僕は、毎週の小さな楽しみだった今晩放送の中島みゆきのオールナイトニッポンにやや後ろ髪をひかれつつ、さてと、と呟き意を決してバッグを片手に、狭い部屋を後にした。
初めてヨンフォアのタンデムシートにツーリングネットで荷をくくりつける。
前後に力を掛けた時のずれ動きが気に喰わず3度もやりなおした挙句、納得のいくシッカリ感でくくりつけられた僕のバッグはシートに巻きつくように変形していた。
ヨンフォアのエンジンに火を入れると、これから少なくとも十数日間はお世話になる愛車に声に出して頼むよ、と言った。
雨はすでにあがっていた。昼間の灼熱地獄がウソの様だった。
しっとりと湿った路面のお陰か、気持ちのよい夜の涼しさの中を駅に向かう。
駅前の小さなロータリーの片隅に、やはり荷物満載のカタナと煙草を吹かすアナゴ君の姿があった。
-------------------------------------------------
523 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/18(土) 01:07:54 ID:xCftnfQw
「待たせたね。準備万端だよ。さぁ、行こうか!」
カタナの後ろにヨンフォアを停めた僕は、エンジンも切らず、ヘルメットも脱がずこう言った。
出発が待ちきれ無かったのだ。
逸る気持ちを抑えきれない僕を見て、アナゴ君は呆れたように笑顔を浮かべると少しおどけて
「了解〜!」
と敬礼ポーズをしながら応えた。早速、僕達は日本橋の国道4号線起点へと向かった。
午後10時半の東京日本橋はまだ眠るには早い時間であり、多くのサラリーマンやお洒落な格好をしたカップル達が歩いていた。
そんな場所に不釣合いな二人のライダーは、人目もはばからず国道4号起点となる標識の下で記念撮影をした。
僕が上京した時の荷物の中で、唯一「大切なもの」という認識を持っていた父の形見のニコン。
アナゴ君が道行くサラリーマンを捕まえシャッターを押させた。
後に現像されたこの写真。二人の若者の目は輝いていた。
そう・・・僕達は、まだサラリーマンでは無かった・・・。
輝ける生命力と未来と青臭さを兼ね備えた「若者」だった。
日本橋で目的を遂げると、遂に僕達は総行程700km以上にも及ぶ国道4号線走破の難業に立ち向かうのだった。
聖地巡礼の旅は、そこに赴くまでの道程に待ち受ける困苦を越えて行くことにこそ意味があり、だからこそ聖地は聖地足り得るのである。
古くは天竺に向かった玄奘三蔵、イスラム教徒のメッカ巡礼、日本でも四国八十八ヶ所巡りの遍路等が有名であるが、この国に住むライダーにとってはそれが北海道へと向かう道程なのかも知れない・・・。
・・・聖地へと伸びる国道4号線の旅は、想像以上に僕にとって困難な道程であった・・・。
-------------------------------------------------
525 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/18(土) 02:07:37 ID:xCftnfQw
一向に眠る気配の無い不夜城東京を、喘ぐようにすり抜けを繰り返し脱出する僕とアナゴ君。
暗くない夜空がバックミラーを介してまだ確認できる春日部を抜け出す頃には、すり抜けの回数も減っていた。
夜の国道4号線は一般車両の台数が大幅に減る分交通の流れは良いのだが、その流れの良さを利用して高速料金を節約しようという、トラックが多くライディングはそれなりの緊張を強いられた。
宇都宮で最初の休憩を取った。東京からおよそ100km。
日付が変わっていた。まだ疲れなど無かった。
そのまま郡山・・福島・・・と順調に距離を伸ばした。
当時、それほど多くなかった夜間営業のガソリンスタンドを見かけるたび、余裕を持った給油を心がけた。
車も少なくなり、前後にもそして交差する道路にも一台も車のいない深夜の赤信号ストップは、早朝の心地よさとも異なった不気味な静けさに包まれていた。
遥か先に明滅する歩行者のいない横断歩道信号の緑色が寂しげだった。
赤信号の度に僕とアナゴ君は短い会話を交わした。
・・・若さにまかせた根拠の無い自らの体力への自信が揺らいだのは、仙台付近である。
急激に両肩付近の筋肉が重くなり、腰が痛くなってきた。
腰に左腕をあてがったり、肩を回す仕草が多くなってきた僕を見かねたのだろうか。
アナゴ君は一関付近で長めの休憩を取ってくれた。
シャッターの下りた商店の自動販売機前で二人で缶コーヒーを飲みながら、静けさと地図上の距離と今まで走ってきた時間と僕が知っている8月の空気より遥かに肌寒い気温で、既にもの凄く遠いところまでやってきたのだという実感が湧いてきた・・・。
あと一時間もしないうちに夜が明けるだろう。まだまだ走らなければならない・・・。
僕は少し体力に不安を感じ始めていた・・・。そしてその予感どおり、辛いのはここからだった・・・。
それにしても・・・。地面に両足を投げ出して座り、疲労を隠せないでいる僕の隣で、ツラッとした顔をして函館に着いたらイカを喰おう、などと言っているこの男・・・。バケモノか・・・?
-------------------------------------------------
543 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/18(土) 19:18:28 ID:PBdAJ/qu
【SCENE17】
正直なところ、僕はこの国の広さを舐めきっていた。
教科書で見る、比較対照が「世界」の地図の中では、日本という国は塵のように小さな存在であり、そんな小さな国土の中で一喜一憂している他人を傍観しては、なんてせせこましいなどと悟ったような顔をしていたのかも知れない。
それもこれも無経験と、それからくる想像力の欠落が原因だった。
だが、極東の島国は、想像していた以上に広かった・・・。
しかも、なにも日本を縦断しようとしているわけではない。
たかだかこの国の四分の一弱程度の距離を移動しようとしていただけなのだ。
そのうえ、その途上でこのありさま・・・。
それでも、今思えば実体験として自らの住まう国の広さを感じる事が出来たのは、良い経験だったのかも知れない。
僕は相当にくたびれていた。
左右の尾てい骨も、腰も、背筋も、肩も、首も・・・
凝り固まったり痛みが襲ってきたりで、限界に達していた。
姿勢をずらしたり、走りながら軽くストレッチをしたりもしたが、その場しのぎでしか無かった。
アナゴ君だけは、東京を元気にすり抜けしている時と違わぬフォームで走っていた・・・。
盛岡のあたりで、空が白けて来たことに気がついた。もうすぐ夜明けだ。
実はここから先青森までは、国道282号線に進路を切り替え、十和田湖の西を抜けるルートの方が近いのだが、当初の予定では4号線を青森まで走破する目的を立てていた為、近いルートに変更するかい?と聞いてきたアナゴ君にも全然大丈夫だ、と大見得を切った。
もはやそんな意地だけが僕の走る原動力だった。
これまでは少しでも辛いとすぐに諦めていた僕だったが、ことバイクの事に関しては、諦めたり弱音を吐いたりする事だけは自分の中で許せなかった。
-------------------------------------------------
544 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/18(土) 19:19:13 ID:PBdAJ/qu
前を走るアナゴ君が、あれを見ろと指を指す。岩手山だ。
完全に太陽は昇っておらず地上はまだ薄暗かったが、左手に見える岩手山山頂には一足先に太陽の光が当たっていた。
信仰の対象となる程の美しさを持つ岩手山。その山頂が東から浅い角度であたる朝日を浴びてキラキラと輝き、さらにその美しさを増していた。
ほどなくしてゆらゆらとオレンジ色に燃える太陽が東から姿を現す。そうだ。僕は朝日を見るのは初めてだった・・・。
朝日は夕陽よりも色が濃いように思えた。
バイクに乗っていなければ見ることが無かったであろう風景・・・。
そんな、風景の移り変わりが僕の疲れを一時忘れさせ、唯一の走る原動力となっていた。
太陽は完全に昇り、漆黒の闇をひたすら走ってきた夜が明けた。
僕はすでにバイクの上で体を動かす事すら辛かった。
遂にアナゴ君も肩を回し始め、彼にも疲労が襲ってきたことが見て取れた。
計画の無謀さや、ショートカットルートを選択しなかった事に後悔の念を感じ始めていた頃、僕達は白字で『青森県』と書かれた四角く青い標識を通過した・・・。もうすぐ・・・もうすぐだ・・・。
-------------------------------------------------
556 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/19(日) 00:25:38 ID:ZmxhGHI7
【SCENE18】
不思議な感覚だった・・・。疲労がピークを越えた時、それまで感じていた体の各部の痛みや辛さが消えて
いくのを感じた。
いや、消えて行ったのではない。感じてはいるのだがそれに支配されていないと言ったほうが正確だろうか・・・。
休憩も欲しない。いや、 止まりたくないと言ったほうが良いだろう。
視野は極端に狭くなり、進む先一点のみに集中している。
疲労で拡散していた意識は、逆に非常に細く集中し、周囲の何物とも隔絶された一本のピアノ線の上を走るような感覚だった。
ライダーズ・ハイとでも言おうか・・・。
その時の僕自身は、格段にコンセントレーションが高まっているような錯覚に支配されていたが、それはあらゆる意味で非常に危険な状況下に身を置いていることに違い無かった。
すでにどこをどう走っているのかも認識していないし覚えてもいなかった。
我に返ったのは眼前に海が広がった時だった。
危険な感覚に支配されたまま走り続けた僕は、気がつくと下北半島の付け根に居た。
リスクの高いこの状況下で、何事も無くここまで来れたのは幸運だった。
この野辺地という小さな寂れた漁師町は、青森市の東方約30km程に位置しており、僕らの国道4号走破大作戦も最終段階に入っていた。
再びやってきた疲労をなだめながらも、内海の穏やかな水面や北国の旅情を感じさせる朽ち果てた漁番屋を眺めながら進む、早朝のさいはての地は心地よかった。
海へと落ち込む断崖の岩肌をくり貫いたような迫力ある道を過ぎると、前方に青森の市街地が見えてきた。
それを確認したアナゴ君は振り返ると僕に向かって左手の親指を突き立てた。
既に、通勤ラッシュが始まりかけていた時間だった。
・・・走った・・・。とにかく走った・・・。そして、走り遂げた・・・。
昨晩まで東京に居た僕らは、今、青森に居る。
僕らは青函連絡船ターミナルのベンチに転がり込むように倒れこんだ。二人とも引きつった笑顔だった。
カモメの声が聞こえた・・・。遠くで霧笛が鳴っていた・・・。
-------------------------------------------------
558 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/19(日) 01:02:19 ID:ZmxhGHI7
「いや参った、参った。まさか、こんなにくたびれるとはね〜」
アナゴ君はそう言いながら、ハイライトに火を点けた。
深い息で白い煙を吹き出すと、僕の方に煙草の箱を向けてきた。
僕はアナゴ君からもらった生まれて初めての煙草を吸った。
むせ返ったが、青森到達を成し遂げたのと相まって、少しだけ大人になれたような気がして気分は爽快だった。
一服してふとあたりを見回すと、たくさんのバイクとライダー達が、北への渡航を今か今かと待ち構えて
いる光景が目に入ってきた。
まだ免許取立ての僕にとって、これだけのバイクとライダーが揃っているのは見た事が無かったし、
彼らは皆、歴戦のツワモノに思えた。その光景は出陣をまつ騎馬武者の軍団のようだった。
函館までのチケットを買った直後、ろくに体を休める間もなく、移動が始まった。自走による連絡船内へのバイクの格納である。
道路以外の場所にバイクを乗り入れるのは始めての体験だった。
滑りやすそうな鉄のタラップや床にペイントの施された船内に、緊張しながらバイクを乗り入れる。
僕とアナゴ君は、甲板で出港を待った。
短く霧笛が鳴り、船は離岸を開始した。
船が港を離れると、安堵感ともう誰も僕達を止められないという思いが湧き上がり、北海道への期待はいやがうえにも最高潮に高まっていた。
夏の潮風が心地よかった。連絡船の白い航跡が、国道4号線をひた走ってきた僕らの道程のなごりのように海の上に真っ直ぐと伸び、消えていく。
ふと、耳に『津軽海峡冬景色』が聞こえてきた・・・。
冬を題材にした曲であるが、8月の今でも最果ての地から本州をあとにする僕の心情に少なからず染み入り、旅の気分をさらに盛り上げた。
・・・歌っているのがダミ声のアナゴ君でなければ、もっと感動できたのであろうが・・・。
僕達は今、海を越える。
-------------------------------------------------
561 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/19(日) 17:09:46 ID:AVuDpdNW
【SCENE19】
青函連絡船摩周丸の二等船室で、会話の随所に『イカ』という言葉をちりばめ食欲に燃えていたアナゴ君も、僕が用を足しに立った3分あまりの間に豪快なイビキを立てて完全に熟睡していた。
750ccの巨躯を軽々と操りステップをアスファルトに擦り付けコーナーを抜け、僕なんかよりも遥かに平気な顔をして青森まで走りきる男も、やはり疲れていたようだ。
僕は、彼もまた人の子であることに妙な安心感と親近感を覚えながら、やはり体を横たえた。4時間弱の船旅。
ライディングで張り詰めた気持ちが緩んだのか襲ってきた睡魔に、僕は身を委ねることにした。
「おい、キミ達。起きろ〜。もうすぐ着くぞ!」
見知らぬ男二人に、僕は起こされた。いでたちからして彼らもまた学生ライダーのようだ。
僕が起きた事を確認し、彼らは立ち去る。
船はまだ動いているようだが、他の乗客も下船の準備をしていた。
未だ深い眠りにつくアナゴ君を起こすには少々手間取ったが、僕らも急いで身支度しバイクの元へ向かった。
貨物室は異様な雰囲気に包まれていた。
ライダー達は皆、そわそわしているようだった。
一様に言葉少なだったがゲートの開くのを待つ競走馬のように待ちきれない雰囲気が伝わってくる。
僕もまた、期待に胸が震えた。
イカの事ばかり話していたアナゴ君も、既にヘルメットを被っている。
バイザーの隙間から覗くその垂れ目は、やはり僕と同じように少し真剣な眼差しになっている。
接岸したのだろうか。小さなショックを感じた少しのち、ハッチが開き始めると、誰かが回したセルモーターの音を合図に、旅人達それぞれの愛馬が一斉に雄叫びを上げ始める。
その光景は壮観だった。自分もその中の一人であることが嬉しかった。
薄暗い貨物室から意気揚々と地上に降り立つヨンフォア。
僕の視界は一瞬ホワイトアウトした。快晴だった。
僕は遂に北海道の地に降り立った。
・・・正午を少し過ぎていた。北海道の空は、関東のそれよりも深い青を湛え、僕達を出迎えてくれた。
-------------------------------------------------
562 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/19(日) 17:56:28 ID:AVuDpdNW
うるさいアナゴ君を黙らせる為、早速函館の市場近くの店でイカを食す。驚いた。
イカは本当は透明であることを知った。
そしてその味は、これまで僕の食べていた白いイカはイカではなく、『元はイカだった何か』である事を知った。アナゴ君がイカイカうるさいのも理解できた。
腹を膨らませた後、僕達は4号線を走りつめた体を休ませる為、今日は休息日とすることにした。
疲れた体で走っても楽しさが半減しそうだったからだ。
函館ですこしゆっくりした後、僕達は函館にほど近い大沼キャンプ場にテントを張った。
晩飯はカップラーメン。そして一本の缶ビール。
本州で感じた夕暮れの蒸し暑さは北海道には無かった。
優しい風と本州よりも何倍も美しい夕焼けが、疲れた僕らを癒してくれた。
コッヘルの湯を沸かすストーブの炎を眺めながら、僕達は星の輝き始めた暮れ行く空のもとで語り合った。
思えばキャンプをするのは始めての体験だった。
仰向けに転がると、満天の星空が広がっていた。
圧迫されそうなほどの星の数。こんなに星を見るのは初めてだった・・・。
夜も更け、お互いのテントに入り眠りに着く事にした。
僕はリサイクル店で購入した古びたテントの天井を見つめて物思いに耽っていた・・・。
・・・イヤというほどバイクで走ったり、青函連絡船に乗ったり、新鮮な本物のイカを知ったり、初めてキャンプをしたり、無限とも思える星空に身を委ねたり・・・。
バイクとアナゴ君に出会ってからというもの、たった2ヶ月ほどの間に『初めて』の事をたくさん経験した・・・。
明日はどんな『初めて』が僕を待ち受けているのだろうか・・・。
これまで目的無く、ネガティブに生きてきた20年の時間が、既に遠い昔の事の様に思えた・・・。
そんな事を考えつつ、いつしか僕は眠りについていた。
いつだってバイクは僕にとって喜びと快感を与えてくれる存在だったが、思えばこの時期がもっとも『初めて』の刺激に胸を高鳴らせていた時期だったかもしれない・・・。
バイクに乗りたてのあの頃が、もっとも色濃く思い出に残る宝石のような時間だったのかも知れない・・・。
あなたも、そうではなかったろうか?
-------------------------------------------------
578 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/21(火) 00:00:31 ID:TeHaPVR3
【SCENE20】
北海道上陸二日目。内浦湾岸を走る僕は、違和感にとらわれていた。
確かに、車は少ないし道路も走りやすい。景色だってそこそこ良い。
しかし、快適なシーサイドラインであるが、進行方向左側に海に侵食されたような山肌が迫り、決して開放的な景色ではない。これは僕の想像していた北海道とは違っていた。
アナゴ君の話や、雑誌の記事から想像を膨らませた、僕の北海道像とはどこか噛み合わないのだ。
僕はもっともっと雄大な景色を想像していた。それは地平線の果てに吸い込まれて行くように伸びる道や、地平線を感じられるような牧草地帯だったが、この『道南』という地域を走る限りそれらを感じる事が出来なかった。
やはり、雑誌に載っているような場所というのは限定された場所でしかないのか、と僕は思い始めていた。
確かに快適ではあるが、1ヶ月ほどのアルバイトの成果をつぎ込むにはどうも何かが足りない気がしていたのだ。
そんな違和感を感じる僕を尻目に比較的休憩をよく取るアナゴ君は、まるで誰かとの約束の場所へ向かうように一心不乱に走っていた・・・。
しかし苫小牧付近から、内陸部へ入り込み少し行くと、風景は一変した・・・。
あたり一面に緑色に広がる牧草地帯や耕作地帯。
そんな見晴らしの良い景色の中に点在する『防風林』と呼ばれる一直線に植えられた数十本からなるカラマツ。
本州の距離感とはスケールの異なるほど遥か遠くに霞む十勝連山。
・・・そして、なにより空が広い。
目に飛び込んでくるスカイブルーの面積が・・・あまりにも広すぎる・・・。
「うはぁ・・・」
と僕は情けない声を漏らした。
そして遂に現れたのはそんな風景の中をまっすぐにぶち抜く様な直線路。
もはやその先は霞んで見えない・・・。
先行するアナゴ君はそのどこまでも続く直線路を確認するとカタナのステップに立ち上がり、両の拳を天に振り上げガッツポーズを取った。
そして僕の方を振り返り、会心のVサイン。
ゴメンなさいアナゴ君、ゴメンなさい北海道・・・疑ってゴメンなさい。僕は無知でした・・・。
まさか、この日本にこんなライダーにとって天国のような場所があったなんて知りませんでした・・・。
北海道は想像通り・・・。いや、僕の想像を遥かに超えた地上の天国だった。
-------------------------------------------------
581 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/21(火) 00:29:08 ID:v3hXemon
上陸から1週間。僕は、北海道の旅を心の底から満喫していた。
富良野周辺のパッチワークのような畑の広がる丘。
空に吸い込まれそうなオロロンラインを走りぬいた末に辿り着いた最果ての宗谷岬。
北国の旅情を感じさせる小さな港町で食べる海の味覚。
どこに行っても現れる気持ちの良い直線路・・・。
しかし、僕にとって北海道の楽しみは旅そのものだけでは無かった。
もう一つ密かにこの旅に臨んで目標にしていた事を実行していたのだ。
それはアナゴ君にも秘密の計画だった。
・・・それはアナゴ君の『速さ』を盗み取る事だった。
僕は彼との間に一つの取り決めを結んでいた。
・・・峠道やワインディグロードでは、僕のことを気にせずに思う存分走ってくれ、と・・・。
ひととき初心者の僕の面倒から解放されるアナゴ君には悪い話では無かっただろうし、僕としても全力で走る彼の走りを間近で見るチャンスでもあった。
当初は、峠のたびに早々にアナゴ君に置いていかれ、しばらくすると見えてくるバイクの傍らで煙草を吹かし僕を待つ彼の姿を見るたびに悔しい思いで居た。
しかし、ここ2〜3日は彼に一服させない程度の遅れにおさめていた。
僕は日増しに自分の走りが速くなっていくのを感じていた。
アナゴ君の後姿を見ていられる時間が増えるということはすなわち僕にとっての授業時間が増えるという事であり、さらに僕の峠道を走るペースは加速していった。
・・・そして今、僕は名もない高低差の無いワィンディングでアナゴ君を追っていた・・・。
立ち上がり加速ではさすがにカタナには敵わないものの、ヨンフォアの軽量さを生かしたコーナーリングでカタナは常に僕の射程内に納まっている。イイ・・・。今日は調子が凄くイイ。乗れている!
-------------------------------------------------
582 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/21(火) 00:47:46 ID:v3hXemon
遠心力と重力とが絶妙にバランスしたコーナーリングとは、かくも気持ちいいものか・・・。
コーナーをクリアするたび僕と地面の距離は少しずつ近づいてきていた。
そして、ついに僕は初めて路面にステップを摺る・・・。
どのくらいバイクが傾いているのかを具体的に報せてくれるステップの接地は安心感をもたらし、その安心感は快感に変換される。
景色なんて見ていなかった。僕は走りに没頭していた。
気持ちいい・・・。こんな気持ちのよいことが他にあるのであろうか?
その時の僕ならハッキリと無いと断言できた。
右に左に繰り返すコーナーリング。
僕は意識的にほぼ確実にステップを摺れるところまでになっていた。
僕は舞い上がっていた。バイクを自在に操ることの快感は僕のドーパミンの分泌を加速的に促す。
アナゴ君もまた、この偶然見つけた素晴らしいワィンディグを駆け抜ける事に没頭し僕と同じようにある種の躁状態になっていた。僕が引き離されず着いてきている事に気がついていないようだった。
僕はその時、アナゴ君と同じペースで走れる事にある意味自惚れていたのかも知れない・・・。
もしくはあまりの快感に、冷静な判断力を失っていたのだろうか・・・。
同じペースで走っていても、アナゴ君と僕の間に決定的に違う事があった事にその時は気がついていなかった。
それは、経験値をベースにした余裕とでも言おうか・・・。
アナゴ君と僕とでは、やはり技術的な懐が違っていた。僕の120%はアナゴ君の80%だとでも例えればよいだろうか・・・。
それは突然の出来事だった。それまでとは違うややきついコーナーでそれは起きた。
フロントの一瞬のフワついた感じを覚えた直後、ヨンフォアのシートの上に居たはずの僕はアスファルトを滑走していた・・・。
何が起きたのか・・・、解らなかった・・・。
-------------------------------------------------
606 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/22(水) 01:03:27 ID:QEPNIigO
【SCENE21】
どうして僕はアスファルトの上を転がっているのか?
なぜさっきまで跨っていたバイクがあんなところを滑走しているのか?
・・・あまりに一瞬で、また初めての出来事に僕は何が起きたのかすら把握出来ないまま、ただ慣性にまかせてひたすら転がった。
ただ転がっているだけでも、アスファルトとは硬いものなのだという事実が、肘や膝や腰骨を襲う容赦ない衝撃で実感できた。
実際のところやや回り込んだコーナーでの出来事であり、70km/hも出ていなかったように思う。
その程度の速度の転倒では、人間の体は比較的すぐに止まるものだし、どこかにぶつかりさえしなければどうという事は無い。
しかし、装備を怠っていればひどい擦過傷は免れないスピードであるし、倒れたバイクは思いのほか良く滑走して行くものだ。
ジャケットを着ていた僕は、色々なところを打ったような気がするが無傷だった。
・・・が、精神的なショックは相当なものであった・・・。
やってしまった、という焦りと愛車を転倒させてしまったという後悔と屈辱の混ざり合った気分・・・。
一言で言うと無様な気持ちで一杯だった。
・・・すぐに立ち上がり当たりを見回した。
アナゴ君は、すでに見えなくなっていた。
そして、もう一つ見えなくなっていたもの・・・愛車だ。ヨンフォアはどこに?
北海道の道路の多くは雪害対策のためであろうか、地面から盛り土によって一段高いところに造られている。
北海道特有の見晴らしの良い開放感はこのあたりからも来ていると思われるが、転倒現場の道路も大人の身長よりやや低い程度の土手を介して牧草地へと落ち込んでいる。
・・・その土手の中ほどでヨンフォアは左側を下にして、フロントを牧草地に向けて止まっていた。・・・僕は、一心不乱でヨンフォアに駆け寄った。
ヨンフォアの元に辿りつくまでが異様に長く感じられた。無事であってくれ・・・と、祈った。
-------------------------------------------------
607 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/22(水) 01:04:28 ID:QEPNIigO
倒れたままのその状態でとりあえず各部をチェックする。左ミラーが折れていた。
クラッチレバーもあらぬ方向に捻じ曲がっている・・・が、フロントフォークが捻じ曲がったり折れたりはしておらず、他のどこにも何かと激突して破壊したような場所は無いようだった。
エンジンを掛けて確認したくてヨンフォアを起こそうとするが、傾斜のついた土手である為、なかなか思うようには行かなかった。
必死で土手の中腹でバイクを起こす。
バイクを体に寄りかからせたままスターターを回す。掛からない・・・。
焦りが見えてきた5回目の始動で、ひどくカブりながらヨンフォアのエンジンは目を覚ました・・・。
ホッとした・・・。
僕は一旦エンジンを停め、ヨンフォアをそのまま道路上に引き上げようとした。
が、傾斜地である事や足元が不安定な草地である事、そしてフロントが道路の方を向いていなかった事で、何度試みても上がる気配すらない。
「ダメだ〜」
汗だくの僕は、とりあえず自力での脱出を諦めた。
そのうちアナゴ君が戻って来てくれる。そうしたら手を借りよう。
サイドスタンドは、土手の草地には役に立たず、仕方が無いので再びそっとヨンフォアを草の上に寝かす。
思えば一旦下までバイクを降ろしてから、バイクの自走で土手を駆け上がることも可能だったはずだ。
しかし気が動転している僕に、そんな冷静な選択肢は頭から完全に除外されていた。
そして、息が完全に上がり汗が滴り落ちていた僕もまた、その土手の上に大の字に仰向けに寝転んだ。
寝転んで見る空は美しかった・・・。怖いほどの吸い込まれそうなスカイブルー。
呼吸が落ち着いてくると、この場所が静寂に包まれた場所である事に気がついた。
風の音と時折聞こえる鳥のさえずり・・・。それしか聞こえない・・・。
火照った顔を冷やす涼しい風が気持ちよかった。
-------------------------------------------------
608 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/22(水) 01:05:47 ID:QEPNIigO
大阪からも、東京からも遥か離れた北の大地。2ヶ月ほど前まで、昼間から部屋の中で寝転がる僕の目の前の光景は、2.5mほど先の古びたアパートの汚い天井だった。
それがどうだ。何の縁か、僕の眼前には北の大地を覆う無限とも思える濃い青空が広がっている。
ふと思う。僕はバイクに出会っていなければ、今頃何をしているはずだったのだろう・・・。
暇な夏休みの昼下がり。
もしかしたら実家に帰省していたかも知れないが、どちらにしろゴロゴロしているのが東京か大阪かの違いであろう。
することといえば、せいぜい発売されたばかりのファミコンに興じているくらいだろうか・・・。
そして、ほとんど誰とも話さず、何の思い出も作らないまま20歳の夏は終わるのだろう・・・。
・・・しかし、今は違う・・・。僕は最高の夏を過ごしている・・・。
自ら操るバイクでヘトヘトになりながら北海道まで辿りつき最高の景色に出会い、最高の道を走り、ライディングという最高の悦楽の中に身を置いている。
そして毎晩のように友と語らって過ごす・・・。・・・友?
・・・友。そうだ・・・今こうして、最高に幸せな青春に身を置けているのは、最高の友アナゴ君の存在のお陰だ・・・。
彼が僕を小さな6畳間の鬱屈した世界から救い出してくれた救世主でありヒーローなのかも知れない・・・。全ては彼と出会った縁から始まったことだった・・・。
・・・カタナの音が聞こえてきた。僕のヒーローが僕を探しに戻ってきた・・・。
来るのが遅いよ、待ちくたびれたぞ。
土手の中ほどに倒れたバイクと、その傍らに大の字になった僕に驚き、やや青ざめた顔をしたアナゴ君が、寝転ぶ
僕の視界に逆さまに飛び込んできた。
「フグタ君っ!大丈夫か!」
その彼の慌てぶりが可笑しくて、僕は上体を起こしながら少し笑った。動いた僕を見てアナゴ君は少し安心した顔を
した。僕は僕の救世主に向かって言った・・・。
「アナゴ君・・・。ありがとう。」
突然の僕の意味不明なセリフに、アナゴ君は戸惑いながら
「フグ田君、頭でも打ったのか?急に動いちゃダメだ。どこを打ったんだ?」
と再び心配しだす。
そんな彼を見て僕は声を上げて笑った。
笑い声はどこまでも広い夏の青空に吸い込まれていった・・・。
-------------------------------------------------
631 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/24(金) 00:40:22 ID:8mdtiDEa
【SCENE22】
その彼と出会ったのは、僕が初転倒を喫したその日だった。
転倒現場からほど近い、小さな町の自転車も一緒に売っているような小さなバイク屋。
勝手に探せ、という店主の言葉に甘えて店裏の倉庫でジャンク部品の中から曲がって操作困難なクラッチレバーと、折れた左ミラーの代用品を見つけると、カネは良いからこれを持ってけ、と渡されたとうもろこしをネットに挟み僕らはだだっ広い牧草地を貫く直線路を走っていた。
思いがけないトラブルで、今朝予定したキャンプ地まではもう少し距離があるのだが、太陽は既に上を仰ぎ見なくても視界に入る角度まで降りてきており、道路わきの牧草地にまで2台の影は届いていた。
周囲には何も無い。
そんなどこまでも続く夕暮れの直線路で、バイクを押す男の姿が前方に見えた。
トラブルだろうか?アナゴ君はそんな人間を放っておける人間ではない。
僕もまた彼のブレーキランプが点く前から停止体勢に入っていた。
スズキTS250というオフロードバイクを押す男に、どうしたんですか?と声を掛けるアナゴ君。
すると、僕らより少しだけ年上のように見える、長身でガッチリした体格のその彼は真っ黒く日焼けした顔で
「ガス欠〜!」
と笑って言った。どこから押してきたのだろうか、汗だくだった。
「林道で道に迷っちゃって〜。やっと舗装路まで出てこれたと思ったら、今度はガス欠だよ」
彼は路肩に座り息を切らしながらそう言った。
大丈夫、大丈夫と彼は言ったが、ガソリンスタンドがこの先何キロ無いのかすら解らないし、何よりもう陽が沈む。
放って置けるはずは無かった。
しかし、僕らは自分達のバイクからガソリンを抜くような道具を持っていなかったし、タンクを外してコックから移そうかとのアナゴ君の提案には、それは本当に悪いからやめてくれと彼は言う。
ここでの野宿をほのめかした彼の言葉を聞き、アナゴ君はカタナに跨りエンジンを掛ける。
「ガソリン、買ってきますよ!待っててください!」
そういうが早いか、アナゴ君は猛加速で地平線の彼方に消えていった・・・。
残った僕に彼は言った。
「いい友達だな」
僕は笑顔で頼りになるヤツです、と答えた・・・。
-------------------------------------------------
633 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/24(金) 00:41:38 ID:8mdtiDEa
アナゴ君を待つ間、僕はガス欠さんと沈み行く夕陽を眺めながら言葉を交わした。
彼の名は鈴木さんと言って、東京の商社に勤める社会人2年目の24歳とのことだった。
夏休みに有給休暇をつけて学生時代から毎年恒例の北海道ツーリングに来たという。
名前とバイクのメーカーが同じですね、と僕が言うとそれは偶然で、もう一台所有するCB1100Rと一年おきにオンロードツーリングとオフロードツーリングを楽しんでいるのだと言う。
そして社会人である鈴木さんは、明後日には東京に帰ってしまうとのことだった。
そんな会話をしていると、空も暗くなってきた。
アナゴ君の帰りが遅いことを心配しかけた時、カタナの鋭いヘッドライトの光が、地平線の彼方に現れた。
アナゴ君は、ガソリンスタンドでもらった4Lオイル缶にガソリンを入れて戻ってきた。
その後、北海道の足の速い夕暮れに急かされるように僕達3人は夜のテント設営を諦め、ライダーハウスに飛び込んだ。
荷物を置き、近くの小さな焼肉屋に飛び込むと、鈴木さんは大量の肉を注文し、僕らに笑って言った。
「今日は世話になったからな。俺のおごりだよ。どうせキミら、ろくなモン食べてないんだろ?」
「いいんですか?」
顔を見合わせる僕らに、鈴木さんは煙草を吹かしながら言った。
「社会人だからね。金の心配はいらないよ。俺だって学生時代は金が無かったからな〜。
それに、学生時代に北海道を回った時に知り合ったオジサンにおごって貰ってね。
その人言ったんだよ、俺にお礼なんていいからお前が金に余裕の出来た時、貧乏な若者に良くしてやれってね。」
今日は僕もトラブルがあり疲れていた。だから3人で乾杯したビールは格別だった。
あの時生まれて初めて食べたジンギスカンの旨さは今でも忘れない。
僕の転倒話を酒の肴に、楽しい夜は更けていった。
僕らより年上である鈴木さんの、普段の同年代との会話では決して聞けないような含蓄ある語りに、僕達は引き込まれていった・・・。
バイクを中心軸にした運命の歯車が動き出していた・・・。
その出会いが僕らの人生に大きな影響を与える事をその時は知るすべも無かった・・・。
出会いは、別離の始まりとも知らず・・・。
-------------------------------------------------
661 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/25(土) 22:23:49 ID:KTlpjsOG
【SCENE23】
3台のバイクは、北海道には珍しいタイトなコーナーの続く十勝岳山中のワインディングを駆け上がっていた。
明日、東京への帰路へつかなければいけない鈴木さんは、僕らと意気投合し最後の一日を共に行動する事にしたのだ。
目指すは十勝岳温泉。
鈴木さんが言うには十勝岳温泉の近くにあまり知られていない無料露天風呂があると言うのだ。
それにしても・・・。僕はオフロードバイクのオンロードでの機動性を甘く見ていた・・・。
アナゴ君のカタナと同じペースで峠道を駆け上がる鈴木さんの2サイクルオフロード。
ありえないほどのバンク角で、イン側に腰を落とすアナゴ君と逆方向に体の重心を置き、足を前に出して軽々と旋回していく。
吐き出される紫煙を浴びながら、僕は文字通り後塵を拝していた・・・。
オンロードでの旋回速度や、特にその加速においてはオフロードバイクになど負けるわけが無いと思っていた僕にとって、その予想外の鋭い速さはまたしてもバイクの奥深さを知る出来事だった。
しかし、僕だってそのまま置いていかれはしない。
僕もまた、彼らと同じペースで痛快なコーナーリングの世界に身を置いていた・・・。
昨日の転倒から何かが変わったような気がする・・・。
自分の限界とバイクの限界を知る事で、逆に心のゆとりが出来たように落ち着いたコーナーリングが出来ている。
心が落ち着いていると、体に余分な力が入らず自然なライディングが可能になる。
すると、バイクというものはバイク自らが持っているバランスを保ち曲がり、そして直進する能力を備えていることを理解する。
バイクからの語りかけが聞こえてくるようだ・・・。僕とバイクとで繰り広げるダンスのようなワインディングステージ。
昨日の血走ったような心持ちとはまた違った楽しさで僕はベテラン2台に着いて行く。
バイクのことが少しわかった様な気がした・・・。ヨンフォアがもう一人の『相棒』に感じた・・・。
僕は十勝岳山腹の心地よい冷たい風を受けながら、ヨンフォアのカタログのキャッチコピーを口に出して唱えた・・・。
「おお400。お前は風だ。」
-------------------------------------------------
662 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/25(土) 22:58:32 ID:KTlpjsOG
山肌の僅かな平坦地に作られた野趣深い露天風呂につかりながら、僕達はそこに天国を感じていた。
熱いライディング、そしてその心地よい疲れを溶かすような至極の温泉・・・。
北海道に来て本当に良かった・・・。
ちなみに、それから10年ほど後に有名TVドラマでこの温泉が使われたシーンを見て、ひどく懐かしかった覚えがある・・・。
その後、この温泉は観光客でごった返すようになったそうだが、その時は僕らの貸切状態だった。
「フグ田君、本当に免許取立てなのか?すごいな。この分だとアナゴ君、キミすぐに抜かれちゃうぞ?」
「ちょっ・・・ちょっと勘弁してくださいよ〜。フグタ君!まだキミには前を走らせないからな!10年早いわ!」
温泉に浸かりながらそんなとりとめの無い会話を重ねていた。
どうやら僕は初心者離れした速さらしいのだが自覚は無かった。
ただ、もっともっと速くなりたいという願望は、心の奥底で熱く燃え滾ってはいた・・・。
「キミ達、首都高とか第3京浜とか行ったりはするのか?」
そろそろ湯から出ようとかと思っていた時、鈴木さんがそんな質問をしてきた。
僕達は、首を横に振った。
アナゴ君はどうか知らないが、少なくともその時の僕にはそれは単なる道路の名前でしか無く、速さを求めるライダーにとって特別な意味を持った言葉であるという認識は無かった。
「・・・そうか、・・・いやいいんだ。」
鈴木さんは少し含みを持たせるように、何か言いたそうな雰囲気でそういうと、もう出ようかと言って立ち上がった。
その帰り道。峠の下りで軽量オフロードの実力が炸裂した。
ジェットコースターのように速度を殺さずに旋回していく鈴木さんのライディングに、アナゴ君ですら為すすべが無かった。
見る見る小さくなっていくTS。少し遅れて喰らいついていくカタナ。それを見送る僕・・・。
やはり下りは難しい・・・。
僕は気が狂ったように下りの峠道を落下していく2台を微笑みながら見送る・・・。そして思った・・・。
「もっと、もっと速くなりたい・・・。」
-------------------------------------------------
688 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/27(月) 22:11:05 ID:UWfpQvp8
【SCENE24】
僕達は、誰もいない河原でキャンプをしていた。明日には鈴木さんは東京への帰路に着く。
ほんの二日足らずの出会いだったが、彼とはもう何日も共に過ごした仲間のようだった。
僕にとって初めてする焚き火。
火とは不思議なもので、揺らめく炎を見ているだけで飽きる事は無く、また、気持ちが落ち着いてゆく・・・。
温かいインスタントコーヒーの入ったカップを片手に、僕達三人はバイク談義に花を咲かせていた。
「どうしたら、もっと速くなれますか?」
そんな僕の突然の抽象的でつかみ所の無い質問に、アナゴ君と鈴木さんはキョトンとした顔をした。
「・・・そうだなぁ。とにかく乗りまくる事じゃないか?僕も免許取立ての時は、走りまくったなぁ。高校にバイクに乗ってることがバレて停学喰らった時なんて、それをイイことに毎日峠に通ってたなぁ」
そんなアナゴ君の答えは、一つの回答に違いなかった。
それは確かにそうだろう・・・。実際、毎日のようにバイクで距離を重ねているここ北海道の地で、僕はほんの数週間前より、確実にバイクを自在に乗りこなしてきているのを感じる。
・・・だが、僕の求めている答えとは少し違うような気がした・・・。
僕が欲しかったのは、何と言おうか・・・。
言葉では表現しづらいのだが、もっと『魂』に近い部分の答えだった。
バイクにはそんな『魂』の部分が必ず存在するような気がした・・・。
そしてそこに『速くなる』秘密も隠されているような気がしたのだ。
「気負わないことさ」
あっけらかんと鈴木さんが言った。
「気負うと危険だよ。誰かと競争するわけでも、勝負するわけでもない。
自分の心を満たす為にバイクに乗る、そうだろ?乗り続けることが肝心だよ。
バイクに対する情熱を切らすことなく楽しく乗り続ける・・・、そうしたら
いつの間にかキミも満足するようなライディングが出来るようになるはずさ。」
ポカンとする僕を尻目に、鈴木さんはこう付け加えた。
「・・・死んじゃったら、なんにもならないからね・・・。」
焚き火を見つめながら、そう語る彼の目はどこか寂しげに見えた・・・。
「な〜んてな」
と鈴木さんはお茶を濁した。
・・・僕は彼の言っていることのほとんどを、その時は理解できていなかっただろう。
-------------------------------------------------
691 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/02/27(月) 22:41:59 ID:oFk1mQwt
「・・・しかし・・・、バイクって何なんだろうねぇ・・・」
炎を見つめながら、独り言のように鈴木さんがつぶやいた。
「おかしいよな。どうしてこんなに僕達はこの乗り物に夢中になっちゃうんだろうか・・・。
だって車だってあるじゃないか。・・・僕達ライダーはどうして・・・バイクじゃなきゃダメなんだろうね・・・。」
僕にもそれは解らなかった・・・。
ただ、僕もまたバイクに『魂』を揺さぶられた人間の一人だ。
バイクの事を考えるだけで胸が高鳴り、乗って走り出せばその心は雲上を翔る鳥のように心地よい自由に満たされる・・・。
理由こそ解らないが、僕にも鈴木さんの気持ちが解るような気がした。
そう、『気がした』のだ・・・。
・・・しかし鈴木さんのつぶやきは、僕のそれとは重さが違ったのだ・・・。
その時、僕らはそれを知るよしも無かった。
そして・・・そのつぶやきの重みに、その後僕たちも押し潰されそうになる事も・・・知るよしも無かったんだ・・・。
翌早朝、僕とアナゴ君の出発準備を待たず鈴木さんは青森に向け出発しようとしていた。
二言三言、別れの言葉を交わした後、鈴木さんは言ったヘルメット越しに言った。
「キミらはアホのように飛ばす、アホなライダー達だ!気をつけろよ。死ぬなよ、絶対に死んじゃダメだからな。」
笑ってそう言う鈴木さんは最後にこう言った。
「キミらも東京に住むスピードに魅せられたライダー達なら、近いうちにまた会う日が必ず来ると思う。
その時が来たら、また楽しく走ろうな!」
そう言って鈴木さんは餞別のように豪快なウィリーを決めると、オイルの香りと紫煙の一筋を残し走り去って行った・・・。
・・・ここで、さよならで良かったのだ・・・。この先、鈴木さんと会ってはいけなかったのだ・・・。
しかし、僕とアナゴ君がバイクに乗る事の快感をスピードに求めていた以上、その再会はさだめられた運命だった・・・。
-------------------------------------------------
740 :魔 棲 雄 〜マスオ物語〜:2006/03/01(水) 22:47:56 ID:OB5F6WLf
【SCENE25】
財布の中身と本州より明らかに早い北海道の秋の気配が、アナゴ君と僕の旅の終わりが近い事を知らせていた。
「そろそろ帰ろうか?」
まだ8月だと言うのに白い息が見える早朝。
朝日に照らされながら二人で立ちションをするキャンプ場はずれの藪の中。アナゴ君がそう切り出した。
そうか・・・もうそんなに経ってしまったのか、と僕は瞬間的にこの数週間の様々な事を思い出した。
喘ぐように青森までたどり着いた深夜のバイク行・・・。
たくさんのライダーと交わしたピースサイン。
想い出に残る人との出会い・・・。
毎日のように深くバイクと付き合うことで確実にレベルアップしたライディング・・・。
そして朝日と澄んだ星空とどこまでも広がる深いスカイブルーに、初めて僕の頭上には大きな空が広がっている事を実感した・・・。
北海道に来て本当に良かった・・・。
しかし、あまりの北海道の魅力に、このままでは帰るタイミングを失ってしまいそうで怖い僕が居た。
あくまで僕の故郷は大阪であり、生活の基盤は東京だった。
それを捨てさせてしまいかねないほどの不思議な魅力を持った北海道が怖かったのだ。
・・・僕は、一呼吸置いてアナゴ君に言った。
「そうだな。そろそろ帰ろう。」
東京での生活が遠い昔の事のように霞んで思えた。あのゴミゴミした猥雑な都会が初めて懐かしく思えた。
そんな自分の生きるべき場所が少しだけかけがえの無い場所であるように思えたのも、またバイクのお陰だった。
函館に向かう途中。
やはり北海道名物の直線路が、僕達の行く手に続いてゆく。
晩夏の太陽に照らされかげろうが立ち上る遥か彼方の路面は、地平線上で空に溶け込んでいた・・・。
僕は数週間前アナゴ君がそうしたように、ステップに立ち上がり大空を仰いで両腕を突き上げ吼えた。
バイクだ・・・。バイクが連れて来てくれた、バイクが見せてくれたこの風景・・・。
バイクがくれたこの快感・・・感激・・・感動・・・、バイクがくれた走る喜び・・・。
・・・僕はもうバイクから離れられない・・・。