1-1 マスオ物語
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故郷は嫌いだった・・・。
ガキ大将肌の兄貴が目の上のたんこぶのようで、全てのコンプレックスの根源のような存在だった。
大した家柄でもないのに、見栄っ張りの母親に無理やりバイオリンを習わされた。
興味が無かったので上手くなる事も無かった。それよりも何でも無意味に強制したがる母が憎かった。
東京に来れば何かが変わると思っていた。
有名大学に通うという口実で2浪までして早稲田に入った。
本当はここから逃げ出したかっただけなのに、適当に思いついた安っぽい理想を熱っぽく語る振りをして親から2年間も無駄飯を喰わせてもらった。
今思えば、大阪が嫌いだったのかそのころの自分が嫌いだったのか、解らなくなる事がある。
2つ下の連中にタメ口をきかれるのがイヤで、ほどなくしてあまり学校にも行かなくなった。
6畳一間の安アパートに篭っていると、自分がこの世界の中心に居るような、はたまたこの世界には
自分の居場所が無いような錯覚に襲われ、心のバランスすら無くしかけていた。
10日も不精した垢を落としに銭湯へ行った帰り、タバコ屋の近くの路地でそのバイクを見た。
バイクなぞ興味は無かったが、この素人目にも特異なスタイルをもつこのバイクが
「カタナ」という名前である事ぐらいは知っていた。
・・・なぜ、目を奪われてしまったのだろう・・・。
僕は「カタナ」の傍らに5分は佇んでいただろうか。
夕日を浴びて怪しく光るエンジン。日本刀のようにとがった鼻っつら。
よく見ると前後のタイヤの大きさが違う事が解る。
ドキドキした。
都会の片隅の掃き溜めの中に居るような目的も無く荒んだ生活を送っていた僕の目には、
その独特のオーラを放つマシンが異次元の乗り物に見えた。
この乗り物に乗れたなら、どこか違う世界に行けるような気がした・・・。
僕は背後に人が居る事すら気が付かなかった。
いきなり声を掛けられてみっともなくも体がビクッと動いた。
「バイク・・・興味があるのかい?」
ヘルメットを小脇に抱え、革ジャンを着た僕と同じくらいの年頃の男。
明らかにこのマシンの持ち主だった。特徴的な鼻の脇の大きなデキモノが目を引いた。
僕を変える出会いだった・・・。1983年のもうすぐ夏の頃の出来事だった。
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244 :774RR:2006/02/04(土) 01:40:28 ID:kEQ/KUAB
「あ・・・その・・・」
この日、風呂に入ったのと同じく、人と話すのも10日ぶりだったような気がする。
言葉がすんなりと出て来なかったのは自分でも驚いた。
「大きいバイクだなと思って・・・何ccなんですか?」
彼は、人懐こい屈託無い笑顔を浮かべながら愛嬌のある厚ぼったい唇でこう言った。
「ナナハンさ。本当は1100が欲しいんだけどね」
ナナハン・・・バイクに興味が無い僕でも、それが非常に厳しい試験をパスしたものにしか与えられないプラチナライセンスであることくらいは知っていた。
「ナナハンかぁ、凄いなぁ。何キロくらい出るんですか?」
排気量・・・最高速度・・・。
今にして思えば、よくもまぁこれだけバイク素人の王道を行く質問を投げかけたものだ。
その時の彼はもしかしたら少し苦笑していたのかも知れない。
「200km/hくらいまでしか出した事ないなぁ。キミもバイクに乗るのかい?」
・・・その少なくとも僕の人生と生活にあまりにかけ離れた速度にやや驚きつつも、バイクには乗った事が無いと言った。
「そうか。良かったらどうだい?跨ってみるかい?」
突然の申し出に僕は驚いた。そして思わず辞退してしまった。
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245 :774RR:2006/02/04(土) 01:41:08 ID:kEQ/KUAB
「あ・・・あの・・・じゃぁ、僕はこれで・・・」
彼は無言でやはり笑顔を見せ、さっと左手を顔の付近に挙げ、別れの挨拶をしてきた。
ヨレヨレのTシャツに破れかけたスニーカー。
入浴セットの入った洗面器を持ったうだつの上がらない格好をしていた僕は、会釈もそこそこにいそいそとその場から離れる。
珠玉のようなマシンと、実に男らしいライダーを前にしていつも以上に気後れしていたのかも知れない。
電柱を5本ほど歩いたところでチラッと振り返ると、彼は既にヘルメットとグローブを装着し「機上の人」になっていた。
カタナの暖気が始まった。
その野太い大型動物の唸りにも似た排気音は、僕が路地を曲がるまで聞こえていた。
GSX750Sカタナ・・・大型自動二輪・・・時速200km・・・。
これまで全くといっていいほど僕に関係の無かった世界の片隅を垣間見たような気がした。
バイクなんて興味が無かったのに何故かしばらく意味不明の高揚感が止まらなかった。
「・・・バイクか・・・」
部屋に帰って思わず口をついて出た独り言に自分自身で驚いたのを覚えている。何かのスイッチが入った運命の日だったのかも知れない・・・。
・・・余談だが、今でもあの日のことを彼は覚えているらしく
「あの時のフグ田くんは捨てられた子犬のような目をしていたなぁ。なんだか放って置けないような気がしてね」
と言って僕をからかう。
そう、あの日は僕の一生の親友。アナゴ君との出会いの日でもある。
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254 :774RR:2006/02/05(日) 00:34:05 ID:p77sPL8z
なぜ、縁もゆかりも無いバイクの世界にここまで心酔してしまったのであろう。
跨った経験すらないのであれば、それは好き嫌い以前の問題のはずだ。
心当たりがあれば「血」であろうか・・・。
父方の祖父が戦前から陸王を乗り回していたというのは親戚の中でも有名な話であるし、
バイクに跨っている死んだ父の若い頃の写真(CR110?)も見た事がある。
まぁ、そんな事はどうでもよい事だ。とにかく僕の生活は翌日から一変してしまった。
まず、僕は駅前の書店で「モーターサイクリスト」と「オートバイ」という雑誌を購入する。
バイクについて知識が欲しかったのである。
この2冊はしばらくの間、僕のバイブルとなった。
内容を暗唱できるのではないかというほど読み返し、2年間の浪人時代に使った英和辞典の20倍くらいの速さでボロボロになった。
雑誌の中のバイクの世界は非常に魅力的で、ハタチの僕の好奇心を大いにくすぐり想像力をかき立てた。
最新型RG250Γのレーサー然としたスタイルに酔い、CBR400FのREVという最新テクノロジーに驚いた。
ハンス・ムートという天才工業デザイナーの名前を知り、フレディー・スペンサーという天才ライダーの名前を知った。
僕は6畳一間の安アパートの中で、世界が広く明るく開けて行く感覚を感じた。
内に篭りがちであった僕の精神が、このような感覚にとらわれるのは初めての体験だった。
この2冊からは、現在の市販ラインナップやオートバイ事情、・・・そして免許取得についての知識を吸い上げた。
こう言うと反感を買ってしまうかも知れないが、当時の僕はいわゆる「貧乏学生」ではなかった。
心配性な母が多くはないが必要十分な仕送りをしてくれていたし、何よりも友人も少なく部屋に引き篭もりがちであった為、金を使う機会が全くといっていいほど無かったのだ。
そして2冊のバイク雑誌は、僕がちょうど「中型自動二輪免許」を取得するのに必要なだけの蓄え(ただ口座に余らせていただけであるが)があることを教えてくれた。
「カタナ」に魅せられた1週間後、10万円ほどであったろうか・・・
ほぼ全財産を懐にして僕は自動車教習所に向かった。
進路を思い悩んだ浪人中に取得した普通自動車免許取得に続き、2回目の自動車教習所への入校だった。
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268 :774RR:2006/02/05(日) 22:17:20 ID:mvSYv4Ie
僕がペーパードライバーであるという事は、どういうわけかなかなかに広く知られた事実である。
4輪車の運転に全くといって良いほど楽しみを見出せなかったのは、浪人時の教習所時代から変わらない。
僕にとって普通自動車運転免許は、生活と就職活動に必要な単なる「資格」でしかなかったのだ。
だから、僕は少なからず不安を抱えていた。
バイクもいざ乗ってみたら全く興味をそそられなかったら・・・と。
入校の2日後、僕は初の実技教習を受けた。
初めてバイクに乗る日である。教習車は、ホンダ CB400ホークU。
引き起こしや取り回しで初めて触れたそのバイクは、GSX750Sに比べひとまわり以上小さく見えたがずっしりとした確かな質量感で僕をやや緊張させた。
教習所から借りたヘルメットを着用し、煩瑣な乗車動作を教わった後、僕は初めてオートバイに跨る。
僕の心臓は、ますます高鳴った。目の前の機械然とした計器類。両手から、尻からダイレクトに伝わるエンジンの振動。
あぁ、早く・・・早く走らせて見たい・・・。
MT普通車免許を持っているため、クラッチについての説明は簡単に済まされた覚えがある。
「じゃあ、ゆっくり付いてきて」
教官の車両が動き出す。僕も続いてクラッチを繋ぐ。お約束のエンストはしなかった。
周囲の景色がゆっくりと流れ出した。
教わったとおり、すぐに2速へ。ややギクシャクしたが順調に速度を乗せていく。
そして奥の直線部で3速へ・・・。
30km/h強で走るホークU。
風が顔に、胸に、腕にあたりまとわり付きながら後ろへ流れていく。
「あぁ・・・」
僕は笑顔だった。満面の笑顔だった。愛想笑い意外で心のそこから笑みがこぼれたのは、何年ぶりのことだったろうか・・・。
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269 :774RR:2006/02/05(日) 22:47:14 ID:mvSYv4Ie
その日の帰り道。僕の自転車をこぐ足は軽やかだった。
夕日を背にうけながら走る自転車の上で、さっきまでの夢のような時間を思い返していた。
まだ、両手には振動が残っているような気がする。
幼少期に習っていたバイオリンレッスンの時間・・・、受験勉強の「ような」ことをしていた浪人時代の深夜・・・、大学でのゼミの時間・・・。
僕はこれまでの人生で、ほぼ全ての時間を適当に受け流しやり過ごしてきたような気がするが、そんな
どの時間よりも短く、そして濃密に感じた1時間だった・・・。
たかだか外周路を完熟走行しただけであるが、こんな楽しい事が世の中にあったのかと素直に感激していた。
右手でスロットルを捻るような真似事をして、自転車をさらに加速させる。
初夏の夕暮れの風は、心地よく鼻歌すら出てくる。
ついこの前まで、世の中に背を向けたような生き方をしていた僕が・・・である。
交差点に差し掛かり、赤信号で自転車を止める。
その刹那、バイクの野太い排気音が聞こえてきた。
以前であれば、まったく気にも留めなかったその音の方を反射的に見た。・・・音の主は、カタナだった。
『シュゴァァァァ!!』
目の前を一瞬で通り過ぎたそのライダーは、見まごうことなくあの日の彼だった。
夕日に向かって走るその姿は、あまりにも神々しかった。
僕は笑顔と羨望の眼差しで信号が青になったのにも気づかず彼の背中を見送った・・・。
みぞおちの辺りが熱くなり、背中に震えが来た・・・。
早く、早く彼のように自由にバイクで道を走りたい・・・と心から思った。
「さて、僕はどんなバイクに乗ろうかな」
・・・僕は、変わり始めていた・・・。
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283 :774RR:2006/02/06(月) 23:45:34 ID:zKom5rD2
その後も順調に教習は進んでいった。来る日も来る日も新鮮な日々だった。
スロットルを捻ると体全体が置いていかれそうになるような痛快な加速感・・・。
運動エネルギーと地球の重力をバランスさせ、鳥のようにバンクさせて旋回していくコーナーの心地よさ・・・。自らの精神状態を試されているような一本橋のスリル・・・。
100kgを遥かに超える質量を自在に手中に収めているかの様なスラロームの快感・・・。
まだ、梅雨が明けきっておらず、天候に恵まれない教習時間もあったが、雨がバイクに乗る楽しさをスポイルする事は無かった。
・・・僕は新しい自分を発見していた・・・。
スポーツも楽器も、そして勉学も何一つ人より秀でたもの、自信を持てるものが無かった僕に、自分で言うのもなんなのだがどうやらライディングの才能があったようなのだ・・・。
僕は特に教官に注意や指摘をされることもほとんど無く、次々と新しい項目をクリアしていくのだ。当然、乗り越しなど無い。
「フグ田さん、無免でバイク乗り回して悪い事してたでしょう?」
と、教官達には何度尋ねられたろう。
不思議な感覚だった。
僕の内に秘められていた何かが、解放されていくのを感じた。
20年の間、屈折した精神の奥底に埋もれていた眠れる魂が、バイクという乗り物を通じて一気に噴出して来たかのようだった。
気が付けば、入校から2週間ほどで卒検ももう間近に迫っていた。
僕が少しだけ変わった事といえば、もう一つある。
きちんと学校へ行くようになり、友人と会話をするようになったのだ。
教習所へ行き始めてから、同じゼミにバイクに乗っている奴が数人いる事を思い出した(大型二輪所持者はいなかったが)。
とにかくなんでも良いからバイクに関する話が聞きたくて彼らと話をしているうちに、2浪のコンプレックスなどはいつの間にか消えていた。
雑誌からの情報とはまた一味違う生の情報もまた、僕を刺激してやまなかった。
少しづつ、僕は口数も多くなっていた。そして反比例するかのように一人で部屋にいる時間が少なくなっていった・・・。