898 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/20(火) 23:59:05 ID:rXEBDlVt
程なくして、タクシーは鈴木さんの生家に到着した。
僕は、本当に怖かった。変わり果てた鈴木さんに会うのが怖くて怖くて堪らなかった。
事故の状況を話の中だけで知っていた僕にとって無残に変わり果てているであろう鈴木さんに対面するのは、ある意味で恐怖だった・・・。
強く、優しく、頼り甲斐のある兄貴分だった鈴木さん・・・。事故の二日前も鮒田食堂で晩飯を奢ってくれた鈴木さん・・・。
そんな鈴木さんの無残に変わり果てた姿と対面する事・・・。起こってしまった現実を現実と認めることになってしまう事に、僕は躊躇していた・・・。

前橋郊外の住宅街に、鈴木さんの生家はあった。
ごく一般的な二階建ての住宅。玄関扉に掲げられた忌中札だけが、この家で起きた事態を静かに物語っていた・・・。

アナゴ君が呼び鈴を押した。「は〜い」という男性の声がして玄関が開いた。30代半ばらしき男性が僕らを出迎えてくれた。

「お〜、アナゴ君。遠いところをどうもどうも。どうぞ、上がってください」

鈴木さんのお兄さんだった・・・。年が離れているせいか、鈴木さんにはそれほど似ているようには見えなかったが、それは僕らにとって幸いな事だったのかもしれない・・・。

「フグタさんですね。弟が東京でお世話になりました。」

お世話になったのは僕のほうです、と思ったが言葉が出なかった・・・。玄関に上がると線香の香りがした。
僕達は居間に通された。初老の女性が礼儀正しく床に手を付き僕らを出迎えてくれた。鈴木さんのお母さんだった。

「ようこそおいでくださいました。夫はお寺のほうに出かけておりまして・・・。」

優しく、気丈に振舞う鈴木さんのお母さんは、それでも疲れ果てているであろう事までは隠せなかった・・・。
普段の彼女を知らない僕にも、やつれているであろう事はすぐに理解できた。

「こちらです。どうぞ・・・。」

鈴木さんのお母さんに促された先。居間の続きの和室に、祭壇と棺があった・・・。鈴木さんが眠る棺が・・・。



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899 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/21(水) 00:03:33 ID:KNFg9AKW
一瞬、棺の前で立ち尽くした僕の背中をアナゴ君が軽く押した。

「・・・ほら、鈴木さんだぜ。」

棺に近づくと、そこには確かに鈴木さんが居た・・・。

白い布団を掛けられ、鈴木さんは静かに棺の中で眠っていた・・・。頭には包帯が巻かれていたが、傷も無く綺麗な顔で眠る鈴木さんが、確かにそこに居た・・・。
あぁ、鈴木さんだ・・・と思った。健康的に日焼けした顔色も、目尻の笑い皺もそのままだった。僕がいつも見ていた鈴木さんの顔がそこにあった。

・・・語弊があるかも知れないが、ホッとしている自分が居た。
凄惨な姿の鈴木さんを想像していた僕は、綺麗な顔をした鈴木さんの遺体と対面した時、悲しみでも絶望でもなく、確かに安堵していた・・・。

「本当は今日の夕方の納棺で初めて棺に入れるんだけどね。・・・体のほうはちょっと・・・酷くてね・・・。」

お兄さんが淡々とそう言った。
・・・しかし、遺体と対面しても、その傷一つ無く眠るような表情のせいなのか、僕には鈴木さんの死が現実のものとして理解できて居なかった・・・。
棺が・・・、祭壇に飾られる花が・・・、線香の香りが・・・、全て夢の中のオブジェのように僕には感じられた・・・。
あるいは、僕はこの期に及んで鈴木さんの死を認めたくなかったのかも知れなかった・・・。


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900 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/03/21(水) 00:05:50 ID:KNFg9AKW
再度アナゴ君に促され、僕は棺の脇に目を向けた。その時、初めてそこに女性が座っていることを認識した。
女性は無言で僕らに頭を下げた。アナゴ君もそれに応え、頭を下げる。アナゴ君とは既知の間柄のようだった。

「フグタ君・・・。こちらが鈴木さんの婚約者のタカ子さんだよ・・・。」

眠る鈴木さんを見守るように鈴木さんの傍らに座るその女性は、あまりにも悲しい微笑で僕に再び会釈をした。

鈴木さんの遺体との対面で心が既に飽和していたその時の僕が、鈴木さんの事故がきっかけで知り合ったアナゴ君とその女性との未来を知る由など、もちろんあろうはずも無かった。

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104 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/08(日) 22:26:32 ID:lpzMIdNy
【SCENE112】
棺と祭壇の置かれた和室に僕とアナゴ君は座った。ただ、黙って座っているしかなかった・・・。
この家に居る者の誰もが押し黙っていた。
壁掛け時計の秒針が進む小さく周期的な音が、僕の頭の深層に喰い込むように響いていた。

・・・僕は眩暈のような感覚に襲われていた・・・。
平衡感覚を失ったように、座っているのに気を抜くと倒れそうだった。目の前の畳の目が、近いのか遠いのか良くわからない。
僕の脳は、突然に起こった非現実的な現実を処理しきれず、静かに悲鳴を上げているようだった・・・。
・・・鈴木さんが死んだ・・・。鈴木さんが死んだ・・・。何故?どうして?

去年の今頃、一緒に鈴鹿サーキットに行ったじゃないか。一週間前、一緒に第三京浜を走ったじゃないか。・・・数日前、一緒に鮒田食堂で晩飯を食べたじゃないか・・・。
鈴木さんが死んだって?やっぱり何かの間違いでは無いのか?目の前に横たわる鈴木さんは、今にも起きてきそうじゃないか・・・。

鈴木さんの遺体と対面してもなお、僕には遂に悲しみの感情が湧いてこなかった・・・。
まるで僕の脳が自動的に自己防衛するかのように、現実を受け止めること、そして考える事を自ずから拒絶しているようだった・・・。
その代わりに、僕の眩暈にも似た気だるさは、壁掛け時計の秒針にシンクロするようにどんどん大きくなっていった・・・。


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105 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/08(日) 22:28:22 ID:lpzMIdNy
夕方が近づいてくるにつれ、弔問客が多くなって来た。僕とアナゴ君は、一旦鈴木さんの棺の側を離れ、部屋の隅に座っていた。
親戚の叔父さんや叔母さんであろう人たちや、学生時代の同級生であろう人々が次々に鈴木さんに焼香をして行く。
誰もが物言わぬ鈴木さんの姿を前に嗚咽を漏らし、あるいは人目をはばからず泣いていた・・・。
そんな弔問客の姿を、僕はただ黙って見ているだけだった・・・。

そのうち、鈴木さんのお父さんが寺から僧侶を連れて戻った。弔問客の数とこれから読経が始まる慌しさの中で、鈴木さんのお父さんに挨拶をする余裕は無かった。
読経は上の空の僕の頭の中を通り抜け、周囲のすすり泣きは他人事のようだった・・・。

鈴木さんの納められた棺は、寺へ移された。移動手段を持っていなかった僕らは、鈴木さんのお兄さんの車に同乗させてもらった。
寺までの短い車中で、お兄さんは僕らに言った。

「もしかしたら弟から聞いてるのかも知れないけど、あいつには僕以上に『兄』と慕っていた男がいてさ。」

・・・首都高で亡くなった『兄ちゃん』の事に違いなかった。

「弟が物心ついた頃には、俺はもう中学生くらいだったからね。一緒に遊んだりなんて事はほとんど無かったんだ。
その代わり、ウチの隣に弟の一つ年上の子がいてね。弟はずっとその子について歩いてたもんだよ。」

お兄さんは昔を懐かしむように少し笑ってそう言った。鈴木さんとあまり似ていないと思ったその横顔は、目尻の笑い顔がドキリとするくらい良く似ていた・・・。

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107 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/08(日) 22:29:31 ID:lpzMIdNy
「その子もね、バイク事故で死んだんだ。弟の目の前でだったそうだよ・・・。
あの頃のあいつの気の落としようといったら、見ていられなかったよ。
・・・僕は年の離れた、ろくにあいつとまともに向き合った事も無かったダメな兄でね・・・。
そんなあいつに気の効いた言葉の一つすらかけてやれなかったんだな・・・。」

お兄さんは、自嘲気味に小さく溜息をついた。

「・・・バイクは嫌いさ・・・。・・・いや、申し訳ない。君たちの事を悪く言うつもりは無いんだ。・・・ただ、ね・・・。弟から大切な人を奪い、僕から弟を奪い、今度はアナゴ君に弟と全く同じ辛い思いをさせてしまったバイクという乗り物がどうしても・・・ね。」

普段であれば、バイクを悪く言われると決して心地よいものでは無いが、この時ばかりは何も言い返すような言葉が見つからなかった。
むしろ、正体不明の罪悪感が僕の胸を襲った・・・。
よく聞けば、ゆっくりと語る鈴木さんのお兄さんの声もまた鈴木さんによく似ていた・・・。
その声で、「バイクは嫌いさ」と言われた事がなんだかとても辛かった・・・。

それっきり、鈴木さんのお兄さんは口を開くことは無かった。
粛々と葬儀を進行しているように見えた彼の、弟の死への真意が垣間見えたような気がした・・・。車は程なくして寺に到着した。


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108 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/08(日) 22:31:27 ID:lpzMIdNy
通夜が始まった。僕らは、慌しく通夜の準備が進む会場後方の片隅でおとなしく座っているしかなかった・・・。
事故現場に居あわせた「バイク仲間」がでしゃばる雰囲気ではなかった。
タカ子さんは、鈴木さんの自宅の時と同様に、言い知れぬ哀しげな瞳を湛えながらも凛とした姿で静かに座っていた・・・。

自宅以上に訪れたたくさんの弔問客の数が、鈴木さんの人柄を物語っていた。多くの参列者は鈴木さんと同年代の若い年代だった。
おそらくは、学生時代の同級生なのだろう。誰もが涙で目を腫らしながら鈴木さんの爽やかな笑顔の遺影に手を合わせた・・・。
読経が済み、通夜振る舞いが始まると会場は小さな同窓会の様相を呈していた。会場の数箇所に、小中高それぞれの時代の鈴木さんの同級生の輪が出来ていた。
彼らは、小声だがそれでも鈴木さんが死に至った事故について語っているであろうことは断片的に聞こえてきた。

「バイクで・・・」

「そうバイク バイク・・・」

「トラックに・・・」

「危ないよねぇ・・・」

「一人で?」

そんな彼らの言葉の一つ一つが、僕の心を強烈に締め付けた。決してそうではない事は解かっているのに、それでも鈴木さんを死に至らしめた原因の一端が自分にあるように思え、それらの言葉は僕の心を追いつめる。
おそらくアナゴ君も・・・、いや、当日一緒に走り、現場に居合わせた彼にとっては、僕以上にそれらの言葉は心に重く突き刺さっていただろう・・・。
そして、アナゴ君は手付かずの膳を前にその場を立った。

「・・・アナゴ君・・・」

「ん?便所さ・・・。」

事故後、初めてアナゴ君の笑顔を見た。そしてそのアナゴ君の笑顔は、これまで僕が見たことが無い、ゾッとするほど精気が抜けたものだった。目は相変わらず真っ赤だった。


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109 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/08(日) 22:32:43 ID:lpzMIdNy
アナゴ君はしばらく戻って来なかった。僕は心配になり、探しに行こうと立ちかけた時、傍らに初老の男性が座り、丁寧に礼をしてきた。

「フグタさんですね?この度は、遠くから足を運んで頂きましてありがとうございます。」

鈴木さんのお父さんだった。
若かった僕は、こんな時に返す言葉を知らなかった。あまつさえ、鈴木さんの死の原因の一端を担っているような罪悪感に苛まれていた為、僕はもうただ頭を下げ返すほか無かった・・・。

「あの遺影、ツーリングの時のものなんですよ。」

お父さんが、祭壇の遺影に目をやりながら言った。

「息子の死んだ原因がオートバイですから、そのオートバイに乗っている時の写真を遺影にするのは少し気が引けたんですがね・・・。
手元にある写真を見返してみても、オートバイに乗っている時が一番いい顔をしているんです。」

晴天下で絞りを随分と開放して撮った写真らしく、鈴木さんの顔意外の背景はボケている。
しかし、そう言われてみると、鈴木さんの背後に写っている白と赤の構造物はCB1100Rの一部分に間違いなかった。

「どの写真を見てもオートバイに乗っている時が一番活き活きした顔をしているんです。こんな時だって言うのに、見ているこっちが思わず笑顔になってしまうようなね・・・。」

僕は黙って聞いていた。聞きながら、鈴木さんの何度も見た笑顔が僕の脳裏を駆け巡っていた。


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110 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/08(日) 22:34:13 ID:lpzMIdNy
「ひとつお聞きしたいのですが・・・。」

鈴木さんのお父さんは、僕のほうに向き直って言った。

「・・・息子は・・・あの子はオートバイに乗っている時、幸せそうだったでしょうか?」

言い知れぬ罪悪感に支配されていたその時の僕でも、その問いに対しては自信を持って答える事が出来た・・・。

「・・・はい。」

やはり鈴木さんに良く似た笑い皺を目尻に作りながら、鈴木さんのお父さんは言った。

「ありがとうございます。少しだけ救われたような気がします・・・。」

それ以上、僕は何も言う事が出来なかった・・・。その一日だけで僕はたくさんの人達の哀しみに染まった顔を見てしまった・・・。
そんな人達を前に僕は言葉を失い立ち尽くす事しか出来なかった・・・。

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169 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/19(木) 00:30:45 ID:zg5vJOkp
【SCENE113】
鈴木さんは、純白の入道雲が眩しい、突き抜けるような夏の青空に昇っていった・・・。
地上にたくさんの嘆きと悲しみ、そして少しの骨片を残し、鈴木さんは僕達の前から姿を消した・・・。


火葬に先立つ告別式の際、焼香の列にひときわ参列者の目を引く長身の外国人が居た。レッドだった。
事故や葬儀場をどこで聞きつけてきたのか・・・。とにかく彼はここに現れた。敬虔なクリスチャンだった彼が仏式で手を合わせることは無かったが、祭壇を前に右手を胸にあて鈴木さんと最後の別れをしていた・・・。
黒いスーツ姿の外国人と鈴木さんの関係を知る由も無い他の参列者の視線を尻目に、会場後方に座っていた僕らに一瞬目を向けると、軽く敬礼のような仕草をして彼は立ち去って行った・・・。

火葬場で、僕は鈴木さんの手の指と思われる骨を拾った。大きく力強かった鈴木さんの手・・・。
どうしても目の前の白く小さな骨の破片とのイメージが重ならなかった・・・。骨箸で拾った細く小さな指の骨は、箸先で脆く崩れた・・・。
そして、ついに僕は一連の鈴木さんの葬儀の中で、鈴木さんの死に対しての現実感を得る事が出来なかったのだった・・・。

鈴木さんが死んでから葬儀が終わるまでは、まるで熱病にうなされながら見る夢のように、現実感に乏しく、そして心地悪い時間が流れていた・・・。鈴木さんの死に対して、脳がまるで正常な段取りで消化できていなかった。
だから、東京に戻れば鈴木さんが待っているような気がしたし、第三京浜に行けばCB1100Rと競い合えるような気がした・・・。

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170 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/19(木) 00:32:21 ID:zg5vJOkp
骨箱に鈴木さんの残骸が納められた時、呆けて火葬台を眺めていた僕は我に返った。そして、アナゴ君が居ない事に気が付いた。

寺に戻ってもアナゴ君は居なかった。・・・いつから居なかっただろう・・・。火葬場に行ったのは覚えている。拾骨の時は・・・どうだったろうか。
ひとしきり、探したがアナゴ君の姿は無かった。もうここには居ないだろう。おそらく東京へ向かったのだ・・・。

アナゴ君が心配になった僕は、鈴木さんの遺影に手を合わせ、鈴木さんのお兄さんに挨拶をし寺を後にした。
10mほど歩いたところでたった今、別れを告げたばかりの鈴木さんのお兄さんに背後から呼び止められた。

「おい!フグタ君!」

「はい。」

「・・・バイク・・・気をつけろよ。アナゴ君にもそう言っておいてくれな・・・。」

鈴木さんに良く似た笑い皺を目尻に作りながら、鈴木さんにそっくりな声でお兄さんはそう言った・・・。

アナゴ君が心配だった。葬儀への参列という「すべき事」が終わった今、僕らがすることは何も無い。
そうすると、ぽっかりと開いた心の穴から、自責や後悔の念という負の思考が際限なく湧き出してくる・・・。アナゴ君はなおさらだろう・・・。
今、アナゴ君を一人にしてはおけない・・・。僕はタクシーで駅に向かい、迷わず上越新幹線のチケットを買った。


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171 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/19(木) 00:34:03 ID:zg5vJOkp
一人、200km/hで流れる景色を眺めながら、鈴木さんを想う・・・。思い返してみれば、脳裏に浮かぶ鈴木さんの顔は、全て笑顔だった・・・。
あの晩、僕がレポートに時間を割かれず二人に同行していたら・・・きっと様々なタイミングがずれて事故は回避できたのではないだろうか・・・。
だとしたら、学生の分別をわきまえず、学業をおろそかにしレポート課題を受けてしまった僕のせいだ・・・。
・・・いや、そもそも僕達と鈴木さんが出会わなければ、鈴木さんは死なずに済んだのだ・・・。僕達が鈴木さんの前に姿を現してさえいなければ今頃、鈴木さんは東京の会社で何事も無く働いているだろう・・・。

僕達が鈴木さんと出会ったのは、北海道だった・・・。夕刻に、ガス欠で路肩をバイクを押して歩く鈴木さんに会ったのが最初だったな・・・。
あの日は僕が転倒して大幅に予定が狂ったんだっけ・・・。
・・・あぁ、そうか・・・。僕がヨンフォアで不用意な運転をしたが為に転倒を喫し、その結果、鈴木さんと出会う運命が訪れたんだ・・・。
僕じゃないか。鈴木さんが死んだ原因を作ったのは、僕じゃないか・・・。たくさんの人に悲しみを与え、未来ある若き好青年の命を奪った根本的な原因を作ったのは・・・なんだ・・・僕じゃないか・・・。

鈴木さんの命を奪った直接の原因は、信号を無視して交差点に突入した四輪車にあるのは明白である。
・・・しかし、この時の僕にそんな理性的な判断をする頭の余裕は無かった・・・。
葬儀の際に芽生えた自らがバイク乗りであることに対する自責の念は、疲れ果てた僕の心の中で大きく膨らみ、鈴木さんの死の原因を全て自らの責任に転化する負の思考のループに陥っていた・・・。
おそらくは、当時のアナゴ君もそうであったであろう事は想像に難くない。
そして、僕は車掌に促され初めて列車が東京に到着していた事に気がついた・・・。

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172 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/19(木) 00:39:23 ID:/6H2jfU2
僕は駆け足でアナゴ君のアパートへ向かった。
都会の猛暑と暑苦しい喪服の取り合わせは、僕の全身から大量の発汗を促したが、僕はそんな事に目もくれず駅の構内を走り、電車を乗り継いだ。
アナゴ君のアパートに着いたときは、Yシャツはもうそれ以上の汗を吸い込む事が出来なくなっていた。夕暮れの紫色の空が、今まで見たどんな夕焼けよりも哀しく見えた・・・。

アナゴ君の部屋をノックした。応答は無い。鍵は掛かっていなかった。ドアを開けると、喪服の上だけが乱雑に脱ぎ捨てられていた。
だが、彼は部屋に居なかった。・・・戻って来てはいるようだが、しかし・・・何処へ?もしや、と駐輪場に目をやるが、カタナはそこにあった。

・・・僕は一箇所だけ心当たりがあった・・・。確証は無かった。だが、何故か確信を持ってアナゴ君はそこに居ると思えた。

そして、僕は鮒田食堂に向かって歩き始めた。


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244 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:45:42 ID:VomZ1r0S
【SCENE114】
息を切らし辿り着いた鮒田食堂。もう開店していても良い時間だったが、まだ「準備中」の札が掛けられていた。
店の引き戸に手を伸ばした時、ほんの一週間ほど前にここで鈴木さんと食事をした記憶が蘇った。
今日、骨になったばかりの鈴木さんがここに居るような奇妙な錯覚に捉われ、そしてもちろん当然の事ながらこの引き戸の向こうに鈴木さんが居ない事は解かっていても、その残酷な事実を改めて目の当たりにするのが怖くて、取っ手に掛けた右手が瞬間、躊躇した。
立て付けの悪い引き戸を開けると、やはりアナゴ君は居た・・・。

三つあるテーブル席の一番奥。僕らの指定席、そして一週間前に鈴木さんと晩飯を食べたそのテーブルに、アナゴ君は居た。
テーブルに顔をうずめ突っ伏しているアナゴ君の肩に鮒田食堂のお母さんが手を置いていた。
カウンター席の向こう側、厨房のオヤジは、僕の方に顔を向けるといつもの陽気な顔とは正反対の表情で何も言わずに頭を左右に振った。

「・・・探したよアナゴ君。・・・きっと、ここだと思ったんだ。」

僕はアナゴ君の傍らに歩み寄った。お母さんは目頭を押さえながら僕と入れ替わるように静かに厨房へ戻っていった。
傍らに立ったままの僕にアナゴ君はそのままの姿勢で言った。

「・・・なぁ、フグタ君・・・」

僕は黙って彼の次の言葉を待った。アナゴ君は、ゆっくりと吐き出すように言った。


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245 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:47:10 ID:VomZ1r0S
「たった・・・四日前だぜ・・・。ここで鈴木さんと飯を食ったの・・・。君が来れなかった日さ・・・。」

「ここで地図を広げて北海道の話してさ。俺はラーメンと餃子で、そう・・・鈴木さんは生姜焼き定食だったなぁ・・・。
鈴木さんさ、それ美味そうだなぁって言って俺の餃子を一つかっぱらったんだ・・・」

「たった四日前だぜ・・・たった・・・。それが、今日はもう骨・・・に・・・。」

その語尾はほとんど声にならないほどの小さく消えていった。

「・・・アナゴ君・・・」

その重い呟きに耐え切れなかったのか、鮒田のオヤジは聞こえない振りをして仕込みの準備を始めた。
キャベツを千切りにするトントンという音が狭く静かな店内に響き渡る。
アナゴ君はゆっくりと頭を上げた。涙こそ流していなかったが、その目は真っ赤に充血していた。

「なぁ、フグタ君。鈴木さんと初めて会った北海道で鈴木さんが言ったこと、覚えてるか?」

「・・・どのことだい?」

「鈴木さん、どうして俺達はバイクじゃなきゃ駄目なんだろう・・・って言ってたんだ。どうしてこの乗り物に夢中になっちまうのか、って・・・」

「・・・」

「・・・どうかしてると思うよ、自分でも・・・。鈴木さんが死んでも・・・バイクから離れられないと思っている俺が居るんだ・・・。
・・・フグタ君はどうなんだ?君はこのまま降りられるか?」


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246 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:48:17 ID:VomZ1r0S
僕は少し考えてから、首を横に振った・・・。

「鈴木さんだって、幼馴染の兄ちゃんが死んでも降りなかった・・・。いや、降りられなかったんだ・・・。どうしてだろうな・・・。
おかしいよな。どうして俺達はそうまでしてバイクに乗り続けるんだ?」

バイクの魅力を説明する為に語り尽くされたような言葉は数多いが、アナゴ君の問いに対しての適切な答えとしてはそのどれもが適当でないように思えた。

「・・・俺達にとって、バイクって何なんだろうな・・・。」

ガタタンガタタンと、電車がガードを通過する音が鳴り響いた。僕はその問いに答えられずただ立ち尽くすだけだった・・・。

唯一つ、解かっている事・・・。それは、僕はバイクから離れられないということ・・・。
鈴木さんを失ってもなお、我が身を魔の世界へ誘う鉄のマシンに対する欲望が消えていないと言う事・・・。

あぁ、そうか・・・。死神は200km/hで駆け抜けるコーナーの先に居るのではない。自らが跨ぎ、操るその二輪の機械にこそ宿っているのかもしれない・・・。
バイクは、僕達を何処に連れて行こうというのだろうか?

「バイクって何だろうな」
鈴木さん、そしてアナゴ君の問い掛けは、僕の心の中で無限地獄のように答えの無い漆黒のループとなってゆっくりと
駆け巡っていた・・・。


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247 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:50:31 ID:VomZ1r0S
その後、鮒田のオヤジは無言で佇む僕達に食事の代わりにビールを勧め、食堂のテレビで巨人戦を流し始めた。
僕は、「こんな時に」と思ったのだが野球放送の実況と応援歌で騒がしくなった店内で、勧められるままアナゴ君はジョッキで2杯ほど飲むとそのままテーブルで眠ってしまった。
決してアナゴ君にとっては多くない酒量だったが、鈴木さんの事故後ほとんど眠っておらず疲れていたのだろう・・・。
打席のクロマティをいつものおちゃらけた様子で応援している鮒田のオヤジさんも、このような時の人への接し方を弁えており、さすがは年長者といったところだった・・・。

「アナゴの兄ちゃんは今晩はここで寝かせていきな」

オヤジと二人で僕はアナゴ君を厨房の奥の鮒田家の居間に運んだ。
僕も泊まっていく事を勧められたが、駅裏の細い路地の小さな自宅兼食堂である鮒田食堂に僕まで厄介になるわけには行かないと思い、アナゴ君を預けて僕は店を出た。

酔いつぶれたアナゴ君に対して、酔えなかった僕はあても無く歩き始めた・・・。アパートには戻りたくなかった。
一人になると、鈴木さんの死の原因について自責の念に押し潰されそうで怖かった・・・。気がつくと僕は再び駅に来ていた。

午後九時前、僕はイナダモータースの前にいた。店のシャッターはまだ開いていた。奥の作業場に人の気配があった。


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248 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:51:31 ID:VomZ1r0S
「・・・よう!フグタの兄ちゃんじゃねぇか。」

店に突然現れた喪服姿の僕に、流石のイナダのオヤジさんも少し面食らったようだった。
しかし、オヤジさんもまた鮒田のオヤジと同じように僕を慮ってくれ、どうしたんだ?とは聞いてこなかった。

「・・・で、しっかり見送ってきたかい?」

オヤジさんは目の前のGSの作業を続けながら聞いてきた。僕は無言で頷いた。

「悪かったなぁ、葬式に行かなくてよ。・・・でもよ、まぁいつもの事なんだ。許しとくれや・・・。」

オヤジさんは、箱からボルトを手の感触だけで選びながら言った。

「・・・この仕事やってるとよ、こういうこと・・・お客さんが事故で逝っちまうっていうのは一回や二回じゃねぇんだ・・・。
でもよ、俺ぁ一回もバイクで死んじまったお客さんの葬式に出たことは無ぇんだよ・・・。」

強面のオヤジさんが、こんなに寂しそうな顔をしているのは始めて見た。

「いや、出た事が無ぇってよりも出られないって方が正しいな。・・・とてもじゃねぇけどよ・・・嘆き悲しむ家族の前に、そのバイクを売った者として顔を出せなくてな・・・。
メカは自信を持って出してるつもりだがよ・・・、そういう理屈じゃなくてな・・・。」

車両に組みつけようとしたボルトが、珍しくオヤジさんの手からこぼれて床を転がった。
オヤジさんもまた、バイクに関わるものとして死んでいった人たちとその家族に対して、得体の知れない罪悪感に押し潰されそうになっている一人に違いなかった。
しばらく僕は何も言わず、やはり無言のまま作業を続けるオヤジさんを見ていた。


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249 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:53:27 ID:VomZ1r0S
そのうち、作業場の奥の扉の向こう側、バイク倉庫を僕は気にしだした。
何故かそこから、嫌な気配が漂っているような気がした・・・。僕は思わずオヤジさんに聞いていた。
「オヤジさん・・・そっちの倉庫には・・・」

「ん?・・・あぁ・・・いや、見ねぇほうがいい・・・」

「・・・あるんですね?」

「・・・。」

「・・・見せて下さい・・・お願いします・・・。じゃないと僕、まだ鈴木さんが生きているような気がしてしまって・・・」

「・・・バイクの形、してねぇぞ・・・」

オヤジさんは顎でしゃくって僕を倉庫へ促した。僕は恐る恐る扉へ近づき、そしてその向こうを見た。
暗くて良くわからなかった。しかし、たくさんの直立したバイクの中にひとつだけ床に寝転がるような塊があるのは解かった。
オヤジさんが壁のスイッチを押して灯りをつけてくれた。・・・そこに、鈴木さんの相棒の変わり果てた姿があった。


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250 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2007/04/29(日) 00:55:00 ID:VomZ1r0S
見るも無残なその残骸は、元があの美しいCB1100Rとはにわかに信じ難い姿と化していた。
フレームは曲がりあるいはちぎれ、フロントフォークは折れ、タンクは一枚の板のように潰れていた・・・。
ホイールはタイヤとともに曲がり、カウルはもはや数え切れないほどの破片に分断されていた・・・。

高速交通機動隊に追われた僕を救い、僕やアナゴ君と共に米兵達と戦い、北は北海道 南は鈴鹿サーキットまで各所を僕達と共に走り、第三京浜を数々の羨望の眼差しを受け駆け抜けたホンダ最強の空冷CBは、僕の眼前で二度と走る事の叶わない鉄とアルミとプラスチックの塊と化していた・・・。
マシンサイドの真っ赤な「R」の一文字だけが、かろうじて自らの以前の姿を寂しく主張しているようだった・・・。

僕は震えていた・・・。もはや戻る事の出来ない輝ける時の残骸の前に立ち尽くしていた・・・。そして悟った・・・。


鈴木さんは、本当に死んだのだ・・・と。


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